2021年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

2021年01月15日号のレビュー/プレビュー

小田尚稔の演劇『罪と愛』

会期:2020/11/19~2020/11/23

こまばアゴラ劇場[東京都]

ひとりの男がアパートの家賃を払えず大家に怒られている場面からはじまる小田尚稔の演劇『罪と愛』には、全部で4人の、同じような境遇にあるらしい男たちが登場する。パソコンに向かい演劇の脚本を書く男1(加賀田玲)。自由の女神像を燃やしてしまおうと目論む男3(藤家矢麻刀)。何か罪の意識を抱えているらしい男4(串尾一輝)。そして家賃を払えずアパートを追い出されそうになった挙句に大家を逆恨みする男2(細井じゅん)。彼らは舞台上に入れ替わり立ち替わり現われて自分の話をしては去っていく。それぞれ別の俳優によって演じられる男たちの話にはしかし、ところどころで微妙に重なる部分があり、何より彼らは舞台上に設えられたアパートの一室を「共有」しているため、観客には彼らが同一人物であるようにも見える。

男のひとりが演劇の脚本を書いていることを考えれば、いずれにせよ恵まれた状況にあるとは言えない男たちは、この作品の脚本・演出を務める小田尚稔自身の分身である、と言ってしまいたくもなるのだが、男たちが実は同一人物なのであれ、似てはいるが別々の人物なのであれ、なぜそのように描かれなければならなかったのか、という点に問題はある。

たとえば、男たちはあり得る別の可能性としての小田なのだ、と考えることはできる。だが、それにしては男たちの状況は絶望的なまでに似通っている。状況は停滞し、緩やかに悪化していきさえする。男2はついには大家を殺害し、男4は同居していた女に別れを告げられやはり殺してしまう。自由の女神像を燃やした男3は警官に囲まれた挙句に射殺される。あるいは、悲劇的な結末はすべて脚本のなかの出来事だろうか。男1はそれらの可能性を、悲劇的な未来を必死に呑み込むようにして机に向かい続ける。

[撮影:小田尚稔]

もちろん、小田は小田でしかなく、舞台上の4人の男たちは小田ではあり得ない。それでも、彼らは同一人物なのかもしれないと観客は想像するだろう。これまでの作品でも小田は複数の登場人物のあいだにいくつかの共通点を設定することで同一人物である可能性を示唆し、「別人」への想像力の回路を駆動する手法を用いてきた。今作では私小説的な設定を導入し、作者である小田自身の姿をもそこに重ねることで、観客の想像を現実にも向けさせている。

小田の作品ではしばしば、その作品に影響を与えた哲学書や小説などの一部が登場人物によって読み上げられる。今作でもドストエフスキー『罪と罰』やシェイクスピア『リチャードⅡ世』などが読み上げられるのだが、参考文献のなかには市橋達也『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』と中島岳志『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という二冊の書籍も含まれている。登場する男たちの何人かが犯罪者として描かれていることを考えれば、その意図するところは明らかだろう。劇中で直接言及されるわけではないが、参考文献として挙げられた書名を通して観客は二人の名前に触れることになる。どこまでいっても「別人」でしかない彼らの、それでも「隣人」として想像の回路をつなごうとすること。

あるいはそれは、同一人物のなかにもさまざまな面があることにも通じているかもしれない。尋常でない剣幕で男2に家賃の支払いを迫る大家と、男1の東京での暮らしを心配する母。男に対して対照的な態度を取る二人の女性はしかし、どちらも新田佑梨というひとりの俳優によって演じられている。男(たち)に対する彼女の態度の落差に観客である私は居心地の悪い思いをするが、しかしそのような二面性はごくありふれたものだろう。

[撮影:小田尚稔]

「愛している証のようなものが欲しかった」と語る男(たち)の示す情もまた、酷薄さとほとんど表裏一体のように見える。男の部屋には蜘蛛が棲みついている。男は「彼女」をうっかり殺してしまわないように気をつけながら生活しており、どうやら同居人としてそれなりの愛情さえ感じているようだ。だが、渡邊まな実によって演じられるその「蜘蛛」は、男と同居し、やがて殺されることになる女の姿と重なっていく。蜘蛛に愛情を注ぐ優しさは反転し、女の存在に虫けらと同等の重みしか見出さない酷薄さとなる。

男3と一時の交流を持つ女(宮本彩花)も含め、『罪と愛』に登場する女たちは一貫して、男(たち)の物語を成立させるためのキャラクターとしてのみ描かれている。そこにある断絶、そこから生まれる息苦しさは現在の日本社会を覆うそれと同質であり、「別人」への想像の回路は、だからこそ切実に要請されている。

[撮影:小田尚稔]

今作は、これまでギャラリー的な空間で公演を行なってきた小田尚稔の演劇の劇場進出作品でもある。俳優の語りと同等の存在感で舞台上に存在し世界を生成する土屋光の音響や鼠役として出演する冷牟田敬のギターは、ともすれば鬱屈し閉塞してしまいかねない劇世界にユーモアとフィクションならではのイメージの飛躍をもたらし、小田作品の可能性を広げていた。小田の劇場への「挑戦」は大きな成果として結実したと言えるだろう。

小田尚稔の演劇の次回公演は3月。毎年3月11日の前後に再演し続けている『是でいいのだ』の再びの再演となる。

[撮影:小田尚稔]

[撮影:小田尚稔]


公式サイト:http://odanaotoshi.blogspot.com/


関連レビュー

小田尚稔の演劇『是でいいのだ』/小田尚稔「是でいいのだ」|山﨑健太:artscapeレビュー(2020年04月15日号)

2020/11/19(木)(山﨑健太)

篠田千明 新作オンライン・パフォーマンス公演『5×5×5本足の椅子』

会期:2020/11/22~2020/11/23

オンライン

篠田千明『5×5×5本足の椅子』は「ダンサーであるアンナ・ハルプリンの『5本足の椅子』(1962年)のダンススコアをもとに、篠田が2014年に制作/発表したパフォーマンス作品『5×5 Legged Stool』をオンラインで展開するもの」(YCAMホームページより)。5×5×……と5が累乗されていくタイトルからは、『5本足の椅子』を原典に、自らの創作が2次創作、3次創作としてあるのだという篠田の意識が読み取れる。興味深いのは、2次創作にあたる『5×5 Legged Stool』がオンサイト=3次元で上演されたのに対し、3次創作にあたる今作がオンライン=2次元の画面上で上演されている点だ。

『5×5 Legged Stool』はダンススコアをもとにはしているものの、もともと「戯曲ではないものから演劇を起こすシリーズ『四つの機劇』のひとつとして」上演された「演劇作品」であり、今作の冒頭でも篠田はこの取り組みが「演劇」としてあるという主旨の発言をしている。ここで「演劇」という言葉は広義での「戯曲」の「上演」、2次元に記録された情報の3次元への展開プロセスを指している。オンライン演劇は演劇か、という問いに答えるためにはまず演劇を定義する必要があるが、この定義に則るならば今作は紛うことなき演劇であると言えよう。

上演は篠田による導入に続き、実際にスコアからダンスを起こすプロセスへと進む。まずは福留麻里がスコアに記された5人のダンサーのうちひとりの動きを舞台上で「再現」。画面上には福留のダンス映像に加えて、ハルプリンのスコアとそれに対する福留の解釈を言語化した字幕が表示されているのだが、これは福留のダンスが「戯曲」の「上演」であることを改めて可視化し、観客と共有するためだろう。あらゆる戯曲がそうであるように、ハルプリンのスコアもまた「上演」のすべてを厳密に規定しているわけではなく、演出家や俳優・ダンサーの解釈が入り込むことで「上演」は立ち上がる。

画面上にはスコア、字幕、ダンス映像が並び、観客は結果としての上演(=ダンス)だけでなくスタート地点(=スコア)から結果に至る過程(=字幕)までをも同時に見渡すことになる。……というのはあくまで概念的な解釈に過ぎない。実際の上演において、観客がこれらの情報のすべてを同時に把握することはほとんど不可能だ。情報量が多すぎる。にもかかわらず、画面上の情報量はますます過剰になっていく。さらに2人のダンサー(ちびがっつ!とryohei)が「再現」に加わるからだ。しかも彼らは福留とは別の空間で踊っており、それぞれのダンス映像は画面上の異なる三つのウインドウに示されている。このとき、「上演」の場たる二次元の画面は、上演の構成要素がさまざまな記号として配置し記述されるダンススコアの平面とほとんど見分けがつかないものとなっている。

こうして、二次元のダンススコアは三次元の時空間へと展開し、再び二次元の画面上へと圧縮される。上演台本という言葉があることからもわかるように、戯曲と上演の関係は必ずしも一方通行なわけではない。広義での「二次創作」は新たな原典となり、さらなる二次創作の契機となる。

上演はさらに、ハルプリンの研究者やハルプリンのワークショップを体験したダンサーへのインタビュー映像を交えた、篠田によるレクチャー・パフォーマンスへと移行する。インタビューで語られる上演の様子は別ウインドウで「再現」映像としても流される。楽屋のモニターで舞台の様子を見ていた、という証言に合わせて映し出されるモニターを見上げるダンサーの後頭部。だが、その顔が映し出された瞬間、私は時空が歪んだような感覚を覚えることになる。そのダンサーが、先ほどまで別ウインドウでパフォーマンスを進行していた篠田その人だったからだ。

もちろんそれは、あらかじめ録画されていた映像に過ぎない。だが、あらかじめ録画されていたのはどちらの映像なのか。司会進行の篠田か、それともダンサーとしてパフォーマンスをする篠田か。私が現在だと思い込んでいたものは、篠田の分裂とともにずるりと画面の中に引き込まれる。過去と現在は画面上で等価なものとなり、「戯曲」と「上演」はメビウスの輪のように絡みあう。

最後のパートでは、観客がバーチャルな上演空間に集い、スコアの指示を自ら実践する。観客は「Hubs」というサービス上のVR空間に自らのアバターをつくり出し、ワームホールのような球体(時空の歪み!)を通ってバーチャルな舞台に上がる。スコアの指示を再解釈した、観客が実践すべきインストラクションは「写真を撮る」こと。撮られた「写真」は空間に浮かぶようなかたちですぐさまその場に表示される。二次元の画面上に仮構された三次元の空間は、こうして再び二次元へと圧縮されていく。画面=空間に並ぶ無数の写真。だがそれは決して空間を埋め尽くすことはない。二次元と三次元の往復運動が生み出す無限の余白。演劇はそこに広がっている。


篠田千明『5×5×5本足の椅子』トレーラー


公式サイト:https://www.ycam.jp/events/2020/the-5-by-5-by-5-legged-stool/
篠田千明Twitter:https://twitter.com/shinchanfutene
広報用ビジュアルデザイン:植田正


関連レビュー

篠田千明 新作オンライン・パフォーマンス公演『5×5×5本足の椅子』|高島慈:artscapeレビュー(2020年12月15日号)

2020/11/22(日)(山﨑健太)

山口の美術館をまわる

[山口県]

山口市の展示施設をいくつか訪問した。鬼頭梓による《山口県立美術館》(1979)は、地味だけどよい建築である。煉瓦の外壁は、《宮城県美術館》《東京都美術館》など、彼の師匠である前川國男の打ち込みタイルを想起させるだろう。すぐ近くの《山口県立山口図書館》(1973)も、むしろ鬼頭が得意とする図書館の作品である。



煉瓦の外壁が特徴的な《山口県立美術館》(1979)



こちらも打ち込みタイルの外壁が目を引く《山口県立山口図書館》(1973)


さて、《山口県立美術館》では、やはりコロナ禍によって、2020年度は特別展の企画が延期になったり、コレクション展示室を閉じるなど、大きな影響を受けたようだが、こうした状況を逆手にとった企画展示を開催していた。タイトルは「Distance─ディスタンス」である。すなわち、「生と死」や「男と女」など、6つのキーワードを軸にして、澄川喜一、須田一政、細江英公などの収蔵品を見せるものだ。作品の配置も、かなり疎だった(もっとも、解説のツールなしで鑑賞すると、作品選択の意図がわかりにくい)。なお同館は、香月泰男や雪舟のコレクションが目玉なのだが、後者に関しては、一部屋の三方の壁をまるごとプロジェクション映像で使った「パノラマ山水図巻」が、展示サイズも大きくて細部がよく見えた。


展覧会スケジュールには昨年春から「休室」が目立っている



《山口県立美術館》のカフェスペースもソーシャル・ディスタンスが保たれていた

温泉街の生家にたてられた《中原中也記念館》(1994)は、宮崎浩が設計したものであり、師匠の槇文彦譲りの端正なデザインによるコンクリート打ち放しの建築だった。屋外にフレームを設けることで、L字の変形敷地をまるごと建築化しつつ、奥に引き込むエントランスへのシークエンスをつくる。

展示で印象に残ったのは、これまで学校の教科書に掲載された中原の詩を調査し、時代による傾向の変化や人気作品を紹介する企画だった。文学館は美術館と違い、ビジュアルの要素が難しく、どうしても資料展示にならざるをえないが、詩人の記念館は展示の可能性があると感じられた。なぜなら、小説は文章が長すぎて無理だが、詩は全文を展示しても、その場で読めるからだ。つまり、作品の全体性を絵画や彫刻のように表現できる。実際、《アーツ前橋》や《太田市美術館・図書館》では、アートとともに詩を展示する方法をすでに試みていた。


右奥にまで引き込んでから、室内に入る《中原中也記念館》(1994)


大きな緑地に面した磯崎新による《山口情報芸術センター[YCAM]》(2003)では、映画のプログラムが開催されていた。10年以上前に訪れたときは、アートと図書館が完全に分離するわけでなく、内部に挿入された複数の細い中庭に勉強する学生がいる風景を見て、プログラムを横倒しにした《せんだいメディアテーク》のようだったことが印象に残っている。だが、コロナ禍ゆえか、今回はその中庭が活用されていなかった。クラインブルーが鮮やかな図書館の大空間は変わらず気持ちいいが、レストランが閉鎖されていたのも気になった。


《山口情報芸術センター[YCAM]》(2003)



筆者が13年前に訪問した際の《YCAM》中庭スペース


山口県立美術館 特別企画展「Distance -ディスタンス」
期間:2020/10/31〜2020/12/21(会期変更)
会場:山口県立美術館

2020/12/05(土)(五十嵐太郎)

新しいタイプの図書館をまわる

[山口県、長崎県]

12月は《山口情報芸術センター》のほか、2つの新しいタイプの図書館建築を見学した。山口県の《周南市立徳山駅前図書館》と、長崎県大村市の《ミライon図書館》である。いずれも駅の近くに位置し、賑わいをつくる役割を担う。

前者の《徳山駅前図書館》(2014)は駅舎と並行しており、内藤廣が宮崎県の《日向市駅舎》や《福井県年縞博物館》などで得意とする120mに及ぶ細長い建築だ。プログラムとしては、1階は蔦屋書店とスターバックス・コーヒー、2・3階は図書館、そのほかキッズライブラリー、市民活動支援センター、交流室などが入る。三層の図書館の各レベルから大きく張りだすテラスが特徴であり、気持ちよい空間だ。ここから駅前広場を見渡すことができる。


駅舎と並行している《徳山駅前図書館》(2014)の外観



《徳山駅前図書館》内部。階段脇にはプリントされたフェイクの本棚が



《徳山駅前図書館》の外階段から見た細長いテラス


近年、地方都市の駅に近い公共建築が健闘しているが、これもそのひとつだろう。なるほど「賑わい交流施設」をうたうだけあって、周囲の寂れた商店街と対照的に多くの人が集まる。それにしても、佐賀県の《武雄図書館》をはじめとして、蔦屋書店とスターバックス・コーヒーの組み合わせは、2010年代における公共施設の新しい風景として完全に定着した。今後これに代わるモデルは登場するのだろうか。



徳山駅前の寂れたアーケード商店街

佐藤総合計画が手がけた《ミライon図書館》(2019)は、カタカナとアルファベットと漢字を組み合わせたキラキラネームが気になるが、JR大村駅から歩いて3分ほどの複合施設である。県庁所在地ではない地方都市としては、かなり立派な建築だった。これも部分的にリニアーな構成をもつが、ゆるやかに弧を描くヴォリュームの内部では、細い柱が並ぶ大スパンの吹き抜けにおいて、段状の図書空間がダイナミックに展開する。奥の閉架書庫に耐震性能をもたせることによって、見事に開放的な室内を実現したものだ。



ゆるやかに弧を描いた《ミライon図書館》(2019)


小さいエントラスから入ると、巨大な船底天井をもつ吹き抜けに包まれ、思わず視線は上を向く。平面の形状は、末広がりである。また象徴的な大屋根は雨水を集めて、ランドスケープに供給するという。プログラムとしては、1階(児童書やおはなしのへや)、2階(学習スペース)、3階(開架・閲覧スペース)でゾーニングを行ない、天井が高いために、個別の書棚には照明装置も付く。1階のギャラリーに沿って、奥に進むと、郷土資料を展示する歴史資料館もある。ここはカフェも併設されているが、蔦屋書店やスターバックスに頼ることなく、気持ちよい公共建築を実現していた。



吹き抜け部分の巨大な船底天井が目を引く



高い天井には県産の木材が使われ、各書棚には照明装置が付けられている

2020/12/05(土)(五十嵐太郎)

横浜の3つの建築展をまわる

[神奈川県]

横浜にゆかりがある3人の建築家の展覧会が同時期に開催された。横浜市市庁舎の新旧を担当した2人の巨匠を組み合わせた「M meets M 村野藤吾展 槇文彦展」(BankART KAIKO、BankART Temporary)と、倉敷から巡回した「建築家・浦辺鎮太郎の仕事展・横浜展 都市デザインへの挑戦」(横浜赤レンガ倉庫)である。

BankART KAIKOの「村野藤吾展」は、以前の村野展にも出品されていたビルやホテルなどの模型が再び並んでいたが、今回のポイントは、やはり《横浜市旧市庁舎》に関する図面や映像だろう。特に手描きによって、原寸大で描かれたドア・ノブや照明のドローイングが味わい深い。なお《旧市庁舎》は、保存されるかどうかが注目されていたが、星野リゾートがホテルにリノベーションすることになり、幸い解体されないことになった。今後、どのように再生されるか期待したい。



「村野藤吾展」の展示風景より


BankART Temporaryの「槇文彦展」は、1階の吹き抜けにおいて《横浜市新市庁舎》の超大型の断面図や細部で使われた素材、横浜近郊のプロジェクト群、そして《ヒルサイドテラス》の試みを紹介する。そして3階では、アメリカや中国など、海外の作品や、これまでの国内の代表作の模型とパネル群を展示していた。改めて、彼の作品の実物をけっこう見ていたことを確認する(欲を言えば、《岩崎美術館》も入れてほしかった)。なお、林文子市長の意向により、2020年に開催予定だったオリンピックに間に合わせるように急いで完成させた《新市庁舎》は、室内化された広場やストリート、そして川沿いのデッキなどを備え、立体的な都市空間を内包している。



BankART Temporary1階の吹き抜けに展示された槇文彦のプロジェクトたち



槇文彦による代表的建築群の模型



槇文彦が手掛けた《横浜市新市庁舎》の外観

さて、これらの「M meets M」展がわりとあっさりしていたのに対し、浦辺鎮太郎の展示は、リサーチを踏まえ、大学時代や若き日の貴重な資料とともに、多面的な切り口を提示し、濃厚な内容だった。彼の独特なかたちも面白いのだが、大原總一郎の意志を継ぎ、一連の建築プロジェクトを通じて倉敷の街を形成してきた浦辺の軌跡と、横浜の都市デザインとの接点も紹介されていたことが印象に残った。

なお、彼は横浜で《横浜開港資料館》や《大佛次郎記念館》などを手がけている。また、アーティストによる倉敷の鳥瞰図や、デザイン・サーヴェイの図面など、浦辺本人から少し引いた展示が組み込まれていたことも興味深い。本展は、浦辺の生涯の作品を網羅的に紹介していたが、個人的には《黒住教新霊地神道山大教殿》のスケッチ、ドローイング、模型を見ることができたのがよかった。



浦辺鎮太郎による卒業設計の図面など



浦辺鎮太郎が構想した倉敷の都市デザイン


浦辺鎮太郎による《黒住教新霊地神道山大教殿》の模型

M meets M 村野藤吾展
会期:2020/10/30~2020/12/27
会場:BankART KAIKO

M meets M 槇文彦展
会期:2020/10/30~2020/12/27
会場:BankART Temporary

建築家・浦辺鎮太郎の仕事展・横浜展 都市デザインへの挑戦
会期:2020/11/14〜2020/12/13
会場:横浜赤レンガ倉庫1号館

2020/12/08(火)(五十嵐太郎)

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2021年01月15日号の
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