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キース・ヘリング展 アートをストリートへ

2024年03月01日号

会期:2023/12/09~2024/02/25

森アーツセンターギャラリー[東京都]

1982年の12月末、当時ぴあの社員だったぼくは社長に呼び出され、ニューヨーク出張を告げられた。その年に創刊した『ぴあ』の姉妹誌『月刊カレンダー』の売れ行きが思わしくなかったので、翌年リニューアルすることになり、表紙にキース・ヘリングを起用するとともに、1号目の特集としてこのニューヨークのアーティストとグラフィティを取り上げようということになったのだ。ぼくはもちろんキース・ヘリングのことは知っていたし、その年の秋ヨーロッパを初めて訪れ、ドクメンタ7で実際に作品も見ていたので、喜んで引き受けたのはいうまでもない。

ニューヨークに着くとさっそくキースのスタジオへ。インタビューしていて気づいたのは、「コーズアイ(Cause I)」という言葉で話をつないでいくこと。「(こういうことをした)なぜなら私は(こうだから)」と、自分の行動に理屈をつけて正当化し、普遍性を持たせようとするのだ。たとえば、「地下鉄に絵を描き始めた、なぜならたくさんの人に見てもらいたいから、なぜなら美術館やギャラリーには限られた人しか来ないから」とか、「ぼくの絵はシンプルだ、なぜなら素早く描くから、なぜなら捕まらないためだ」といったように。こうした論法は欧米では当たり前かもしれないが、感覚的な言葉や私的なエピソードが多い日本のアーティストにはなかったもので、説得力があった。

夜になると地下鉄に乗って「サブウェイ・ドローイング」に密着取材。電車のなかからホームを見回し、広告掲示板の黒いスペースを見つけると駆け寄り、チョークを取り出してささっと描く。当時、広告掲示板にポスターが貼られていないときは黒い紙が貼ってあり、それをキャンバス代わりに描いていたのだ。ものの1、2分で描き終えたら一目散に去っていく。それを写真に撮って追いかけていくぼく。そんなことを何回も繰り返した。

1980年代前半のニューヨークの地下鉄は暗い、臭い、危険の3Kで、夜乗ったら身ぐるみ剥がれるとか、カメラを出したら盗られるとか言われていたのに、夜中カメラ丸出しで乗っていた。しかもまだスマホはおろかデジカメもなかったから、ニコンの重い一眼レフを抱えて、いちいちピントや露出を合わせて撮っていたのだ。

前置きが長くなったが、展覧会の導入部に掲げられている20余点の写真はそのとき撮ったものだ。この1週間ほどの出張期間中に、キース・ヘリングおよびニューヨークのグラフィティを写したポジフィルム300余点は、数年前に山梨県の中村キース・ヘリング美術館に収められ、今回ほかのコレクションとともに出品されたというわけ。



キース・ヘリング展 会場風景 [筆者撮影]


展示は写真に続き、7点の「サブウェイ・ドローイング」が並ぶ。これらはキースが主に1980年代前半に描いたもので、全部で数百点あるいは数千点に及ぶかもしれないが、おそらく99パーセントは消されたり破られたりしただろう。彼は作品の行方に頓着しなかったし、お金にも変えたくなかったので、消えるに任せていたし、それが彼の望みだったはず。だから現在残っている「サブウェイ・ドローイング」は、破棄される前にだれかが私物化したり転売目的で剥がしたもので、それはより多くの人たちに楽しんでもらいたかったキースの願いとは裏腹の行為なのだ。現在バンクシーが直面しているジレンマを、キースは40年も前に経験していたのだ(もっともバンクシーはそのジレンマを逆手にとって楽しんでいるが)。

「サブウェイ・ドローイング」に続いて、《男性器と女性器》(1979)《無数の小さな男性器の絵》(1979)という2点のドローイングが目を引いた。最初期の学生時代の作品で、タイトルどおり性器をラフなタッチで描いたものだ。キース・ヘリングといえば明るいポップな絵で子供にも親しまれているが、実は性器もよく描いていたし、彼自身ゲイでHIVに感染し、エイズ撲滅運動にも参加していたので、性に関しては想像以上にオープンだった。そんな意外性も魅力のひとつだ。

その後の展示はみんなが知っているような作品ばかりなので省略。最後に、ぴあがコレクションしている軸装の墨絵と、キースの絵を表紙にした『カレンダー』誌が並んでいた。こうしてみると、40年以上も前にキース・ヘリングに目をつけ、雑誌の表紙に起用したぴあの矢内社長は先見の明があったんだとあらためて思う。『カレンダー』はコケたけど。


キース・ヘリング展 アートをストリートへ:https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/keithharing/

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