artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
日本のアートディレクション展 2023
会期:2023/11/01~2023/11/30
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
今年も「日本のアートディレクション展」が開催された。本展は、昨年度(2022年6月〜2023年5月)に発表された広告やデザインの応募作品に対し、ADC(東京アートディレクターズクラブ)全会員が優れた作品を選出する「ADC賞」の展覧会である。ADCグランプリ、ADC会員賞、ADC賞、原弘賞受賞作品のほか、優秀作品が会場に並んだ。なかでも私が注目したのは、サントリー「天然水」のウェブサイトと、森永乳業「マウントレーニア」のコマーシャルフィルムだ。いずれも都会で暮らす現代人の大自然への憧れや渇望を表わした広告作品という点で共通していたからである。
前者はサントリー「天然水」の新たな水源として加わった、日本で唯一の氷河が現存するという北アルプスの雄大な姿を伝えるウェブサイトだ。なんと山々を隅々まで撮影した膨大な枚数の高精細写真から3Dモデルを生成し、バーチャル空間上に北アルプスを構築して映像化したものだそうで、雲の上から山の斜面、地底までをカメラ(?)が縦横無尽に行き来する。その様子はまるで鳥の目、いや神の視点に近い。人間は最先端技術で大胆にも大自然をスキャンしてしまったのだ。
後者はもっと純粋に「もしも東京の真ん中に山があったら」という空想を、合成技術で表現したしっとりとした映像である。商品パッケージのアイコンにもなっている、米国シアトルから見えるレーニア山への敬愛の念を込めたのだという。かつて東京のあちこちの高台から富士山を眺められたことを思うと、やや皮肉な話でもあるのだが。
人新世という言葉が生まれるほど、近代以降、人類は地球の地質や生態系、気候変動に大きな影響を及ぼしてしまった。にもかかわらず、大自然から隔絶した暮らしを送る現代人にとって、ある意味、幻想として山や森、海は尊く、美しい存在であり続ける。しかし本当に大自然の下で共存しながら暮らすとなると、現実はもっと厳しく、快適ではいられない部分もたくさんあるに違いない。だからときどき、ふと求めて鑑賞する程度でちょうどいいのである。まるで週末のグランピングのように……。そんな現代人の柔な気持ちが両者の広告作品には表われているように感じた。これは批判ではなく、現代人の本音を代弁しているという点で注目したのである。
日本のアートディレクション展 2023:https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000825
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2023/11/02(木)(杉江あこ)
超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA
会期:2023/09/12~2023/11/26
三井記念美術館[東京都]
まさに超絶技巧! とにかく驚くべき工芸作品の数々が展示されていた。例えば一木造という一本の木材からスルメを彫り上げた、前原冬樹の作品《『一刻』スルメに茶碗》。干からびたスルメの質感や色、全身のうねりをリアルに表現しただけでなく、それを挟んで吊るしていたのだろうと想像が膨らむ、汚れて錆びたクリップとチェーンまでも再現していた。後からパーツを組み合わせたのではなく、すべて一本の木材でできているのだ。また立体木象嵌という独自の嵌め込み技法で、木材がもつ自然の色を組み合わせて美しいアゲハ蝶を生き生きと表現した、福田亨の作品《吸水》。アゲハ蝶が吸水している艶やかな水滴も、実はその台座と共に一木造で彫られたのだという。こうした木彫以外にも金属、陶磁、漆、ガラス、紙などの素材を使い、伝統技法をベースにしながら独自に培った方法で、さまざまな技巧や表現に挑んだ作家たちの工芸作品をたっぷり観ることができた。
日本の工芸では、皿や壺など、基本的に用を成す作品をつくる。それに対し、用を成さない抽象的なオブジェは現代美術の範疇となる。本展を観て気づいたのは、そのどちらでもない作品が多いということだ。オブジェではあるが、抽象的ではなく具象的。つまり見立ての作品である。前者も一目でスルメとわかる作品だが、本物のスルメではなく、木彫のスルメもどきである。しかも本物と見分けがつかないほど精巧にできている。後者も本物にしか見えない木彫のアゲハ蝶だ。ほかに鉄鍛金でカラスを、銀で梱包材のプチプチに包まれた箱を、漆工で工具箱やモンキーレンチ、ねじを表現するなど、暮らしに身近なものを題材に選び、異素材で見立てた作品が多く並んでいた。
それは、なぜなのだろうか。日本には伝統的に見立ての文化があることは確かだが、それだけではないはずだ。おそらく用を成す作品にしないのは伝統工芸から離れたいからであり、かと言って抽象的なオブジェに振り切らないのは評価が分かれる分野だからではないか。超絶技巧をきわめる作家たちにとって、もっともアピールしたいのは自身の技巧や表現力だ。作品を通して多くの鑑賞者にすごいと思ってもらうには、判断基準が明確である方が容易い。そのため誰もがわかる身近なものを題材とすることで、技巧により焦点が当たるようにしたのではないか。そこに異素材ゆえのギャップがあればあるほど感嘆は大きい。現に私自身も、本展を観ながらすごいなぁと溜め息ばかり漏れていたのである。
超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA :https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/
2023/10/29(日)(杉江あこ)
第785回デザインギャラリー1953企画展「倉本仁 素材と心中」
会期:2023/09/13~2023/11/06
松屋銀座7階・デザインギャラリー1953[東京都]
「素材と心中」とは、なかなか骨太なタイトルだ。素材と一心同体であるということを意図しているという。まさにプロダクトデザイナー、倉本仁の真髄を表わしているように感じた。
プロダクトデザインとは素材と技術の生かし方を考えることではないかと思う。したがってデザイナーやつくり手は素材との対話が欠かせないのではないかと推測する。対話というと、物に話しかける姿がイメージされ、まるで“不思議ちゃん”のように感じるかもしれないが、そうではない。対象となる素材をよく観察し、その特性を見極め、長所も短所も含めて個性と捉え、どのように扱えばその個性をより引き出し、魅力や価値へと変えられるのかを考えることではないか。
本展で展示されていた約25点の作品は、倉本がさまざまな素材と格闘した末に生み出されたものばかりだという。例えば屋根や壁面に使われる波型スレートという建築資材をそのまま切り出しただけのような傘立て《SLATE》は、素材そのものがすでに完成されていたことから、デザインの手をあまり加えなかったと解説している。彼が素材と対話し、素材に惚れ込んだ様子が思い浮かぶ。また3本の金属パイプをねじり絡めて留めた《KNIT》は、まるでロープを手で組み上げたかのようなデザインである。金属パイプとロープという異なる素材ながら、共通の形を見出した点が面白い。ほかに製造過程で大量に生じてしまう木材や皮革、人工大理石などの端材に着目したプロダクトがいくつかあり、いまの時代、廃棄を減らすための試みもデザイナーに突き付けられていることを物語っていた。これらの試みは環境保護の観点から出発しているに違いないが、倉本にしてみれば端材すら心惹かれる素材に違いない。端材ゆえに表われる素材の意外な表情を生かしながら、さまざまな日用品やオブジェへと生まれ変わらせてしまう力はさすがである。「心中」ゆえに、彼の素材への並ならぬ愛がヒシと伝わる展覧会だった。
第785回デザインギャラリー1953企画展「倉本仁 素材と心中」:https://designcommittee.jp/gallery/2023/09/dg785.html
2023/10/10(火)(杉江あこ)
吉岡徳仁 FLAME ガラスのトーチとモニュメント
会期:2023/09/14~2023/11/05
去る10月7日の夕刻、21_21 DESIGN SIGHTへ足を運んだ。同施設屋外に設置された、「炎のモニュメント─ガラスの炬火台」への点灯を観るためだ。日が暮れた頃、イベントが始まり、これをデザインした吉岡徳仁がガラスのトーチを持って登場。ランプからトーチへ火が移され、吉岡がその炎を観衆に掲げてみせる。そしてトーチをガラスの炬火台の中央のくぼみにおもむろに近づけると、さらに大きな炎が勢いよく上がった──。それはとても不思議な光景に映った。透明ガラスでできた炬火台は、奥の景色が透けて見え、輪郭はあるものの、その存在自体が儚げだ。その上に大きな炎が高々と揺れているのである。六本木の秋夜に突如現われた、その幻想的な光景にしばらく見入ってしまった。
ミラノサローネをはじめ、さまざまな華やかなデザインの舞台で活躍してきた吉岡は、近年、東京2020オリンピックの聖火リレートーチをデザインしたことで知られる。日本の国花である桜をモチーフにしたというトーチは、口の先端が桜の花びらにかたどられた、柔らかで情緒的なデザインだった。実はそのトーチをデザインしている際に、もうひとつ並行してあったアイデアがガラスのトーチと聖火台だったという。タイミング良く、2024年に佐賀県で「SAGA2024国スポ・全障スポ」(旧・国体)が開催されるのに合わせ、実現化が進んだ。通常、ガラスは高温にさらされると、その急激な温度変化によって割れる。炎を灯しても割れないガラスを製作するため、数年を費やして、ガラスの成分をはじめ、トーチや炬火台の構造などを検証し、実験を何度も繰り返したという。そのトーチの製造過程における形状変化を示したサンプルがギャラリー3に展示されている。さらに炎をトルネード状に燃え上がらせるため、周囲の曲面ガラス板の立て方までデザインしたというから感嘆する。そうした驚きや感動を人々に届けるという点で、吉岡はデザインを越えてアートの領域で表現を行なえるデザイナーだとつくづく思う。
ちなみに「SAGA2024国スポ・全障スポ」は、「国民体育大会」が「国民スポーツ大会」へと名称を変える第1回目である。当初、佐賀県出身である私のパートナーもアドバイザーとして関わっていたことがあるため、数年前から密かに注目していた大会だった。同じく佐賀県出身の吉岡がそのセレモニーのためのトーチと炬火台をデザインしたとは! この個展で経緯を知り、ますます同大会の開催が楽しみになった。
吉岡徳仁 FLAME ガラスのトーチとモニュメント:https://www.2121designsight.jp/gallery3/tokujin_yoshioka_flame/
2023/10/07(土)(杉江あこ)
かみと祈り ─Paper Altar─『紙の仏壇』
会期:2023/09/26~2023/10/27
青山見本帖[東京都]
墓じまいをする人や、仏壇を持たない暮らしを望む人が増え、いま、先祖代々の墓や仏壇を受け継いでいくことが難しい時代となっている。墓に関しては場所や檀家制度などの問題があり、仏壇に関しては旧態依然とした形や大きさと現代の住まいとのギャップが大きいことがネックになっているのだろう。そもそも墓や仏壇がなぜ必要なのかという根本的な点を問い直さない限り、解決の糸口は見えないように思う。本来、仏壇はご本尊(仏像の彫刻や掛軸)を祀るためのものである。しかし私も誤解していたのだが、多くの日本人が仏壇は先祖の位牌を祀るためのものと思ってはいないか。裏を返せば、多くの日本人が望んでいることは祖先崇拝や近親者の死に対する弔いに過ぎず、仏像崇拝ではないということだ。その点が明確になれば、旧来のご本尊を祀るための仏壇様式にこだわる必要はなく、ただ単に弔いのための装置があればいいということになる。
本展は、紙の専門商社の竹尾と、仏壇仏具製造の老舗の若林佛具製作所とのコラボレーションプロジェクトだ。デザイナーの三澤遥と建築家の鬼木孝一郎を起用し、両社が紙の仏壇製作に取り組んだ。紙は弱いように見えて、火災などに遭わなければ、和紙は1000年、現代の用紙でも数百年はもつ耐久性の高い素材である。その点で仏壇とは相性がいいのかもしれない。三澤が発表したプロダクトのひとつ「積み具」は、まさに積み木のような形態をしていた。長さや幅の異なる複数のブロックが台座に並んでいて、使い手が自由に手に触れて、ブロックの位置を変えたり、積み上げたりできる。その手間の掛け方は、水や花を供えたり、線香をあげたりといった行為に近いと三澤は解釈する。これはそうした行為を促すプロダクトになっており、その行為自体が心を癒すきっかけになるのではないかと想像する。
鬼木が発表したプロダクトは、いずれも建築家らしい発想のものだった。そのひとつ「KAI」は正十二面体の物体で、面を開くと、金色に輝く空間が現われる。正多面体という強い対称性と普遍的な美しさに感心すると同時に、従来の仏壇の扉のように、開閉性が気持ちの切り替えにつながるように映った。これらの展示作品が示唆するように、結局、仏壇に求められていることとは、いかに故人と対話ができるのかという点なのではないか。その対話のための仕掛けが細やかであればあるほど、使い手は心の負担が少なく、暮らしのなかに仏壇がより溶け込むのではないかと思う。
かみと祈り ─Paper Altar─『紙の仏壇』:https://www.takeo.co.jp/news/detail/004125.html
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