artscapeレビュー

お寿司『土どどどど着・陸』

2021年01月15日号

会期:2020/12/25~2020/12/27

THEATRE E9 KYOTO[京都府]

「SF×稲作中心の古い行事が残るローカルなコミュニティ」という、一見、異色の組み合わせの演劇。だが、「見知らぬ異星に不時着してしまったエイリアン」=「新規の移住者」という視点から徹底して異化して描かれるため、「一過性のリサーチやレジデンスで地域の魅力を再発見/消費」という態度への強烈なカウンターとして機能する。

舞台中央には土のかまどと鍋が置かれ、その背後の板塀からは、柿の実をつけた枝が顔をのぞかせる。板塀の向こう側では、全身にキノコを生やした猿のような動物(ダンサーの竹ち代毬也)が身をくねらせ、柿の実をむさぼり、釜の中の飯を狙って侵入してくる。板塀の端には、ミニチュアの社(?)のような装置にご神体の白い蛇(?)のような不思議なものが巻き付き、この板塀は、家屋の内/外の境界であるとともに、人間/野生の領域を区切る象徴的な結界でもあるのだろう。



[撮影:松本成弘]


この簡略化された光景のなかに、着ぐるみのように膨れた宇宙服を思わせる衣装とヘルメットを付けた女性(筒井茄奈子)が立ち、混乱したモノローグをうわずった高い声で発し続ける。細い材木を円筒形に束ねた桶のような物体の中から、声(大石英史)が断続的に応答する。駄々をこねる幼い子どもとの会話、ご近所や地域の婦人会の人々とのやり取りのようだ。廃油を収集してロウソクを作るリサイクル活動、花壇の手入れなどの美化活動、食育という3つの「イインカイ・イインカイ」をはじめ、たくさんある自治会や婦人会、青年団の謎ルールの数々。意思疎通の困難さや価値観の齟齬は、会場のあちこちに仕込まれたスピーカーから流れる録音音声の効果とも相まって、壊れかけた通信機が発する混線した声を聴いているようだ。

あいさつ活動や見守りは「監視されている」という不安を焚きつけ、害獣の駆除は「よそ者としての疎外感」とオーバーラップする。一方、「不時着した異星で暮らす人々との会話」の合間には、田植えや農事に関するさまざまな一年間の行事が(実際に地域に住む女性2人によって)紹介され、自然のサイクルとともにある暮らしが示される。「私の生まれた星ではもっと個別だった」とつぶやく、「不時着」した女性。彼女は、古い行事を引き継ぐ食育活動での「のり巻き」づくりに対して、「私は負けない/巻けない」と宣言するが、最終的に待っているのは「(のり巻きを)巻けちゃった/負けちゃった」というオチである。「(命を)食べることの肯定、命の循環」という通奏低音が、緑と闇の濃い地域に暮らす実感として浮かび上がる。



[撮影:松本成弘]


地域に赴いてリサーチする滞在制作型の作品と本作が一線を画する特異性は、リサーチ対象をエキゾチシズムとして対象化するのではなく、自身を「エイリアン」の立場に徹底して固定化する視点の取り方にある。外部から侵入した観察者である自身の立ち位置は透明化したうえで、「珍しい風習や祭り、美しい自然、歴史の痕跡が豊富な地域」を一種の異文化として他者化するのではなく、そのようなものは所与の環境としてすでにそこにあり、自らを「その価値観やルールになじめないエイリアン」とする態度は、作・演出の南野詩恵の誠実さでもある。南野が主宰する「お寿司」はまた、衣装作家でもある彼女自身が手掛ける衣装と身体のあり方も注目だ。本作では、「SF」というフィルターに加え、「私の身体になじまない」異物感や防衛心理を強調する、服というよりも「装置」「拘束具」のような衣装によって、移住者として暮らす地域との距離が取れたのではないか。

ラストシーンで、上空から降ってくるのは、迎えに来た母船ではなく、正月を祝う鏡餅である。彼女は最後まで防護服のような宇宙服を脱ぐことはないものの、「それでも毎日ご飯は食べるし、この土地で生きていく」というしたたかさを感じた。



[撮影:松本成弘]



公式サイト:https://osushie.com/

2020/12/25(金)(高嶋慈)

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