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豊嶋康子 発生法─天地左右の裏表

2024年03月01日号

会期:2023/12/09~2024/03/10

東京都現代美術館[東京都]

豊嶋の作品はこれまで個展やグループ展で何度か見て、そのたびに一発ネタみたいに楽しんでいたけど、いつまでこんなこと続けられるのかと密かに心配もしていた。それが30年以上も続き、とうとう現代美術館で個展まで開くことになってしまったとは、月並みだが「継続は力なり」というか、現代美術館がいよいよ現代美術館らしくなってきたというか。それにしてもこうして30余年の仕事を通覧してみると、一発ネタの寄せ集めが壮大なひとつの謎かけのように思えてくるから不思議だ。

ぼくが最初に豊嶋の作品を見たのは、確かプラスチックの三角定規や分度器を熱して目盛を歪ませた《定規》や、左右が赤と青に分かれた鉛筆の中心付近を削って両者の結合部を見せる《鉛筆》あたりだったと思う。1990年代後半のことだ。こんなのをつくるのは、きっとデュシャンのようないたずら好きか屁理屈野郎に違いないと思った(が、ぜんぜん違った)。デュシャンを思い出したのは「メートル原器」を茶化したような作品があるからだが、それだけでなく、たとえば《鉛筆》における赤と青の結合のように、そこにエロスを感じたからだ。

その後も、証券会社や銀行に口座をつくってその記録を公開する《ミニ投資》(1996-)や《口座開設》(1996-)、小学校から高校までに受け取った自分の通知表や表彰状などを開陳する「発生法」シリーズなどを発表。これらは露出趣味に捉えられかねないが、われわれ見る側の覗き見趣味をくすぐるという意味で、やはりデュシャンに通じるものがある。

これらと似たものに、自分宛の郵便物に書かれた自分の名前を切り抜いて紙に貼った《書体》(1999)という作品もある。縦書きと横書きの2点あり、それぞれ数百筆の「豊嶋康子」が並んでいる(「豊島」という誤記も多い)。ひょっとしたらぼくの筆跡もあるかもしれないと探してみたら、あった。しかも3筆も。こんなにたくさんあっても自分の字は見分けられるもんだとわれながら感心する。関係ないけどね。



豊嶋康子《発声法2(表彰状コレクション)》(1998)[筆者撮影]


以上は20世紀の仕事だが、ここまでは既製品に少し手を加えたり、記録や記念品を並べたりするだけの「つくらない」作品が多かったのに対し、21世紀に入ると、新聞に載った容疑者の似顔絵に髪を加筆して後頭部に描き変えたり、パネルの裏側に余計な骨組みを増やしたりといったように、「つくる」作品が増えていく。ふつう作品は「つくる」ものなので、より作品らしくなったわけだが、その代わり、なんでこんなものをつくるのか制作意図がわかりにくい作品も増えていく。それが作者の意図なのかもしれないが。

そんななかでもわかりやすく、また豊嶋には珍しく祝祭的で楽しそうな作品が《固定/分割》(2009-)だ。要するに「くす玉」。自身の解説によると、「(略)展覧会終了後、搬出時に溜め込んだ息を吐くかのごとく(私が)、くす玉を割る(私が)。垂れ幕と紙吹雪と紙テープが落ちてくる」。ほかの作品解説がそっけない記述に終始しているのに、これだけは自虐的な喜びにあふれているのだ。やっぱりいたずら好きの一発屋だったりして。


豊嶋康子《固定/分割》[筆者撮影]


豊嶋康子 発生法─天地左右の裏表:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/toyoshima_yasuko/

2024/01/31(水)(村田真)

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