artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
紅花の守人〜いのちを染める
会期:2022/09/03~未定
鮮やかな赤色を日本の伝統色では「紅(くれない・べに)」と呼ぶ。そもそもこれは中国・呉の国から伝来した藍という意味から「呉藍(くれあい)」と呼ばれ、後に「紅(くれない)」に変化した言葉だと言われる。藍はご存じのとおり、青色の染料だが、当時、日本でもっとも使われていた植物染料だったことから、ここでは染料全般を指す言葉として使われたのだろう。藍は庶民に広く親しまれた植物染料だったのに対し、紅は皇族や貴族ら高貴な身分にしか許されない特別な植物染料だった。なぜなら、金に匹敵するほど希少で高価なものだったから。現在、紅はもちろん藍ですら植物染料そのものが希少になってしまったが、実は山形県・最上川流域の小さな農村で原料の紅花生産と加工が密かに守り継がれているという。本作はその生産者たちを4年の歳月をかけて追ったドキュメンタリー映画だ。
©映画「紅花の守人」製作委員会
ナレーション:今井美樹
監督:佐藤広一
プロデューサー:髙橋卓也
唄:朝倉さや 音楽:小関佳宏
企画・製作:映画「紅花の守人」製作委員会
配給:株式会社UTNエンタテインメント
2022年/日本/85分/カラー/DCP/16:9
染料の紅がどのようにつくられるのかを知る人はどのくらいいるだろうか。この映画では、紅花の花びらを一つひとつ手で摘み取るシーンから始まる。非常に素朴で地味な作業だ。そして摘み取った花びらを丁寧に水洗いし、揉み込み、日陰で発酵させる。そして発酵が進んだ花びらを臼に入れて突き、手で丸めて平らに伸ばして、天日干しをする。保存と輸送に適したこの形を「紅餅」と呼び、これが消費地に運ばれて染色に利用されてきた。こうした昔ながらの生産と加工を淡々と繰り返す紅花農家をはじめ、大手繊維製品メーカーを辞めて草木染めを追究する京都在住の染織作家、紅花を使ったレシピ開発に臨む料理研究家、紅花摘みの体験をする近隣の小学生たちなど、紅を巡るさまざまな物語が交差し紡がれていく。特に染織作家がインタビューで語る紅に対する熱い思いは、“紅に魅せられた人”という形容がぴったりだった。
かつて平安時代の皇族や貴族らは自身が夢中になったからこそ、庶民に対し「禁色」のお触れを出して紅を独占した。もちろん現在、化学染料だけで染色は事足りる。それなのに紅花生産と加工が守り継がれている意味は何なのだろう。それは目にした人にしかわからない、得も言われぬ魅力が紅にはあるからなのかもしれない。
公式サイト:https://beni-moribito.com
2022/07/28(木)(杉江あこ)
ゲルハルト・リヒター展
会期:2022/06/07~2022/10/02
東京国立近代美術館[東京都]
瀬戸内海に浮かぶ豊島(とよしま・愛媛県上島町)に恒久展示されているゲルハルト・リヒターの作品《14枚のガラス/豊島》を、一般公開される前に私は観たことがある。とあるNPOの仕事に携わっていた関係からだ。14枚のガラス板には周囲の竹林や目の前に広がる瀬戸内海、その遠くの島々がぼんやりした輪郭で映し出され、日本で言うところの「借景」が幻想的に表現されていた。単に景色が素晴らしかったのか、リヒターによるこの“仕掛け”が相乗効果をもたらしていたのか、いまとなってははっきりしないが……。
さて、日本の美術館では16年ぶりとなるリヒターの個展が開催中だ。会場には多岐にわたる表現方法の作品が並んでいたが、総じて観客に挑戦状を突きつけるような内容だったように思う。何より注目は4点から成る作品「ビルケナウ」だ。一見すると抽象絵画なのだが、タイトルが示すとおり、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を主題としている。なんと抽象絵画の下層には、当時の囚人が隠し撮りした写真を元にしたイメージ画が描かれているのだという。しかし表面に表われているのは黒と白、ところどころに赤と緑を荒く塗り込んだ絵具のみ。もしタイトルも解説も知らずに観たならば、単なる抽象絵画にしか映らないのに、知ってしまうと、穏やかな気持ちではいられなくなる。いったい、そこに“本当は”何が描かれているのかと頭の中で暗い想像が巡るからだ。そうすると目に映る絵具ではなく、頭の中の風景がそこから滲み出てくるような感覚に襲われる。「どうだ、君らにこのイメージ画が見えるか」と、まるでリヒターに挑まれているような気持ちにもなった。しかもイメージ画の元になった同強制収容所の内部の写真(複製)が側で展示されていて、悲しくも、その暗い想像を助けた。
左上:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-1)》(2014)
右上:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-2)》(2014)
左下:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-3)》(2014)
右下:ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ(CR: 937-4)》(2014)
ゲルハルト・リヒター財団蔵 油彩、キャンバス 各260×200cm
© Gerhard Richter 2022 (07062022)
1932年にドイツで生まれたリヒターは、ナチス政権下で幼い頃を過ごしたことになる。ホロコーストを題材とすることは、おそらく自身のアイデンティティーに向き合うことと同義なのだろう。何度か取り組もうと試みたものの、この深刻な問題に対して適切な表現方法を見つけられず、晩年に差し掛かってようやくこの方法に到達したのだという。あくまでも観客の心の目に委ねたところが心憎い。豊島で観た同類のガラス作品も本展で展示されていた。当たり前だが、あの美しい瀬戸内海の景色はここにはなく、ガラス板に映るのは自分やほかの観客の影、周囲の作品だった。自分の目の前にある作品をどう観るか。どう捉えるのか。終始、それが試された展覧会だった。
ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス(CR: 928)》(2012)
ワコウ・ワークス・オブ・アート蔵
8枚のアンテリオ・ガラス、スチール 230×160×350cm
[Photo: Takahiro Igarashi]© Gerhard Richter 2022 (07062022)
公式サイト:https://richter.exhibit.jp/
2022/07/17(日)(杉江あこ)
Yui Takada with ori.studio CHAOTIC ORDER 髙田唯 混沌とした秩序
会期:2022/07/11~2022/08/25
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
本人の外見と生み出す作品とが一致しないクリエイターは多い。無骨な風貌の作家がとても繊細で美しい作品をつくり出すことはままあるが、グラフィックデザイナーの髙田唯はその逆だ。華奢で凛とした雰囲気に反して、どこか力の抜けた作品が多い。本展を観てますますそれを確信した。まず、会場1階で待ち受けるのは凧である。壁から天井にかけて、人の形を全面に記号的に描いた色とりどりの凧が網の目のように吊り下げられていた。「人と人とがつながり続ける世界」というメッセージがそこにはあるのだが、いかんせん手づくりの凧であるため、ゆるさを伴って伝わってくる。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1階[撮影:藤塚光政]
地下1階にはさらに髙田唯ならではの「混沌とした」作品の数々が発表されていた。スポーツ新聞の記事や広告を小さく四角に切り取ったトリミング、駅や施設などで見られる黄と黒の縞模様のアテンションサインの写真、食品の成分表示の手書き模写など、さまざまなテーマのもとで収集や制作した結果や記録のようなものが並んでいた。彼は実験や観察を好むタイプなのだろう。街で自然発生している現象や人々の何気ない行為、痕跡を無視することができず、そこに人一倍の関心を寄せてしまう。もしかすると彼はそこにデザインの原初を見出そうとしているのではないか。
通常、専門教育を受けたり訓練を積んだりした人がプロのデザイナーとなるわけだが、非デザイナーでも人は身の回りのものを使いやすく加工したり、新たに何かをつくったりすることがある。プロではなくとも、そうした行為はデザインの一環と言える。髙田唯が着目するのは、そうした無意識や無作為の下で行なわれているデザインなのではないか。プロのデザイナーの目から見ると、そこに新たな発見や気づきがあるからこそ惹かれるのだろう。それは、どんなにプロとしての腕を磨いても決して到達できない未知の領域でもあるからだ。本展のタイトル「CHAOTIC ORDER」とは「混沌とした秩序」である。まさに混沌としていながらも、あるテーマで括ることで、そこに何らかの秩序が生まれるのを見て取れた。「混沌としたもの」への愛があるからこそできる試みだと痛感した。
展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー地下1階[撮影:藤塚光政]
公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000788
2022/07/15(金)(杉江あこ)
第24回亀倉雄策賞受賞記念 大貫卓也展「ヒロシマ」
会期:2022/07/12~2022/08/20
クリエイションギャラリーG8[東京都]
手に持って振ると、小さな容器の中で白い粉がふわっと舞い上がり、ゆっくりと落ちていくスノードーム。粉雪に喩えたその幻想的な景色を眺めることで、人々は幸せを静かに感じる。が、もしもそれが黒い粉だとしたら……? 白を黒に反転させるだけで幸福が不幸の象徴になる、その鮮やかな手法に舌を巻いた。
展示風景 クリエイションギャラリーG8
アートディレクターの大貫卓也がデザインした平和希求キャンペーンポスターおよび関連制作物「HIROSHIMA APPEALS 2021」が、第24回亀倉雄策賞を受賞した。私はこのポスター自体は昨年に見た覚えがあるのだが、受賞記念展である本展は想像以上に圧巻だった。会場の床一面に黒い粉が敷き詰められていて、ドームの中の景色を自らたどるような演出がなされていたのだ。「HIROSHIMA APPEALS(ヒロシマ・アピールズ)」は、日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)と広島国際文化財団、ヒロシマ平和創造基金が、核兵器廃絶や平和の尊さをグラフィックデザインを通して世界に呼びかける共同プロジェクトである。毎年、JAGDA会員ひとりが新しいポスター1点をボランティアで制作している。つまりこのポスターで描かれた黒い粉に喩えたものとは、原子爆弾が落とされた後に降ったとされる放射能を含んだ「黒い雨」である。あるいは投下直後に舞い上がった「キノコ雲」の煙かもしれない。そうした恐ろしい想像が頭を巡る。そしてドームの中で黒い粉を浴びるのは、平和の象徴である白い鳩だ。これほど明快で、強烈なメッセージがあるだろうか。さすが、広告業界で名を挙げたクリエイターらしい手腕であると痛感した。
展示風景 クリエイションギャラリーG8
しかも「HIROSHIMA APPEALS 2021」はポスターのみで完結しているわけではない。最新のAR技術を採用していて、スマートフォンをポスターにかざすことで黒い粉が舞い上がる映像を見ることもできる。「原子爆弾の脅威を今の若者へ歴史としてではなく、ライブ感をもって伝えること」が、希望のある未来を描くことになると考えたと大貫卓也はメッセージを寄せている。本展では奥の展示室で映像が紹介されており、音楽との相乗効果もあって迫力満点だった。数羽の白い鳩が優雅に舞いながら、こちらにどんどん近づいてくる。最後には画面に大きく映し出された鳩にじっと見つめられ、思わずたじろいてしまう。それは平和を脅かす人間に裁きを下すような顔にも見える。奇しくも世界的に核の脅威が再認識されている現在、このポスターの重みが増している。
展示風景 クリエイションギャラリーG8
公式サイト:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/2207/2207.html
2022/07/15(金)(杉江あこ)
ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで
会期:2022/07/16~2022/10/16
東京都現代美術館[東京都]
「土地に痕跡を残さない建築をつくりたい」。本展を観ていてハッとした言葉がこれだった。ヴィトラから復刻家具が発売されるなど、ジャン・プルーヴェは現代においても世界的に人気の高いデザイナーのひとりである。もちろん家具のみならず、建築でもその手腕を発揮した人物であることは知っていたが、本展を観て改めて、そのものづくりへの独特な姿勢を痛感した。「家具をつくることと家を建てることに違いはない。実際、それらの材料、構造計算、スケッチはとても似通っている」という言葉が証明するように、プルーヴェにとって家具と建築との間に境はなかったようだ。つまり家具は小さな建築であるし、建築は大きな家具である。だからこそ、「土地に痕跡を残さない建築」という発想が生まれたのだろう。
展示風景 東京都現代美術館 ©︎ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924
実際にプルーヴェが設計した住宅のほとんどが、解体・移築が可能な建築物だった。しかも第二次世界大戦後、母国フランスの戦後復興計画の一環として複数のプレファブ住宅を考案したというから、住宅の工業化にいち早く目を付けていたことがわかる。戦中はレジスタンス運動に積極的に参加したという経歴からして、プルーヴェは庶民が安心して暮らせる住宅を大量に広めることに価値を置いていたのだろう。とはいえ、それは安かろう悪かろうの類ではない。人間工学に基づくシンプルで合理的で美しい形を追究し続け、それを独自の構造で成立させようと試みてきた。「構造の設計こそが建築の設計である」という根幹部分は建築も家具も同じで、そこにプルーヴェらしい美意識を見ることができる。
展示風景 東京都現代美術館 《「メトロポール」住宅(プロトタイプ、部分)》Lourence and Patirick Seguin collection ©︎ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924
したがって家具のみならず建築物も同様に展示されていた本展は、非常に見応えがあった。地下2階の広い空間には《F 8×8 BCC組立式住宅》が建っており、中に入ることはできないが、上から横から眺めることができた。また《「メトロポール」住宅(プロトタイプ)》は「ポルティーク」と呼ばれる門型フレームの構造体とファサードが別々に展示されており、組立式住宅であることが強調されていた。建築の展示というと、どうしても図面や模型、写真などで紹介されることが多いが、こうして生の部材を目にすると迫力がある。おかげでプルーヴェの素材への執着や構造に対する探究心などを肌で感じることができた。
展示風景 東京都現代美術館 《F 8×8 BCC組立式住宅》Yusaku Maezawa collection ©︎ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924
公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/Jean_Prouve/
2022/07/15(金)(杉江あこ)