artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで
会期:2022/09/23~2022/12/04
府中市美術館[東京都]
「モダンデザインの父」と呼ばれるウィリアム・モリスについて考える際、デザインとは何かを改めて考えざるをえない。そもそもイギリスで起きた産業革命が、モリスに手工芸品の復興を促すきっかけを与えたとされている。当時、急速に進んだ機械化への反動だ。しかしながら大量生産が当たり前となり、デザインの概念が広がった現代から見ると、実は産業革命そのものが社会の仕組みを大きく変えるデザインだったとも言える。もちろん技術革新を遂げるにはある程度の時間を要する。当初は粗悪品も多かっただろう。そうした時代の節目に肌で感じるのは、失われた過去の輝きだ。長い目で見れば人々の生活水準はだんだん向上していくのだが、モリスが生きた時代にはまだそれを感じられなかったに違いない。だから彼は庶民の視点で、豊かな暮らしを取り戻そうと必死になったのだ。
ウィリアム・モリス 《いちご泥棒》(1883)個人蔵
本展はそんなウィリアム・モリスから、約半世紀先の米国で生まれ活躍した建築家のフランク・ロイド・ライトまでを辿った、アーツ・アンド・クラフツ運動を振り返る展覧会である。その名が示すとおり、アーツ・アンド・クラフツ運動は美術と工芸を礼賛する運動であって、そこにデザインという言葉は入っていない。それなのにモリスが「モダンデザインの父」と呼ばれるゆえんは何なのか。それは当時、デザインという概念がまだ世の中に芽生えていなかったことが推測される。何しろモリスが「父」なのだから。だからそれに置き換わる美術と工芸で、人々の暮らしを良くしようとする運動が起きた。しかし現代から見れば「人々の暮らしを良くすること」を考えること自体、デザインなのだ。この思想がとても普遍的であったからこそ、アーツ・アンド・クラフツ運動は世紀を超え、欧州全土から米国まで及んだ。モリスが否定した機械化も、時代を経れば、肯定的に受け止められていく。なぜなら機械化は手段であり、目的は「人々の暮らしを良くすること」なのである。その点で、本展でアーツ・アンド・クラフツ運動に携わった建築家や画家らをはじめ、その余波としてリバティー商会、高級宝石商のティファニー、そしてフランク・ロイド・ライトまでを展示した意味はあったのではないかと感じた。
ウィリアム・モリス 《格子垣》(1864)個人蔵
公式サイト:http://fam-exhibition.com/artsandcrafts/
2022/10/26(水)(杉江あこ)
特別展「Life with Bonsai〜はじめよう、盆栽のある暮らし」
会期:2022/10/14~2022/11/09
さいたま市大宮盆栽美術館[埼玉県]
昨年春、美術家2人を招聘した企画展が記憶に新しいさいたま市大宮盆栽美術館で、特別展「Life with Bonsai」が開催された。今度は美術家をはじめ建築家、写真家、ファッションデザイナー、編集者ら多彩な9人のクリエイターを招き、それぞれが独自の盆栽飾りを発表した。盆栽飾りは、盆栽、掛軸、添物(水石や小さな盆栽)を設える三点飾りが基本。このいわば“型”をいかに押さえつつ崩すかが、センスの見せどころとなる。その点で本展はかなりバラエティーに富んだ内容であった。
まず印象に残ったのは、写真家、大和田良の展示である。構成要素が三点に絞られている点で、三点飾りの基本に則ってはいるのだが、主となるのは盆栽ではなく水石で、添物として小さな盆栽が脇の付書院に飾られているのみだった。なぜこうした構成なのかと言えば、京都の加茂川流域で採れる「水溜り石」を撮った自身の写真作品が掛軸として掛けられていたからだ。その掛軸と対比させるように「加茂川石」を水石にし、それをあえて主に選んだようである。被写体を二次元から三次元へと広げるがごとく、写真と本物とを同等に並べて見せるところが、実に写真家らしい発想に思えた。
大和田良《加茂川石》(2022)
ラムダプリント 加茂川石(大宮盆栽美術館) 黒松(藤樹園)
ほかにファッションデザイナーの津森千里や、建築家・プロダクトデザイナーの板坂諭の展示もユニークだったが、やはり注目したいのは昨年春にも参加した須田悦弘、ミヤケマイの美術家2人である。須田の展示は、一見、山もみじの盆栽が卓の上に設えられているだけに見える。キャプションを見ると、作品名も「もみじ」とあり、いったいどれが彼の作品? と戸惑うのだが、配布資料に親切にも説明が書かれていたことで理解できた。なんと、床に一葉落ちていた“落ち葉”が彼の彫刻作品だったのだ。あえて偽物を本物に紛れさせた挑戦的な展示である。一方でミヤケの展示は、床の間飾りに精通した彼女らしい完成度を見せていた。テーマは「虫養い」で、これは小腹が空いた時に食べる「お腹の虫に与えるおやつ」という意味だそう。また本展開催時の10月は、茶の湯では新茶の茶壺を開く直前の「名残の月」と呼ばれることに合わせ、遊び心にあふれた自身の掛軸作品などを取り合わせていた。結局、盆栽をどう解釈するのかは自由でいい。そんなメッセージを本展から受け取った。
須田悦弘《もみじ》(2022)
木に彩色 山もみじ(大宮盆栽美術館)
ミヤケマイ《虫養い Peckish》(2017/個人蔵)
ミクストメディア・軸 チャノキ、瀬田川石、舟(以上、大宮盆栽美術館)
公式サイト:https://www.bonsai-art-museum.jp/ja/exhibition/exhibition-8285/
関連レビュー
「さいたま市民の日」記念企画展 第6回「世界盆栽の日」記念・「さいたま国際芸術祭 Since2020」コラボレーション展 ×須田悦弘・ミヤケマイ|杉江あこ:artscapeレビュー(2021年05月15日号)
2022/10/22(土)(杉江あこ)
川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり
会期:2022/10/08~2022/12/18
東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]
意図的にフレアを起こし、柔らかな光とともに対象物を切り取る。写真家、川内倫子の作品といえば、こうしたイメージが強かった。が、本展を観て改めて感じたのは、彼女が表現しているのはそんな小手先の技法ではもちろんなく、あらゆる生命の営みであり、その尊さであるということ。もっと言えば、人新世の世界を写しているのではないかと思い至った。
2019年にアイスランドで撮影した氷河や滝、火山が、本展タイトルにもなった新作シリーズ「M/E」の始まりだと川内は解説する。これは「母なる大地(Mother Earth)」の頭文字であり、また「私(Me)」でもあるという。つまり雄大な自然の姿も、個人の日常の風景も、彼女にとっては一直線につながる地球上の出来事なのだ。この論理こそが、人新世にほかならない。人新世とは人類の活動によって生物多様性の喪失や気候変動、さらに人工物の蓄積などで地球上に新たな地質学的変化が起こり始めた現代を含む時代区分を指す。その思想的影響はアート界にも及んでいる。アートでは自然環境破壊を声高に嘆くというより、むしろあるがままの現象を受け入れ、それを自ら咀嚼して表現に変えていることの方が多い。いわば自然と人工物とが共存する姿を捉え、それを示そうとする。彼女の作品にも同様の試みを感じるのだ。
展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]
展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]
展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]
地球の果てで起こる自然現象に対して畏怖の念を抱く一方で、自らの足下にも同等の視線を注ぎ、幼い我が子の成長や日向でりんごの皮を剥くことを愛おしく思う。現代人にとって自然と人工物との区別はないのが当たり前で、川内はそれらを一貫して生命の営みとして扱っているところが率直である。本展ではそんな彼女の世界観をさまざまな仕掛けによって体感できるようになっていた。なかでも面白かったのは、「A whisper」と題した空間だ。彼女の家の裏手に流れる川などを撮影した映像が、なんと床に投影されていたのだ。揺れる川面を眺めていると、まるで本当にそこに川が流れているようで、その空間を横切る際に(濡れるわけではないのに)思わずそうっと足を出してしまった。一瞬でも、レンズを覗く彼女の眼差しを共有できたような気持ちになれた。
展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー[撮影:木奥恵三]
公式サイト:https://rinkokawauchi-me.exhibit.jp
2022/10/22(土)(杉江あこ)
展覧会 岡本太郎
会期:2022/10/18~2022/12/28
東京都美術館[東京都]
戦後の近代日本においてもっとも有名で、社会に強い影響を与えた芸術家は岡本太郎をさしおいてほかにはいないだろう。岡本の魅力は、何と言ってもその強さにあると思う。例えば名著『今日の芸術』でこう宣言している。「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。岡本が遺した多くの作品が、まさにこの宣言どおりだ。きれいでもなければ、心地良くもない。しかし強烈なインパクトを観る者に与え、心を揺さぶる。それこそが本当の芸術だという。そんな岡本の過去最大規模の回顧展が開催中である。
展示風景 東京都美術館LBF(地下1階)
本展は地下1階から始まり、地上1階、2階へと続くのだが、まず地下1階では作品一つひとつにぐっと歩み寄って対峙してほしいという意図から、解説は控えめに、空間全体の照明を落とし、作品だけにスポットライトを当てた演出となっていた。正直、川崎市岡本太郎美術館で観た覚えのある作品も多かったが、この演出はとても良い。岡本の世界観へ入り込む準備ができた。そして1階から2階にかけては岡本の足跡と作品を時系列で辿る構成となっていた。何より貴重なのは、パリで発掘され、若かりし頃の岡本の作品だろうと推定された油彩画3点が展示されていたことである。いずれもどこか躊躇いがちな抽象画に見えるのは、当時、最先端の前衛芸術運動に関わりながら自らもがいた証なのか。
展示風景(推定 岡本太郎)東京都美術館1F
岡本の旺盛で多岐にわたる創作活動に対して論評はさまざまあると思うが、私がもっとも注目するのは、彼が日本文化のルーツとして縄文土器を見出し、さらに東北や沖縄をはじめ、日本各地へ民族学的視点でフィールドワークを行なったことである。つまり日本の辺境には、大陸から渡来した弥生人ではなく、縄文人のDNAがいまだ残っており、その独自の文化も息づいているはずだという見地だ。見方によっては岡本の作品からほとばしるエネルギーは、ある種、縄文文化的でもある。岡本の作品に感じる強さは、この民族学的視点で自らのアイデンティティをしっかり固めたことにあるのだろう。1970年の大阪万博のシンボルだった《太陽の塔》がそれをもっとも象徴しているように思う。
岡本太郎《縄文土器》 1956年3月5日撮影(東京国立博物館) 川崎市岡本太郎美術館蔵 ©岡本太郎記念現代芸術振興財団
【参考図版】岡本太郎《太陽の塔》(1970/万博記念公園) ©岡本太郎記念現代芸術振興財団
公式サイト:https://taro2022.jp
2022/10/17(月)(杉江あこ)
細谷巖 突き抜ける気配 Hosoya Gan─Beyond G
会期:2022/09/05~2022/10/24
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
細谷巖(1935-)は永井一正(1929-)や田中一光(1930-2002)、横尾忠則(1936-)らと並び、一時代を築いたアートディレクター兼グラフィックデザイナーとして知られている。87歳を迎えてもいまだ現役で、東京アートディレクターズクラブの現会長も務める。そんな70年近くもの長い活動歴を持ちながら、本展で展示されたほとんどがデビューから間もない時代の作品だったことが目を引いた。その意図は、原点回帰なのか。1955年の日宣美展に出品し特選を受賞したポスター「Oscar Peterson Quartet」をはじめ、1960年代に発表した広告ポスター、パンフレット、書籍の一部、雑誌表紙などが並んでいた。こういう言い方は何だが、彼がもっとも脂が乗っていた頃の作品なのだろう。当然、アナログとデジタルという手法の違いもあるが、半世紀以上も前のこれらの作品にはいまの時代にはない鋭い感覚をはらんでいるように感じた。これが細谷の持ち味なのだろう。
「フォトデザインとも呼ばれるジャンルを確立した」と当時評価されたとおり、細谷は何より写真の扱い方が卓越している。ポスター「Oscar Peterson Quartet」では、ブレのあるモノクロ写真を重ねることでジャズピアニストの指の動きを臨場感たっぷりに表現した。また1961年の「ヤマハオートバイ」ポスターでは、二人乗りのオートバイが道を走っている写真を採用したのだが、「ありきたりな写真だったから」という理由で、写真を90度回転させ、上から下へ落下するような感覚を見る者に与えてより疾走感を演出した。これらの作品には、パソコンで写真をいかようにも加工できてしまう環境ではなかったからこその気迫がある。不自由は自由を生み、かえって自由は不自由を招くのではないかと思えた。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1階[撮影:藤塚光政/提供:ギンザ・グラフィック・ギャラリー]
ところで本展に寄せた識者の解説の中で、面白いキーワードがあった。1935年生まれの細谷は「戦中派」世代であるという指摘だ。彼らは物心がついた少年期はずっと戦争中で、軍国教育を受けて育つものの、ある日突然に戦争が終わり、民主主義の世の中へと転換し、教科書に墨塗りをさせられたという背景がある。つまり大人にだまされた世代であるため、彼らは世の中に対する見方がどこか懐疑的で、屈折しているという分析だ。なるほど、そうした精神構造がクリエイティブにも少なからず影響を与えているのか。冒頭で述べた一時代を築いたデザイナーらが皆、戦中派というのは興味深い事実である。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー地下1階[撮影:藤塚光政/提供:ギンザ・グラフィック・ギャラリー]
公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000789
2022/09/30(金)(杉江あこ)