artscapeレビュー
ベートーヴェン「第九」と『音楽の危機』
2021年01月15日号
会期:2020/12/26
横浜みなとみらいホール[神奈川県]
年末になって、ようやく生のドラムが入った音楽をライブで聴くことができた。コロナ禍において執筆されたすぐれた芸術論である岡田暁生『音楽の危機—《第九》が歌えなくなった日』(中公新書)が指摘したように、「録楽」と違い、聞こえない音も含むような、リアルな空気の振動こそ、ライブの醍醐味である。そして同書が問題にしていた三密の極地というべき近代の市民文化の音楽とホールの象徴が、年末の風物詩となっているベートーヴェンの交響曲「第九」だった。壇上の先頭中央に指揮者と4人のソリスト、これを囲むようにオーケストラのメンバーがところ狭しと密集し、さらにその背後にひな段を組んで、合唱団がずらりと並ぶ。すなわち、大人数を前提としたスペクタクル的な作品である。無言の演奏だけならともかく、ハイライトの「歓喜の歌」では、一斉に飛沫が発生するだろう。果たしてコロナ禍において「第九」は可能か、というのが、『音楽の危機』の問いかけだった。また同書は、音楽の時間構造のほか、それが演奏される空間=ホールの刷新も提唱した芸術論でもある。筆者は2020年の暮れ、横浜みなとみらいホールにおいて、読売日本交響楽団の演奏による「第九」をついに聴くことができた。
当然、通常の演奏形態ではない。パイプオルガン前の高所の座席に観客の姿はなく、代わりにソーシャル・ディスタンスをとりながら、通常の半数に厳選された合唱隊を分散配置する。また独唱の4名も最前線ではなく、小編成になったオーケストラの後に並ぶ異例のパターンだった。それゆえ、正面の席は、いつもより遠くから声が聴こえ、人数も少ないことから、音圧の迫力は足りなかったかもしれない。が、逆に筆者が座っていた、指揮者がよく見えるオーケストラ真横の二階席は、思いがけず、最高の特等席と化した。なぜなら、第四楽章で合唱隊が起立し、全員が一斉に黒マスクを外して歌いだすと、すぐ斜め前から同じ高さでダイレクトに声が突き刺さる。しかも正面の真下からはオーケストラの音が湧き上がるのだ。まるで「第九」の音空間の只中にいるような、忘れられない貴重な体験となった。平常時であれば、絶対にこんな聴こえ方はしない。また読響としても年末の最後の公演であり、この一年は音楽が抑圧されていたことを踏まえると、それが解放されたかのような喜びが爆発した演奏だった。
2020/12/26(土)(五十嵐太郎)