artscapeレビュー
高嶋慈のレビュー/プレビュー
鈴木理策写真展「意識の流れ」
会期:2016/04/16~2016/06/26
田辺市立美術館[和歌山県]
「Sakura」、「Étude」、「White」、「海と山のあいだ」の4つのシリーズで構成される本展。昨年、東京オペラシティアートギャラリーで開催された同名の個展を筆者は見ているが、本展では出品数を絞り、最新シリーズ「水鏡」は分館の熊野古道なかへち美術館に分けて展示することで、写真家のエッセンスをより凝縮して感じることができた。
とりわけ「Sakura」シリーズに顕著にみられる特徴が、浅い被写界深度とピントの操作による遠近感の撹乱と視覚的酩酊である。空間的には手前にある桜の花は曖昧にボケた白い色面となって浮遊し、ピントの合った遠くの枝は細部まで鮮明に像を結ぶため、むしろ手前に突出して見えてくる。そうした作品の構造を動的に提示しているのが、雪の結晶を捉えた映像作品《Sekka》である。水槽のような箱型のモニターをのぞき込むと、限定された狭い視野、ピント面の操作によって、結晶の像はクリアな輪郭を結んだかと思うと、たちまち溶けだすように曖昧にぼやけていく。水面を模したモニター面のさらに奥に、仮構的な透明の面が無数に存在するかのような深遠が錯覚される。
また、「White」シリーズでは、雪の「白さ」はその極点で印画紙の滑らかな表面の地色と溶け合って同化し、意味と物質の境界は弁別不可能になる。
一方、「海と山のあいだ」シリーズが展示された一室では、海辺から岩場、深い木々の間に顔をのぞかせる池などを写した写真群が、視覚的変奏をもたらすように配置されている。それは空間的、時間的な連続性ではなく、写真の視覚における連続性である。穏やかな波を縁どるキラキラとした光の粒は、淡くぼやけた白い円の重なりとなって浮遊し、円のイメージは森の中の池の波紋と共鳴し、浜辺に打ち寄せる波の曲線と響き合い、太い木の根や岩場の洞窟に開いた暗い穴へと姿を変えた後、その極点で日輪として出現する。そして再び、波に反射する無数の光の粒へと拡散していく。一部屋をぐるりと一周して連鎖的に展開し、クライマックスで闇から光への転調を迎えながら、円環状の完結へ。音楽にも似た連鎖と変奏が空間を満たしていた。
2016/06/25(土)(高嶋慈)
山田うん『バイト』
会期:2016/06/25~2016/06/26
ArtTheater dB Kobe[兵庫県]
前作『ディクテ』から5年振りとなる新作ソロ長編。『バイト』はヘブライ語で「家」を意味し、『ディクテ』の創作中に出会ったイスラエルの詩が基になっているという。テレサ・ハッキョン・チャが1982年に著した『ディクテ』は、冷戦構造下で強まる軍国主義体制から逃れるために韓国からアメリカへ移住した自身の経験と、日本の植民地支配により母語を剥奪された母親の記憶が重ねられ、母語の外への移動と異言語の学習が伴う身体的苦痛が、英語、フランス語、ハングルや漢字の挿入など多言語を駆使して記述されるテクストである。この異種混淆的なテクストをダンスに置き換えた山田の公演は、『ディクテ』冒頭に登場する「フランス語の書き取り練習」の再現で始まり、バッハのマタイ受難曲、韓国のパンソリ、日本の唱歌など、複数の言語で歌われる楽曲とともに踊り、観客に向けて語る身体と踊る身体、2つの主体のズレを接合させようとするなど、言語的な仕掛けが強いものだった。
一方、本公演『バイト』では、言語的な要素はより抑えられている。代わりに特徴的なのが、音響的分裂と多重化である。弦楽器の優雅な調べ/中近東のエキゾチックな歌唱/ガヤガヤと聞き取れない話し声/ピアノの音……。そこへ、機関銃か激しい放電を思わせるビートがかぶせられ、山田の身体も同じくらいの熱量を発して激しく踊る。複数の音響の多重化にかき回されるように踊る身体。官能的な陶酔、歓び、怒り、挑発、そして祈りのように差し伸べられる手。この、激しい感情を抱えた踊りは、『ディクテ』でも同じだった。魅了される熱狂の渦の中から、観客席への鋭い一瞥が矢のように飛んでくる。自己の内部への没入と、外へ向かう意識をパルスのように同時に発しながら踊る山田は、しかし優れたユーモアも持ち合わせている。
本作では、激しいダンスの熱を静めるかのように、見立てを駆使して想像力が広がるようなシーンが展開された。綿菓子のような白いふわふわの塊を手にした棒から吊り下げ、一緒に舞台上を散歩するようなシーンでは、朝焼けのように移り変わる美しい照明とあいまって、子どもの無邪気な遊びが、世界の創造へと変貌するような感覚を覚える。一方、ジョウロを背中に背負って登場したシルエットは、機関銃を背負っているようにも錯覚され、どきりとさせられる。遊戯的な連想と、激しく身を蕩尽するダンスと、観客への挑発が入り混じり、深い余韻を残す公演だった。
2016/06/25(土)(高嶋慈)
1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生きぬいた作品
会期:2016/05/21~2016/07/03
兵庫県立美術館[兵庫県]
タイトルが端的に示す通り、1945年をまたぐ前後5年間(日中戦争の長期化、第二次世界大戦勃発を経た1940年~占領下での復興が進む1950年までの11年間)の美術を、4つの時代区分と11のセクションで紹介する企画。1940年~1942年頃(「モダンと豊かさの終焉」、「植民地、「満州国」、占領地」)、1942年頃~1945年頃(「軍隊と戦争」、「南方」、「大きな物語とミクロコスモス」、「戦地から内地へ」、「銃後と総力戦」)、1945年~1946年頃(「自然と廃墟」)、1947年頃~1950年(「労働、世相、女性」、「前衛の復興」、「戦争回顧」)で構成されている。
1945年の敗戦を境として戦前/戦後を区切って断絶させず、連続性のもとで捉える視座は、戦後70年にあたる昨年に各地で集中的に開催された企画展、例えば「20世紀日本美術再見 1940年代」(三重県立美術館)、「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」(名古屋市美術館)、「戦後70年:もうひとつの1940年代美術」(栃木県立美術館)においても共有されていた。本展の特徴は、戦前~敗戦後の美術を継続的な相として捉えることで、モチーフ、絵画様式、イデオロギーにおける外面的な変化/潜在的な同質性を浮かび上がらせている点にある。
とりわけキー・ポイントとなるのが、各セクションをまたいで定点観測的に登場する作家たちの存在だ。例えば、「モダンと豊かさの終焉」のセクションに配置された松本竣介《街(自転車)》(1940)は、洋装で闊歩する女性像や近代的な街並みを詩情漂うコラージュ風に描いているが、「自然と廃墟」のセクションに配された《Y市の橋》(1946)では、横浜大空襲で剥き出しになった建造物が、荒いタッチや褐色の色彩で描かれる。また、「大きな物語とミクロコスモス」のセクションでは、靉光、桂ユキ子(ゆき)、寺田政明らの緻密に描写された静物画の密度が、和田三造《興亜曼荼羅》(1940)や中山正實《海ゆかば》(1944)などにおけるイデオロギーに奉仕した大画面の書き割りのような薄っぺらさと対照的に迫ってくるが、中でも杉全直の作品群は、時代的要請と内的葛藤をよく示している。威圧感と不穏さを醸し出す巨大な岩が占める画面下部に、一列に並ぶ人物の頭部と繊細な植物が描かれた《土塊》(1942)の幻想性。シュルレアリスムの弾圧後は、戦闘機の整備兵や学徒出陣を写実的なスタイルで描くが、《出陣》(1944)で万歳を叫ぶ若い兵士たちの顔は茶褐色に塗り込められ、表情は定かでなく、亡霊のようだ。そして、「戦争回顧」に配された《無題(風景)》(1947)では、幻想的な細密描写に回帰し、広大な荒地に兵器の残骸や植物のような形態が有機的に絡み合う。
また、「銃後と総力戦」に配された向井潤吉の《坑底の人々》(1941)に描かれた鉱山で働く男たちと、「労働、世相、女性」に配された向井の《まひる》(1946)の漁師たちは、薄暗い地底/明るい海辺という対照性の中に、銃後を支える勤労戦士/復興の象徴としての労働の同質性を浮かび上がらせ、「勤労」という主題の奉仕先が変わっただけであることを示している。また、香月泰男の《水鏡》(1942)と《埋葬》(1948)の2作品は、応召、「満州国」のハイラル駐屯、シベリア抑留という経験をあいだに隔てて描かれたものだが、水槽/墓穴の矩形という幾何学的構成、頭を伏せてのぞき込む人物、画面外から侵入する植物の点景など、構図において同質性を見せ、画家の造形的関心が継続していたことを示す(シベリアでの戦友の埋葬を描いた《埋葬》から遡行的に《水鏡》を見るならば、《水鏡》において坊主頭の少年がのぞき込む青暗い水面は、死の静寂の世界だろうか)。
さらに、沖縄の風景や風俗を鮮やかに描いた前田藤四郎の版画に加えて、「植民地、「満州国」、占領地」「南方」のセクションでは、朝鮮半島、「満州国」(ロシア語・中国語・日本語の看板が混在したハルビンの多言語的状況、ロシア正教会や墓地、「蒙古人」のスケッチ)、ベトナムやカンボジアの南国風景や要人の肖像を描いた作品などが出品されている。エキゾチックな異国情緒への画家の憧れと、「帝国」の支配的欲望がない交ぜとなって、領土の物理的所有の代行としてのイメージの収集が推し進められていたことがよく分かる。
そして、本展の白眉と言えるのが、最後を飾る展示室。わずか3点の出品作で組み立てたミニマルな空間構成ながら、表象の過剰さと非スペクタクルな空間演出が拮抗を見せ、「犠牲者」の表象や記憶の継承について、「戦争」と「戦後」の関係をめぐる係争点を出現させている。暗く照明が落とされ、がらんとした展示室の左右の壁で向き合うのは、丸木位里・赤松俊子(丸木俊)の《原爆の図 第1部 幽霊》(1950)と、《原爆の図 夜》(1950)である。ただし、四曲一双の屏風形式をとる《幽霊》の8つの面に対し、続く第2部として着手されながら未完に終わった《夜》は、描き込みの密度こそひけをとらないものの、右隻の2面しかない。焼けただれた人体の過剰な描き込みの密度と対置された、何もないガラスケース内の空白。「表象の不在」と「物理的空白」が充満したその場所は、表象の不可能性と喪の空間を体現し、剥き出しの暴力が「安全なガラスケース」の中に保護され、眼差しに晒されることへの抵抗を示す。
一方で、1950年に最初の三部作が発表された《原爆の図》で締め括られる本展は、(未だGHQの検閲下に置かれながらも)戦争体験の回顧・表象化を可能にする心理的段階に入ったことを示すとともに、「(国民が背負わされた)悲惨な被害の歴史」という単一のディスクールによって戦争が記述されることの開始も告げている。ここで注目したいのが、浜田知明のエッチング作品《聖馬》(1950)が《原爆の図》とさらに並置された展示構成である。見る者の感情をかき立てずにはおかない《原爆の図》の大画面とは対照的に、慎ましやかなこの小さな作品では、荒涼とした大地に巨大な十字架が立てられ、一匹の馬が磔刑に処されている。視線よりもあえて高めの位置に展示され、聖像を仰ぎ見るように鑑賞者の視線を上方へと強制的に導く《聖馬》は、「平和の礎となった受難の犠牲者」というディスクールを補強するように働きかける。だが同時に、「馬」が磔刑にされた荒涼とした大地が大陸のそれを想起させることに考えを至らせれば(浜田は東京美術学校卒業後、陸軍に入隊して中国戦線に送られ、自身の経験や目撃した悲惨な情景を《初年兵哀歌》シリーズで絵画化している)、「被害の歴史」への一面的な回収を拒み、「戦争という受難の犠牲者」の表象を多面的に捉え直すことが要請されているのではないか。
2016/06/25(土)(高嶋慈)
したため#4『文字移植』
会期:2016/06/10~2016/06/13
アトリエ劇研[京都府]
スゥーッと息を吸い込む音が、暗闇に響く。肺に息を吹き込む、発語の準備。闇の中から、口々に声が響いてくる。一つひとつの単語は日本語でありながら、順序の整合性を欠き、分裂した文章として差し出される。「において、約、九割、犠牲者の、ほとんど、いつも、地面に、横たわる者、としての……」。本公演は、ドイツを拠点に、日本語とドイツ語の両方で執筆活動を行なう作家・多和田葉子の初期作品『文字移植』(1993、『アルファベットの傷口』より改題)を、「演劇」として俳優の発話する身体に「移植」する試みである。
多和田の『文字移植』の特異な点は、ある小説を「翻訳」するために、カナリア諸島の島に滞在した翻訳家(「わたし」)の視点から綴られる文章に、「翻訳」中の文章がたびたび挿入されるという二重構造である。かつ、「翻訳」中の文章は、原文のドイツ語の語順のまま、読点で区切って並べられ、日本語の安定した文法構造をかき乱す(一方、「わたし」視点の地の文には読点がいっさいないというねじれや圧迫感を抱えている)。「翻訳」という行為がはらむ力学や摩擦は、身体的な違和感となって翻訳する「わたし」の身体を脅かし、肌のアレルギー症状や奇妙な痛みとして感覚される。さらに、キリスト教徒に征服された島の歴史、バナナ農園、聖ゲオルクのドラゴン退治を扱った原文の小説など、『文字移植』には、ポストコロニアルと男性中心主義への批評が何重ものメタファーよって仕掛けられている。この多層的な小説を、どう演劇へと「移植」するのか。
本作が秀逸なのは、まず、美術作家・林葵衣による舞台美術である。林はこれまで、「声を保存する」というコンセプトの下、唇に絵具を付けて支持体に押し付け、発語した時の唇の形を魚拓のように写し取る作品をつくってきた。それは、発語された途端に消え去る声という儚く非物質的な存在を、唇の形の痕跡として変換・可視化する試みであり、それ自体ひとつの「移植」である。本公演では、4人の俳優と観客席を隔てて、4枚の透明なアクリル板が吊るされた。この装置は、舞台の進展とともに、複数の意味へと変容していく。それは、「わたし」が外を眺める「窓」であり、静止した俳優の身体を「肖像画」として切り取るフレームであり、ドアやバナナ園の壁など物質的な境界であるとともに、心理的な障壁にも変貌する。さらに、俳優たちは白い口紅を唇に塗ると、一音ずつ発語しながら、唇を透明な板に押し付けていく。
白い吐息のようにも見えるそれは、しかし息や声のようには消滅せず、時間の進展とともに、読めない波形の文字のように蓄積されていく。ここで、アクリル板は、発語された音の痕跡を残す透明な支持体であるとともに、擬似的な「鏡」の役割を果たす(実際に、光の反映によって観客の姿を映し出し、舞台上に取り込みさえする)。
異言語との接触がもたらす、テクストの構造的分裂。「わたし」もまた内部に分裂を抱え、それは4人の俳優の発語によって分担/分断されるモノローグによって加速される。異物として体内に侵入する異言語、言語からの物質的抵抗を受けた身体。それは滑らかな発語を妨げ、俳優の身体を硬直させる。「い、け、に、え、」と発音する唇が、アクリル板に押し付けられる。だが、「いけにえ」「犠牲者」とはいったい誰なのか。
ここで示唆的なのが、「バナナ」に込められたメタファーの重層性である。実物のバナナを用いた演出は、様々な連想を呼び起こす装置として機能していた。それは、かつてキリスト教徒の支配を受けた島において、ポストコロニアルな経済構造の中での外貨獲得のための「商品」であり、ドラゴン=異教徒を退治する「聖ゲオルク」が振り回す武器であり、彼が象徴する男性中心的なキリスト教西洋社会の支配原理の攻撃性であり、さらに、男性器を思わせるバナナの形状は、「わたし」を脅かす男性たちの代替物となる。
「犠牲者」という単語は、ドイツ語では「O」の字で始まる(Opfer)。紙面を蝕む、「O」のかたち。それは、空虚な穴であり、犠牲者が沈黙の叫びをあげる口のかたちなのかもしれない。ドイツ語から日本語へ、書かれたテクストから生身の身体が発語する演劇へ、エフェメラルな音声から物質的な痕跡へ。何重もの「移植」が行なわれる本公演では、冒頭と終盤、この「O」の発語をめぐって、テクストへの介入と音声的な解体が企てられていた。「海は遠おぉぉぉぉーい」と異常に引き延ばされる母音。それは、「日本語」の中に「ドイツ語」の断片を暴力的に接続させ、意味を撹乱させるとともに、「わたし」が脱出を企てる海の、海鳴りの轟きをも連想させる。俳優の身体表現と声、舞台装置によって、テクストの密度が音響的・立体的に立ち上がり、「テクストは平面ではない」ことが身体的に了解された、優れた公演だった。
2016/06/12(日)(高嶋慈)
大石茉莉香個展 (((((事実のゲシュタルト崩壊))))))
会期:2016/06/07~2016/06/12
KUNST ARZT[京都府]
大石茉莉香はこれまで、崩壊する世界貿易センタービルや市街地を飲み込む津波など、メディアを通して大量に複製・流通した報道写真を極端に引き延ばし、銀色のペンキでドットを描いて覆うなど画像に物理的に介入することで、それらがドットやセルの集積でできた皮膜にすぎないことを露呈させ、不透明な物質性へと還元する絵画制作を行なってきた。本個展では、原爆のキノコ雲の写真を壁いっぱいに拡大してプリントし、オブラートで覆って、塩酸を塗りつけて溶かしていくライブペインティングが行なわれた。防護服とマスクを身に付けて臨む、危険な作業である。
塩酸によって溶けたオブラートは、ただれた膜となって表面にへばりつき、黒いインクも溶けて剥がれ落ち、紙の地色の「白」がところどころ露出している。その様は、熱線によって焼けただれた皮膚を想起させる(塩酸は、皮膚にかかると火傷の症状を引き起こす)とともに、それらが「インクの物質的な層がのった脆弱な表面にすぎない」という端的な事実をあっけらかんと露呈させている。痛ましい連想と、感情を挟む余地のない事実のあいだで、見る者は引き裂かれる。また、オブラートという素材の使用も示唆的だ。「オブラートに包む」という言い回しは、事実の婉曲的な表現、さらには情報の隠蔽や統制を連想させる。原爆投下の事実を当時の日本政府や軍部が隠蔽していたこと、そして3.11の原発事故においても情報の非公開があったこと。同様の構造の反復へと連想は広がっていく。大石は、原爆を投下した側からの特権的な視点でありつつ、既に私たちが慣れ親しみ、広く流通した「原爆のキノコ雲」という写真的経験を、文字通り溶解させ、不気味で「触れられないもの」へと再び変貌させることで、メディアに流通する映像の視覚的経験とは何かを問うている。
一方、何も描かれていない白いキャンバスをオブラートで覆い、同様に塩酸で溶かした作品は、戦後美術の反絵画的な試みを想起させ、美術史的な文脈への接続としても解釈できる。そこでは、炎で表面を焦がす、穴を開ける、切り裂く、破るなど、「絵画」という権威的・保守的な制度に対する攻撃が、キャンバスという物理的身体に直接的に加えられる暴力として顕現していた。大石によって溶かされた白いキャンバスは、そうした生々しい暴力性を増幅して見せるとともに、溶けて固まった透明なしずくがキラキラと光を反射する様は、「白」という単色の色彩とあいまって、審美的な静謐さを差し出してもいた。
2016/06/12(日)(高嶋慈)