artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

ディミトリス・パパイオアヌー『THE GREAT TAMER』

会期:2019/07/05~2019/07/06

ロームシアター京都 サウスホール[京都府]

2004年アテネオリンピック開閉会式の演出を手がけたことでも知られる、ギリシャの演出家、振付家のディミトリス・パパイオアヌーの初来日公演。

舞台上には、黒く塗ったベニヤ板を重ねて敷き詰めたスロープが闇を背に設えられ、客入れの段階から、スーツ姿の男性パフォーマーがひとり、佇んでいる。幕が上がると男性は服を脱いで全裸になり、揃えた両脚を観客に向けて横たわる。別の男性パフォーマーが登場し、遺骸を覆うように白い布をかけて立ち去る。しばらくすると、もうひとりの男性パフォーマーが登場し、床から一枚のベニヤ板を剥がすと、手から離してパタンと落下させる。その風圧で、布は軽やかに宙を舞い、覆われていた裸体の全身が露わになる。すると再び、布をかけた最初の男性が登場し、床に落ちた布を拾って横たわる裸体を覆うが、2番目の男性が戻ってきて同じ行為を繰り返し、風で煽られた布はあっけなく「全裸の死体」をさらけ出してしまう。このシュールなやり取りが、無言のまま、次第に間隔を狭めて執拗に繰り返される。「足の裏をこちらに向けて横たわる、白布をかけられた男の裸体」は、短縮法を駆使してキリストの遺骸を描いたマンテーニャの《死せるキリスト》を想起させる。西洋古典絵画への参照、「死(体)」を超越しようとする欲望が駆動させる芸術という営み、露わにすることと隠すこと、行為の執拗な反復が生み出す時間感覚の変調やナンセンス、宙に浮遊する布が示唆する「重力との戯れ」など、本作のテーマが凝縮したシーンだ。

上述したマンテーニャのように、本作には、西洋美術史から抽出・引用した身体イメージが、次々と舞台上に召喚されていく。例えば、墓から復活したキリストの身体と、それを見守る3人のマリア。レンブラントの描いた《テュルプ博士の解剖学講義》。だが、キリストの輝かしい身体は、マリアたちが代わるがわる吹きかける「息」を受けてグニャリと歪み、解剖台の上の「死体」からは内臓が次々と取り出され、解剖台はカニバリズムさながらの狂乱の食卓へと変貌する。完璧にコントロールされた美とナンセンス、グロテスクと脱力したユーモアの共存。また、しばしば登場するのが、「頭部、上半身、左右の腕、脚」をそれぞれ異なるパフォーマーが担当し、露出以外の部分は黒子のように隠すことで、バラバラのパーツが接続されたキメラ的身体である。裸体を組み合わせてだまし絵的にドクロを形作るダリの写真作品を連想させるとともに、女性の身体に男性の身体が接合されたイメージは、錬金術やギリシャ神話における雌雄同体や両性具有を想起させる。あるいは、頭部、胴体、手足がバラバラに切断された遺体や双頭のシャム双生児を思わせるシーンは、ゴヤの版画「戦争の惨禍」の凄惨な戦場や、「フリークス」を見世物にしてきたサーカスやショーの歴史への言及を匂わせ、連想の輪は広がっていく。

地球儀のボールを抱えて虚空に浮遊させる男は、死の静寂で満たされた宇宙空間や重力への示唆とともに、アトラスを体現する。アダムとイヴ、キリストの磔刑、ピエタなどの図像群を経て、ラストシーンでは開かれた書物の上に頭蓋骨が置かれ、この世の儚さを説く「ヴァニタス画」が完成するなど、キリスト教美術や神話に基づく「死や(再)生」をめぐるイメージ群が散りばめられる。



[photograph by Julian Mommert]


パフォーマーの卓越した身体を使って、西洋美術やSF映画などから引用した「身体イメージ」を3次元化し、緻密な計算による構築と解体が次々に展開する──ワンアイデアだが、レファランスの多彩さ、次々と繰り出される小道具や衣装の仕掛け、スピーディーな展開により、約90分間、緊張感に満ちたテンションを維持し、飽きさせない。

パフォーマーたちはしばしば、サーカスの曲芸のように重力と戯れ、イリュージョニスティックな運動を繰り広げる。支えが無いかのように宙に浮く身体、無重力状態で浮遊するかのような石ころ、根の生えた靴底を天に向けて逆立ちで歩き、上下感覚や重力を失効させる男。ラストシーンでは、男が薄い紙に息を吹きかけ、宙に浮遊させ続ける。パフォーマーたちが戯れる「重力」は、物理的重力であると同時に、(ギリシャが起源のひとつである)西洋文化の重みというもうひとつの重力圏でもある。そこから逃れることはできず、優美に戯れ続けるしかないのだ。

なだらかな丘を形成する「積み重なった板」という舞台装置はまた、堆積した歴史的地層のメタファーでもある。パフォーマーたちは、その地盤に自在に空けられる「穴」や「開口部」から出入りし、落下し、あるいは巨大な子宮の割れ目から生命が誕生し、穴から死体の手足が掘り出される。だが、その地盤の下にある「抑圧された下部」は、観客の目には見えず、隠されており、時折、バラバラ死体のような悪夢的なイメージが噴き上がるのみだ。

「創世から死までの、時空を超えた人類の歴史」をコラージュ的に紡ぐ本作だが、それは西洋文化中心主義や偏重であり、その重力圏の重みと地層的厚み、そして抑圧構造を示唆しつつも、内実には深く踏み込まない。台詞が一切なく、レファランスは多いが広く流布したイメージであり、「既視感」に安心して寄りかかれること。その「わかりやすさ」からは、本作が世界ツアーの巡業を前提にしていることが明白である。



[photograph by Julian Mommert]


公式サイト:https://rohmtheatrekyoto.jp/lp/thegreattamer_saitama_kyoto/

2019/07/06(土)(高嶋慈)

木村悠介演出作品 サミュエル・ベケット『わたしじゃない』

会期:2019/06/27~2019/06/30

Lumen Gallery[京都府]

暗闇に浮かぶ「口」が「彼女」と呼ばれる者について断片的に語り続ける、サミュエル・ベケットの戯曲『わたしじゃない』を、独自の映像技術「Boxless Camera Obscura」を用いて演出した公演。木村演出の要はこの映像技術の使用にあり、『わたしじゃない』の上演史における革新性と映像メディアへの自己言及性、双方にまたがる射程を兼ね備えていた。異なる4人の俳優による4バージョンが上演され、(スタンダードな上演の)女優/男優、日本語/英語など、演出方法がそれぞれ異なる。私は伊藤彩里によるAバージョンを観劇した。

上演空間には、白いスクリーンが貼られた壁と相対して椅子が置かれ、口元の高さにはマイクとルーペ(凸レンズ)が、足元にはスポットライトが設置されている。黒いジェラバ(フード付きロングコート)で全身を覆われた俳優が椅子に座ると、暗転し、スポットライトが俳優の口元を照らす。その光はレンズを通して集められ、対面した壁に、倒立した「口」の映像が浮かび上がる。通常の「カメラ・オブスキュラ」の場合は、「暗い箱」の名の通り、ピンホールやレンズを通して、密閉された箱のなかに対象物の像が映し出される。一方、「Boxless Camera Obscura(箱なしカメラ・オブスキュラ)」では、対象物、レンズ、投影像が隔たりのない同一空間に存在し、「光源とレンズと焦点距離」という極めてシンプルな装置により、映像の原理的構造を体感することができる(凸レンズとロウソクを使った中学校の理科の実験を思い出してほしい)。木村は、映画前史の映像デバイスについてリサーチと実験を行なう過程で、この技術を発見したという。



SCOOLでの東京公演 [撮影:脇田友]


スクリーンに映る「口」は、拡大された倒立像であることもあいまって、グロテスクに蠢く不可解な生き物であるかのように、自律性を帯びて見えてくる。唾で濡れた唇、その奇妙に生々しい肉感、間からのぞく白い歯、洞窟のような口腔。普段は凝視しない、「発声器官」としての「口」の即物的な動きが強烈に意識される。時折映る鼻の穴は、暗い眼窩のようにも見える。俳優の身体が少し動くだけで映像はボケて不鮮明になる。発話する俳優の身体と映像の「口」は、光を通して繋がってはいるのだが、同時に別個の独立した存在として知覚される。生身の身体から「分離」されつつ光の紐帯によって繋がっている―この繊細な感覚は、ビデオカメラによるライブ投影では得られないだろう。純粋な光学現象によって得られる映像の美しさ、魔術性、危うい繊細さが体感される。

そして、こうした即物的な物質性や分裂/同一性を揺れ動く曖昧さは、戯曲の構造とクリティカルに結びつく。「口」が語り続ける内容は断片的で整合性を欠き、しばしば中断や否定を含み、意味内容の正確な把握は困難だ。だが、一見破綻した言葉の羅列を聞き続けているうちに、「口」の語る「彼女」とは、「口」自身のことではないかという疑念が頭をもたげてくる(以下の引用は、木村自身の翻訳による)。例えば、「……彼女は自分が暗闇の中にいるんだって気付いた……」「……彼女が何を言ってるんだかさっぱり!……」「彼女は思い込もうとした……(中略)全然自分の声じゃない……」「……そしたら彼女突然感じた……(中略)自分の唇が動いてるって……」「……体全部がまるでなくなったみたい……口だけ……狂ったみたいに……」といった台詞群は、「口」の語る「彼女」=「口」自身の置かれた状況との一致を示唆する。だがその一致の可能性は、「…なに?‥だれ?‥ちがう!……彼女!……」という、「口」自身が繰り返す激しい否定によって決定不可能な領域に置かれる。

また、生身の身体から切り離され、非人称化された「口」の映像は、「……それに唇だけじゃなくて……ほっぺた……あご……顔中……(中略)口の中の舌……そういう全部のゆがみがないと……喋ることはできない……でも普通なら……感じることなんてない……気を取られていて……何を話してるかってことに……」といった台詞とリンクし、発声器官としての即物性を強調する。

さらに戯曲中には、「……気付いた……言葉が聞こえるって…」「じっと動かず……空(くう)を見つめて……」といった台詞が示唆するように、ト書きに書かれた「聴き手」=「彼女」の一致の可能性も書き込まれている。ここで、俳優の衣装に改めて目を向けると、もうひとつの仕掛けがあることに気づく。木村は、「聴き手」の衣装として指定された「黒いジェラバ」を俳優にまとわせることで、「発話主体であり、同時に聴き手でもある」二重性をクリアしてみせた。



SCOOLでの東京公演 [撮影:脇田友]


三人称で語ることへの固執、何かの役を演じること(代理表象)と俳優自身の身体の二重写しとズレ、発声器官としての即物性、「自らの声」の聴き手でもある二重性。「口」=「彼女」=「聴き手」の一致と分裂。ここから照射されるのは、語る主体の問題、「わたしじゃない」存在を演じる俳優という演劇の原理的構造である。木村は、「Boxless Camera Obscura」という装置を秀逸にもベケットの戯曲に適用することで、語る俳優の身体を複数のレイヤーへとラディカルに解体しつつ、多重化してみせる。それは、「親の愛情を受けずに育ち、コミュニケーションから疎外された人生を送ってきた、70歳の孤独な老婆の分裂的なモノローグ」という表層のレベルを超えて、メタ演劇論としての戯曲の深層を照らし出す。「俳優の『口』以外を黒い幕で覆う」「ビデオカメラで『口』だけを映像化する」といった従来の演出ではなしえなかった境地に到達した。

演劇の原理的構造への応答という点では、ある意味「最適解」である解像度の高い演出ではあるが、本作の試みには、まだ未踏査の領域が残されている。それは、カメラ・オブスキュラ(及びその延長上にある映像)と窃視的な欲望との共犯関係、そこに内包されるジェンダーの問題である。ピンホール=覗き穴から見た光景を(内/外を逆転させて)拡大投影したような「口」の蠢きは、女性器のメタファーとしても機能し、エロティックな含意を帯びている。本作の「彼女」同様、例えば『しあわせな日々』のウィニーのように、女性の身体が被る拘束や抑圧的状況とどう結びつくのか。本公演の到達点の先には、さらなるクリティカルな可能性が広がっている。

2019/06/29(土)(高嶋慈)

明楽和記「PLAYGROUND」

会期:2019/06/14~2019/06/30

Gallery PARC[京都府]

「白いキャンバス」の空間的拡張としてのホワイトキューブに、カラフルに塗装された既製品や「単色」に還元した他者の作品を配置する行為を「絵画」と見なすことで、「絵画」の概念的拡張を試みてきた明楽和記。ホワイトキューブ内をスーパーボールが飛び交う軌跡をストロークと見なす、配置作品のセレクトをレンタル会社に任せるなど、そこには観客を身体的に巻き込む遊戯性やコントロールを手放す他律性が付随してきた。


「PLAYGROUND」と名付けられた本展では、公園の遊具を模した彫刻、動物の形をした構築物、アイスクリームが展示空間に持ち込まれ、ギャラリーが遊戯的な空間に変貌した。これまでの作品展開の延長線上に位置づけられる作品と、「絵画」を別の軸から問い直す新たな試みが混在し、全体として過渡期の印象を受けた。赤、黄、ピンク、緑、ブルーに塗り分けられた、公園の遊具を思わせる《sculpture》は、「空間に色を置く」行為を絵画と見なすこれまでの制作の延長線上にありつつ、「彫刻」へと反転させる。また、鑑賞者が6色のアイスクリームから好きな2色を選んで白いキャンバスの上に置き、アイスが溶けていくプロセスを「抽象絵画」とする《Melting Painting》は、「色の選択と配置」「他者の判断に委ねる」点ではこれまでの作品と共通するが、「白いキャンバス」が実体的存在として出現(もしくは回帰)したという点では、大きく逸脱する。それは、「絵画」というシステムを文字通り「融解させる」のか、あるいは偶然性や他律性の導入を装いつつ、システムの強化に寄与してしまうのか。両義的な危うさを孕む。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]


「実体的存在としての絵画」の出現は、キャンバスや木材の端材を組み合わせ、サイの形の立体物をつくりあげた《変形絵画》につながっていく。皮膚のように、木材の骨格を覆うキャンバスやパネル貼りされていないキャンバスは、具象の静物画、抽象画、心象風景的なイメージなど、複数の異なる画風が混在する。これらは、明楽自身が描いたものではなく、知り合いから譲り受けたものやリサイクルショップで購入したものだという。「不要」と判断された「絵画」たちが、骨格(木材)と皮膚(キャンバス)という物理的構造を露わにしつつ、廃墟か残骸のような生き物の姿を借りて亡霊的に出現する。封印してきた「絵画」への愛憎のような感情が一気に噴出し、コンセプト先行のこれまでの作品の裏返しのような衝動性を感じさせ、「絵画」をめぐる明楽の思考実験の今後の分岐点となるかもしれない。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]


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2019/06/29(土)(高嶋慈)

ヒューマンライツ&リブ博物館─アートスケープ資料が語るハストリーズ

会期:2019/06/14~2019/07/12

京都精華大学ギャラリーフロール[京都府]

1990年代初頭、「ダムタイプ」のメンバーやギャラリスト、演劇プロデューサーらが京都で設立したシェアオフィス「アートスケープ」。92年に古橋悌二がHIV感染を告白したことを機に、美術家や活動家、学生らがアートを通してエイズやセクシュアリティ、ジェンダー、人権について訴える社会運動の拠点となった。その関連資料を中心とした「架空の博物館」の構想が、本展タイトルの「ヒューマンライツ&リブ博物館」である。男性中心主義的な視点で語られてきた「歴史(His=彼の story=物語)」に対し、女性の視点から捉え直すべきだとする造語「Herstory」を拡張的に捉え、「既存の性を越境しようとする人々の物語」として読み直している。


「#そして私は誰かと踊る」(アートスケープ資料編纂プロジェクト)というコレクティブが、ビデオ、スライド、紙資料のデジタル化、インタビューを行ない、アーカイブ化と展示公開を進めてきた。古橋悌二の映像インスタレーション《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994)の修復を2016年に京都市立芸術大学芸術資源研究センターが企画したことを発端に、エイズ危機を含む当時の文脈を明らかにする必要性から、同センター研究員の石谷治寛が、資料を保管していたブブ・ド・ラ・マドレーヌ(ダムタイプ《S/N》パフォーマー)に相談し、資料のアーカイブ化を行なった。2018年には、森美術館にて椿玲子との共同企画で「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s─ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」展を開催。「そして私は誰かと踊る(And I Dance with Somebody)」は、AIDSの頭文字をクラブカルチャーと接続させて肯定的に読み替えた言葉遊びであり、94年に横浜で開催された「第10回国際エイズ会議」のキャッチフレーズとして使用された。




[撮影:石谷治寛 写真提供:京都精華大学ギャラリーフロール]


資料展示の軸として視覚的にも見応えがあるのは、アートスケープを拠点として展開された、「エイズ・ポスター・プロジェクト(APP)」と「ウィメンズ・ダイアリー・プロジェクト」である。APPでは、エイズを身近な問題と感じたダムタイプのメンバーや友人らが、HIV感染者への差別や偏見に抗議し、エイズについての啓発活動を行なった。国際エイズ会議への参加に加え、日本の行政が制作した既存の啓発ポスターを疑問視し、望ましいポスターを自分たちでつくるため、海外のポスターを収集した。APPが問題視した当時の日本の啓発ポスターには、「愛する人を守るために」といった漠然とした標語、骸骨化した赤ん坊のイラストに添えられた「未来に絶望を残さない」という文言、海外で買春するサラリーマンへの揶揄など、ポスター自体が差別を再生産する構造や「エイズ=外国人やセックスワーカーなど『見えない人々』の問題」とする排除の構造が透けて見える。一方、APPの制作物には、支援団体の連絡先やセーフ・セックスの方法など当事者が必要な情報を掲載。収集した国内外のポスターが壁を覆い尽くすように展示された。



[撮影:石谷治寛 写真提供:京都精華大学ギャラリーフロール]


また、「ウィメンズ・ダイアリー・プロジェクト」では、女性のためのスケジュール手帳を、96年版から2010年版まで制作した。「ジェンダー」「セクシュアリティ」「エイズ」「家族」「働き方」「老い」などのトピックについて、10~20名の編集メンバーの率直な「声」がイラスト付きで日毎に掲載されている。コンテンツの構成は、アートスケープでのワークショップで検討された。フェミニズムの視点が強く打ち出され、「女性は性について語るべきではない」という内面化された規範に対するアンチが浮かび上がる。

また、当時のクラブシーンやゲイカルチャーの象徴的存在として、ドラァグクイーンに関する資料も展示された。「女装」「ニューハーフ」ではなく、女性性を誇張的にパロディー化し、「性別」という概念の越境者としてのドラァグクイーンを配置した。

展示全体を貫くのは、女性や性的マイノリティに対して、(性)差別を再生産する支配構造に対する強いアンチの姿勢だ。他人に領有されないという意味では最もプライベートである一方、他者との関係において形成されるという意味では限りなく社会的なものとしてある「性」。それを管理しようとする力は、ヘテロセクシャルの男性中心の支配体制の温存と強化、そして「マイノリティ」の抑圧や排除、不可視化に他ならない。本展は、「90年代京都のアートシーンの歴史化」という意義を超えて、世界的な「#Me Too」の潮流や性的マイノリティの権利運動などと呼応し、極めて同時代的な意義をもつ。また、過去の人権運動で用いられたプラカードやバナーを再現したものや、現在の日本でのLGBTQパレード、セックスワーカーの人権活動、大阪入国管理局の人権侵害の抗議活動で用いられたプラカードや横断幕を展示したコーナーは、香港でのデモとタイムリーに呼応する。本展全体を通して、女性の人権擁護、性的マイノリティの権利運動、抑圧的な政治権力への抵抗など「現在」の同時多発的な状況と、「90年代の京都」が結びつく場が立ち上がっていた。

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2019/06/22(土)(高嶋慈)

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四國五郎展─シベリアからヒロシマへ─

会期:2019/04/26~2019/07/20

大阪大学総合学術博物館[大阪府]

ソーシャリー・エンゲージド・アートの世界的潮流、国内的には3.11以降の反核運動や、アートと社会運動の接近といった観点から、近年再評価の進む画家、四國五郎(1924-2014)。「シベリアからヒロシマへ」という副題が示すように、広島で生まれた四國は、シベリア抑留を経験し、帰郷後に弟の被爆死を知り、峠三吉らと反戦文化運動に詩画人として参加した。街頭でゲリラ的に展示した、詩と画からなる『辻詩』や、峠三吉の『原爆詩集』をはじめとする数々の書物やサークル誌、『絵本 おこりじぞう』などの表紙絵や挿絵を手がけるとともに、自身のシベリア抑留体験を元にした絵画や「ヒロシマ」を主題化した絵画を制作した。また、1974年にNHKが「市民が描いた原爆の絵」を募集した際には、自らの被爆体験を描くよう番組内で呼びかけを行なった。本展では、現存する『辻詩』8点すべてが展示されるとともに、油彩作品、表紙絵や挿絵の原画、それらを用いた書籍やサークル誌、シベリアから密かに持ち帰った極小の豆日記など各種資料が展示された。



会場風景

本展を通覧して、考察すべきポイントとして浮上したのは、1)「意図的な時空の混在」と主体性の回復の願望、2)「ヒロシマ」の表象とジェンダーの問題、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性、の3点である。

まず、1)異なる時空を意図的に混在させて描く絵画の「嘘」は、四國自身の「主体性」の位置付けや回復の願望と密接に関わっている。例えば、後年の1990年代になって描かれた、シベリア抑留体験を絵画化した作品群では、捕虜として連行される光景や埋葬者を運ぶ光景を「写生する私」が、同一画面内に描き込まれる。「写生する私」の周りには、同じくスケッチする者やカメラを構えた者、ただ眺める者も描かれており、約50年という時間的隔たりと歴史としての客観化を冷静に承認する。一方、そこには、西洋古典絵画において「絵筆とパレットを手にした自画像」を画中に描き込む操作が、画面全体の支配者として画家自身を特権的に位置付けるように、非人間的な状況から、「見る主体」としての(尊厳の)回復が企図されている。

一方、「ヒロシマ」の絵画群では、時空の撹乱の操作は別の意味を帯びてくる。例えば、《「ヒロシマ」写生する兄弟》では、川面に映る原爆ドームの反映像を背に、キャンバスに向かう四國と弟が並んで描かれる。弟は被爆時を示唆する国民服を着た若い青年像であり、彼の向かうキャンバス裏面には「1945.8.6」という日付が描かれている。対して四國は老年にさしかかっており、キャンバス裏には「1996」という制作年が描かれる。「1945.8.6」で静止したままの時間と、約50年後の「現在」とのありえない混在。それは、凍結した過去の時間をトラウマ的に抱えたまま生きる、サバイバーとしての事後の生の時間感覚を視覚化したものだと言える。

だが、弟を原爆で失ったとはいえ、四國自身は直接原爆を経験した訳ではない。そうした非当事者性の負い目を抱えつつ「ヒロシマ」を描くことのジレンマを表わしたのが、死者の「名札」に自らの名前を描き込むことで、「死者たちとともにある」ことを表明した絵画作品である。原爆資料館に展示された「被爆死した少年の制服」や、《ヒロシマの母子8月6日午前8時00分》において母と並ぶ幼い少年の胸に付けられた名札には、「四國五郎」と描かれており、彼は異なる年齢層の少年の姿を借りて、(絵画というフィクションのなかで)既に死者となり、あるいはわずか15分後には死者の世界に入るのだ。

だがここで、展示された「被爆死した少年の制服」の隣にはセーラー服の少女が立ち、幼い少年は弁当包みを抱えた母親と並ぶように、ジェンダーの対比構造が四國作品に通底することに注意しよう。「(固有名を与えられた実体的存在としての)犠牲者」として描かれる男性表象は、「(被爆死した)弟」と「(フィクションとしての)四國自身」に限定される一方、「匿名的な犠牲者」「平和への希求」として大多数を占めるのは、少女像(+鳩や折り鶴)と母子像である。匿名性や普遍化は、「無垢なる犠牲者」「ピエタの変奏としての犠牲のイメージ」と結びつき、2)「ヒロシマ」の絵画表象を駆動させるジェンダーの力学について再考を促す。



左:《広島原爆資料館》(1975)、右:《ヒロシマの母子8月6日午前8時00分》(1976)

最後に、3)戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性について指摘したい。「実際には見ていない、実体験ではない」光景を、迫真のリアリズムでもって描き出し、見る者の心を揺さぶる―ここに、右/左、戦意高揚/反戦の方向性こそ正反対だが、戦争画(作戦記録画)との本質的な同質性をみてとった時、震撼せざるをえない。四國の「再評価」にあたり、「ヒロシマ」の表象史を社会運動との関わりから捉え直す視座とともに、情動を動かすイメージの力が政治と結託するポリティクスと、そこに内包されたジェンダーの問題について、改めて問われるべきだろう。

2019/06/15(土)(高嶋慈)