artscapeレビュー
山田うん『バイト』
2016年07月15日号
会期:2016/06/25~2016/06/26
ArtTheater dB Kobe[兵庫県]
前作『ディクテ』から5年振りとなる新作ソロ長編。『バイト』はヘブライ語で「家」を意味し、『ディクテ』の創作中に出会ったイスラエルの詩が基になっているという。テレサ・ハッキョン・チャが1982年に著した『ディクテ』は、冷戦構造下で強まる軍国主義体制から逃れるために韓国からアメリカへ移住した自身の経験と、日本の植民地支配により母語を剥奪された母親の記憶が重ねられ、母語の外への移動と異言語の学習が伴う身体的苦痛が、英語、フランス語、ハングルや漢字の挿入など多言語を駆使して記述されるテクストである。この異種混淆的なテクストをダンスに置き換えた山田の公演は、『ディクテ』冒頭に登場する「フランス語の書き取り練習」の再現で始まり、バッハのマタイ受難曲、韓国のパンソリ、日本の唱歌など、複数の言語で歌われる楽曲とともに踊り、観客に向けて語る身体と踊る身体、2つの主体のズレを接合させようとするなど、言語的な仕掛けが強いものだった。
一方、本公演『バイト』では、言語的な要素はより抑えられている。代わりに特徴的なのが、音響的分裂と多重化である。弦楽器の優雅な調べ/中近東のエキゾチックな歌唱/ガヤガヤと聞き取れない話し声/ピアノの音……。そこへ、機関銃か激しい放電を思わせるビートがかぶせられ、山田の身体も同じくらいの熱量を発して激しく踊る。複数の音響の多重化にかき回されるように踊る身体。官能的な陶酔、歓び、怒り、挑発、そして祈りのように差し伸べられる手。この、激しい感情を抱えた踊りは、『ディクテ』でも同じだった。魅了される熱狂の渦の中から、観客席への鋭い一瞥が矢のように飛んでくる。自己の内部への没入と、外へ向かう意識をパルスのように同時に発しながら踊る山田は、しかし優れたユーモアも持ち合わせている。
本作では、激しいダンスの熱を静めるかのように、見立てを駆使して想像力が広がるようなシーンが展開された。綿菓子のような白いふわふわの塊を手にした棒から吊り下げ、一緒に舞台上を散歩するようなシーンでは、朝焼けのように移り変わる美しい照明とあいまって、子どもの無邪気な遊びが、世界の創造へと変貌するような感覚を覚える。一方、ジョウロを背中に背負って登場したシルエットは、機関銃を背負っているようにも錯覚され、どきりとさせられる。遊戯的な連想と、激しく身を蕩尽するダンスと、観客への挑発が入り混じり、深い余韻を残す公演だった。
2016/06/25(土)(高嶋慈)