2021年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

杉江あこのレビュー/プレビュー

包む─日本の伝統パッケージ

会期:2021/07/13~2021/09/05

目黒区美術館[東京都]

漢字の「包」は、女性のお腹に胎児が宿っている形から生まれた象形文字である。一方、英語の「package」はひとつに固定する、押し固めるという意味の「pack」にageを付けて名詞化した言葉だ。つまり日本語の「包み」と英語の「package」では言語の成り立ちが違い、これが文化の違いにも表われているのではないかと思う。例えば日本人は贈り物をもらった際、その包みをなるべく丁寧に開ける習慣があるが、欧米人は逆にその包みを容赦なくビリビリと破いて開ける。日本人は包みに対してある種の折目正しさを求めるのに対し、欧米人にとってpackageはただ中身を効率的に運ぶための手段でしかないのだろう。

本展を観て、そんなことを考えさせられた。これはアートディレクターの岡秀行(1905-95)がかつて「伝統パッケージ」と呼称し収集した、日本の包みを紹介する展覧会である。展示作品のほとんどが昭和時代までに製造されたもので、木、竹、土、藁、紙、布などの自然素材から成る。同館で10年前にも同様の展覧会が開催され、私はやはり足を運んだ覚えがあるが、10年前と現在とでは抱える環境問題や世相が若干異なる。いま、もっぱら注目されている事柄は海洋プラスチックごみ問題やSDGs、そして新型コロナウイルスだろう。いつの時代も社会に行き詰まりを感じているとき、人々は歴史や伝統に学びを得ようとする。本展は、まさにサステナビリティーのヒントをもらうのに十分な内容であった。

1972年に岡はこんな言葉を残している。「私たちにとって、人間とは何か、生活とは何か、社会とは何かを考えることは、つまりは私たちのこの生をどう包むかという問題だとさえいえるであろう」。「生をどう包むか」とは大袈裟なと思うが、しかし「包」がお腹の胎児が基になった文字と考えれば、決してそうでもない。大切なものを包むという行為自体が、日本人にとって尊いことだったのだ。そんな折り目正しく、清く美しい、日本の伝統パッケージ群を前にして、私は失われつつある価値の大きさを思い知った。伝統パッケージも伝統工芸品と同じで、職人がいなくなれば技術が途絶えてしまう。そこに絶滅危惧を知らせる赤信号が灯っていた。


《卵つと》山形県[撮影:酒井道一/岡秀行『包』(毎日新聞社、1972)所収]
※本展の展示物と図版写真は同一のものとは限りません。


《釣瓶鮓》奈良県/釣瓶鮓弥助[撮影:酒井道一/岡秀行『包』(毎日新聞社、1972)所収]
※本展の展示物と図版写真は同一のものとは限りません。


展示風景 目黒区美術館



公式サイト:https://mmat.jp/exhibition/archive/2021/20210713-358.html

2021/07/17(土)(杉江あこ)

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ルール?展

会期:2021/07/02~2021/11/28

21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2(※)[東京都]

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開館時間を短縮。収容率50%以内にて営業。


出来の善し悪しはともかく、世の中にデザインされていないモノやコトがないように、世の中にルールのないモノやコトもないということを改めて実感した。実はこの企画展が発表された当初、「ルール」というテーマに、私はいまひとつピンときていなかった。何となく憲法や法律といった“お堅い”イメージしかなかったからだ。しかし規則やマナー、習慣、自然の法則などもルールの一環と捉えれば、確かにルールは社会や生活の基盤であることに気づかされる。その点でデザインと概念がよく似ていると感じた。

本展でもっともユニークだったのは、ギャラリー1で展示されている来場者参加型の作品《あなたでなければ、誰が?》である。1回につき14人の来場者がステージに上がり、目の前のスクリーンで次々と投げかけられる質問に対して「はい」「いいえ」に分かれて立つというものだ。私が参加した回では、政治や民主主義などに関する質問が続き、即答するのに案外と難しい内容もあった。その後、ほかの参加者の回を見学すると、人間の生死などに関する質問もあった。一問一問の回答直後にこれまでの来場者の回答の統計が表示され、自分が多数派なのか少数派なのかを知らされる。多数決がルールを決める手段のすべてではないが、国会をはじめさまざまな議会や場面で採用されている多数決について考えさせられると同時に、ルールづくりを擬似体験できる作品でもあった。


ダニエル・ヴェッツェル(リミニ・プロトコル)、田中みゆき、小林恵吾(NoRA)×植村遥、萩原俊矢× N sketch Inc.《あなたでなければ、誰が?》


そのほかの作品群では、総じてドキュメンタリー映像作品が印象に残った。健常者からは想像もつかない、盲目者が信号を渡る際に頼りにしている“音”の存在、京都市内で観光客らに対して、複雑なバス路線の乗り継ぎ方法を強引かつユーモラスに教えるNPO法人、自分たちらしい結婚のかたちを求めようと話し合いを重ね、独自の契約書を交わす男女、性別も年齢も人種も異なる9人の美容師が手分けしてひとりの女性の髪を切る試みなど、いずれもまったく異なる趣旨の映像だが、そこに介在するのは法には定められていない独自のルールである。そう、ルールは人間の行動様式を決める。新型コロナウイルスの蔓延により、昨年から我々は「新しい生活様式」を強いられるようになった。一昨年までは考えられなかった新しいルールが世の中に急速に定着していく様子をまざまざと味わったではないか。そんないまだからこそ、本展は考えさせられる面が多かった。


田中功起《ひとりの髪を9人の美容師が切る(二度目の試み)》
Commissioned by Yerba Buena Center for the Arts, San Francisco
Photo courtesy of the artist, Vitamin Creative Space, Guangzhou and Aoyama Meguro, Tokyo



公式サイト:http://www.2121designsight.jp/program/rule/

2021/07/11(日)(杉江あこ)

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サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


サーリネンといえば、エーロ・サーリネン(1910-61)がデザインしたノル社の「チューリップ・チェア」が思い浮かぶ。正直、その程度の知識でしかなかったのだが、本展を観て「チューリップ・チェア」に対する見方が少し変わった。本展はエーロの父、エリエル・サーリネン(1873-1950)のフィンランド時代にスポットを当てた展覧会だ。まずプロローグとして、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の解説から始まり、しばし頭のなかにクエスチョンマークが現われる。しかし『カレワラ』がロシアからのフィンランド独立のきっかけをつくり、またサーリネンをはじめ芸術家たちにインスピレーションを与えた作品と知って驚いた。天地創造に始まり、4人の英雄が呪術を用いて宝を奪い求め戦う冒険だそうで、日本でいえば『古事記』や『日本書紀』に当たるようなものなのか……。現にサーリネンはデビュー作となる1900年パリ万国博覧会フィンランド館の建築で、「ナショナル・ロマンティシズム」と称される表現で民族独自の文化的ルーツを取り入れ、大成功を収めた。


1900年パリ万国博覧会フィンランド館 ラハティ市立博物館


アイデンティティやルーツに根ざすことは、建築でもデザインでも非常に大事なことだ。しかも自国の建国に際してはなおのことだろう。タイトルにある「フィンランドの美しい建築」の「美しい」とは、豊かな森と湖に恵まれたフィンランドの美しい自然や風土との調和を指している。サーリネンの美意識はつねにそこにあった。2人の仲間とともに、ヘルシンキ西の郊外の湖畔に建てた設計事務所兼共同生活の場「ヴィトレスク」にも、サーリネンの美意識が凝縮されていた。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響も窺えるという解説どおり、まさにそれはフィンランド版「レッドハウス」のようである。ここで築いた理想の暮らしを、以後もさまざまな個人邸で実現していく。


ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所《ヴィトレスク、リンドグレン邸の北立面(左)、スタジオの断面が見えるリンドグレン邸の南妻面(右)》(1902)フィンランド建築博物館


しかしサーリネンが本当の意味で飛躍するのは、1923年に母国を離れ、米国に拠点を移してからだ。時代の潮流に乗り、ナショナル・ロマンティシズムからモダニズムへと新たな表現を模索し開花させた。ルーツは大事であるが、そこに留まり続けても進化はない。日本的な言葉で言えば、サーリネンは「守破離」を実践したお手本のような人だと感じた。しかもチャールズ・イームズらを輩出したクランブルック・アカデミー・オブ・アートの施設設計に携わり、教鞭をとり、学長就任まで果たしたのである。後世に世界中で大ブームを巻き起こす米国のミッドセンチュリーデザインが生まれるきっかけに、サーリネンは大いに貢献したわけだ。「チューリップ・チェア」もそんな時代のなかで誕生した。あのなんとも言えない優美なラインには、エーロが父から受け継いだフィンランドの美しい自然や風土への賛美があるのかと想像すると、実に感慨深い。


ヴィトレスクのサーリネン邸のダイニングルーム[Photo: Ilari Järvinen/Finnish Heritage Agency, 2012]


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/05(月)(杉江あこ)

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イラストレーター 安西水丸展

会期:2021/04/24~2021/09/20(※)

世田谷文学館[東京都]

※混雑時には入場制限あり


「へたうま」という言葉があるが、安西水丸が描いたイラストレーションも一見そう見える。いや、決して下手ではないので誤解を抱かないでほしいのだが……。つまり、へたうまに含蓄される「味」が非常に際立ったイラストレーションだと思うのだ。生前の安西にかつて私はインタビューをしたことがある。その際、安西から聞いたある言葉が印象に残っている。それは「僕は美大時代にもっともつまらない絵を描いていた」というものだ。想像するに、美術の基本に忠実になるあまり、個性を没してしまったということなのだろう。そのため美大時代を打ち消すかのように自分にしか描けない絵を追求し、味のあるイラストレーションが確立されたのではないか。


illustrated by Mizumaru Anzai © Masumi Kishida


本展を観て、安西のイラストレーションの表現の幅広さを改めて知った。何となくかわいらしい絵の印象が強かったのだが、それだけでなくクールな構成、ややセクシーな雰囲気、素朴で荒々しい筆致など、媒体や目的によってはっきりと描き分けていることがわかる。とても器用で、画力がある人なのだ。そのなかで一貫していたのは、シンプルであること。本展での解説を読んでなるほどと思ったのが、安西はよく画面を横切るように一本の線を引いたというエピソードだ。それを「ホリゾン(水平線)」と呼んでいた。「ホリゾンを引くことで、例えばコーヒーカップはちゃんとテーブルの上に載っているイメージを出せるし、花瓶なら出窓の張り出しに飾られているイメージを出せる効果があるのです」と言う。シンプルを貫きつつも、どこか品の良さや存在感を感じさせるのは、ホリゾン効果なのかと膝を打った。


illustrated by Mizumaru Anzai © Masumi Kishida


とにかく会場の雰囲気はとても楽しい。展示作品が盛りだくさんで、覗き穴や顔はめなどの遊び心にあふれたスタイルの展示セクションもある。安西自身が観たとしてもきっと満足するのではないか。観る者の頭と心を柔らかくする安西のようなクリエーターが、これからの時代にもっと必要とされるように思う。


展示風景 世田谷文学館


公式サイト:https://www.setabun.or.jp/exhibition/20210424-0831_AnzaiMizumaru.html

2021/06/26(土)(杉江あこ)

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隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則

会期:2021/06/18~2021/09/26(※)

東京国立近代美術館[東京都]

※混雑緩和のため、オンラインでの事前予約を推奨


国立競技場の設計参画や、国内外で多くの建築設計を手がける隈研吾は、いまやもっとも名の知れた国民的建築家と言える。そんな隈の大規模展覧会がオリンピックイヤーに相応しく開かれた。テーマは「新しい公共性をつくる」で、隈は独自の5原則を掲げる。それは「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」だ。誰もがわかる易しい言葉をキーワードにするあたりが、隈は編集能力に優れた人だと感じる。この5原則に照らし合わせれば、国立競技場の庇の軒下部分に用いられた小径木ルーバーは「粒子」に当たるのだ。47都道府県のスギ材とリュウキュウマツ材を多用したデザインは、なるほど粒子なのかと思う。また、2010年代を中心とした比較的新しい建築を事例としていたためか、その多くで建築模型が展示されており、なぜ「孔」なのか、なぜ「粒子」なのかというポイントがよく伝わってきた。ただひたすら難解だったひと昔前の建築論とは打って変わって、時代は変わったなと思う。そうした点でも隈は国民に寄り添う建築家なのだ。


展示風景 東京国立近代美術館 ©Kioku Keizo


展示風景 東京国立近代美術館 ©Kioku Keizo


もうひとつ特筆したいのが、本展タイトルに「ネコの5原則」とあることだ。まるで昨今の猫ブームにあやかるような切り口と最初は思ったが、いやいやどうして、それも新しい公共性を考えるうえで隈が導いた答えだった。隈が猫に着目したのにはコロナ禍が影響していた。コロナ禍で多くの人々の意識や価値観が変わり、国や自治体が管理する場所やハコものにではなく、身体的に引かれる場にこそ公共性が生まれると気づいたのである。これを猫に学んだという。本展の第2会場では、隈の自宅付近をうろつく半野良の猫2匹にGPSを取り付けてその行動を追ったユニークな検証があり、ほっこりと癒されつつも、その本気度が伺えた。これを丹下健三がかつて提唱した「東京計画1960」への応答として、隈は「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」と名づけて発表している。確かに私の飼い猫を見ていても、家の中でも暖かい場所や涼しい場所を求めて自ら移動するし、狭い場所にわざわざ入り込むのが好きだ。それもすべて身体的に心地良い場所を求めているからなのだろう。建築の新たな見方を教わる展覧会である。




公式サイト:https://kumakengo2020.jp/

2021/06/25(金)(杉江あこ)

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