artscapeレビュー

我妻直弥『最終回』

2019年04月01日号

会期:2018/11/17~2018/11/18

立教大学新座キャンパス ロフト1[埼玉県]

我妻直弥『最終回』は立教大学現代心理学部映像身体学科松田正隆ゼミの卒業制作作品として上演された。作品の発表時点でまだ学生であった我妻はしかし、2017年にはフェスティバル/トーキョーの若手ピックアップ企画「実験と対話の劇場」に演劇計画・ふらっとの劇作担当として参加、2018年には『すごい機械』で第18回AAF戯曲賞最終審査にノミネートされるなど、すでに一部では注目を集めつつある。

松田正隆/マレビトの会の周辺で活動する(していた)他の若い作り手と同様、我妻もまた、演出の基本的な技法をマレビトの会『上演する』シリーズ(『長崎を上演する』『福島を上演する』)のそれと共有している。ほとんど何もない空間と大雑把なマイム、そして感情の起伏に乏しい発話。それらは現実の空間の中に不意に虚構が立ち上がる、あるいは物語世界からふと劇場へと引き戻される、その瞬間を生み出すための手法であり、松田はそのような演劇を「出来事の演劇」と名指す。

『最終回』は「出来事の演劇」の時間への適用の試みとしてある。作中ではある連ドラ(昼ドラ?)の最終回放映日の朝から昼、最終回が放映されるまさにそのときまでの約4時間が描かれるのだが、これはそのままこの作品の上演時間とも重なっている。つまり、『最終回』の上演において4時間という時間の枠組みは物語の内外で一致しているのだ。だが、物語の内と外の4時間は決して同質ではない。我妻はいくつかの仕掛けによって劇場空間に流れる複数の時間を観客に知覚させ、それらの間を行き来させる。



[撮影:松本誠舟]

ひとつめの仕掛けは物語の内と外における時間帯の不一致だ。昼にかけての4時間を描く本作の開演時間は15時に設定されている。しかも、公演会場の客席正面の壁は取り払われ、大きな開口部となったそこは外の空間にそのまま通じている。19時の終演に向けて日は暮れていき、やがて夜が訪れる。現実の夜と、虚構の昼。

二つめの仕掛けは上演の形式にある。『最終回』は6編の短編からなり、おおよそ1編ごとに休憩が挟まれる。観客はその度に現実の時間に引き戻される。『最終回』の観劇体験は虚構の時間と現実の時間の混合物としてしかあり得ない。

現実の時間が入り込んでくるのは休憩時間だけではない。開口部から見える外部の空間は、演劇を見る観客に背景としての現実の時間をつねに意識させることになる。それは夜に向かう天体の運行であり、立教大学新座キャンパスという具体的な空間に流れる時間でもある。「背景」をときおり通り過ぎていく学生らしき人々の姿は、観客に虚構への没頭を許さない。しかも、 3編目の「とある地獄」では、作品とは無関係な通行人と思われた人々の行為がそのまま「上演」へと移行していく。「現実」が「虚構」へと陥入する。それとも逆だろうか。いずれにせよ、そこには極めて豊か、かつ、奇妙な現実と虚構との関わりの可能性が提示されていた。



[撮影:松本誠舟]

2018/11/17(土)(山﨑健太)

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