artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
原倫太郎「上昇と下降」
会期:2016/11/19~2016/12/18
AYUMIGALLERY/CAVE[東京都]
大きい部屋では数十個のカラフルなボールが宙を飛び交ってる。んなわけないので近づいて見ると、空間に張り巡らせた2本の透明なテグスのレール上を滑り降りている。下まで降りたボールはリフトで天井近くまで上がり、再び滑り降りていく仕掛けだ。それが2組あるけれど、レールが複雑に交差しているので全体でひとつに見える。なんか楽しげでありながら、見ているうちに哀しげにも感じられてくる。ここでシジフォスの神話を思い出すのは野暮というものだろう。
2016/12/07(水)(村田真)
endless 山田正亮の絵画
会期:2016/12/06~2017/02/12
東京国立近代美術館[東京都]
初期の「Still Life」シリーズから、代表作の「Work」シリーズ、晩年の「Color」シリーズまで約220点による大回顧展。戦後まもなく始めた「Still Life」は、ピカソやモンドリアンのように静物画の解体から再構築、抽象化にいたる過程がたどれ、50年代なかばから40年近く続いた「Work」は、ジグソーパズルみたいな形態の組み合わせから、同心矩形、水平方向のストライプ、矩形の画面分割、表現主義的なタッチにいたる展開が見られ、最後の「Color」は青、緑、赤などほとんど単色の画面に行きついている。なかでも圧巻なのが、全体の半数近くを占めるストライプ絵画だ。ほぼ60年代を通して描かれたこのシリーズでのちに評価を得ることになるのだから、大きく扱われるのは当然かもしれないが、色やサイズは異なるとはいえ、評価もされないうちからよく10年間もストライプばかり描き続けたもんだと感心する。よほど強靭な信念を抱いていなければできないことだ。
でも意地悪な見方をすれば、10年後20年後にウケることを見越して計画を練り、予定どおり実行してきた確信犯だったのではないかと見ることもできる。実際、彼は90年代なかばに「ひとつの円環を形成」した、つまりやるべきことはやり尽くしたといって「Work」シリーズに終止符を打ってしまうのだ。ということは、40年におよぶ「Work」シリーズは、どこに行きつくかわからない絵画の冒険だったというより、あらかじめ着地点が想定されたひとつの壮大なプロジェクトだったといえなくもない。ってことは、その後の「Color」シリーズは「Work」とはなんの関係もない老後の楽しみだった、という見方も可能になる。そんなことありうるんだろうか、そんな割り切った考え方をする画家がいること自体、ちょっと信じられない。でももしそうだとしたら、それは凡庸な画家の思惑をはるかに超えている点でスゴイことだと思う。
さらに彼は作品台帳をつくって自分のすべての作品を管理していたという。これは見習うべき習性ではあるけれど、逆にその気になれば作品のデータを意図的に操作することもできるということだ。じつは山田は作品の制作年を偽ったとされ(学歴も東大中退と詐称)、90年代に評価が割れた。学歴詐称は人格が疑われる程度で済むが、制作年詐称は作品評価に直接響き、美術史上の位置づけを揺るがす。その疑惑を告発したのが美術評論家の藤枝晃雄であり、そして彼こそ山田を最初に正当に評価した人物にほかならない。にもかかわらず、というより、それゆえになのか、同展のカタログのなかで藤枝の名は巻末の参考文献を除いてまったく出てこない。なんともすっきりしない思いが残るのだ。制作年を偽ったかどうか真相はわからないし、万一偽ったとしても些細な範囲だろうけど、それでも疑惑があるというだけで、作品を見る目は大きく変わらざるをえない。作品を見る限り偉業としかいいようがないだけに残念。
2016/12/06(火)(村田真)
柳根澤展
会期:2016/11/12~2016/12/04
gallery21yo-j[東京都]
昨日、多摩美術大学美術館の帰りに寄るつもりだったが、じっくり見たため時間がなくなり、最終日になってしまった。多摩美に比べてこちらは小展示だろうからスルーしようかと思ったが、いや見に行ってよかった。作品は80号ほどの正方形の大作3点に小品10点ほど。大作は3点とも緑がかった絵具で蚊帳らしきものを描いた室内風景で、4辺に数センチの余白を残し、そのなかに四角い蚊帳、さらに蚊帳のなかに透けて見える人物を入れ子状に配している。蚊帳のなかの人物というのも絵に表わしにくいものだが、それをあえて描こうとするところに画家としての心意気を感じる。蚊帳のほかに大作3点に共通しているのは、床が板張りであること、左端の上にまるで画中画のように外の街景を望む窓を設けていること。一方、10点の小品のほうは街並のようなものが描かれているが、山田正亮みたいに抽象化の進んだ画像も混在している。これはなんだろう? 大作との関係はあるんだろうかと振り返ってみると、小品のサイズは大作の左端に描かれた窓とほぼ同じくらいであることに気づく。ということは、これらは大作の窓の風景の習作なのか。それとも大作の窓からスピンアウトした「派生小品」なのか。小規模ながら迷宮のような展覧会。
2016/12/04(日)(村田真)
柳根澤 召喚される絵画の全量
会期:2016/09/24~2016/12/04
多摩美術大学美術館[東京都]
朝日新聞で山下裕二氏が絶賛していたので、どんなもんかと思いつつ見に行った。最初はあまりピンと来なかったけれど、見ていくうちにジワジワと染み込んでくる。見れば見るほど染み込んでくる。ハズレはない。ほぼすべてド真ん中に入ってくる。こんな経験は何年ぶりだろう? 彼の絵はキャンバスに油彩やアクリルで描いた西洋画ではなく、韓国紙に墨やグワッシュ、テンペラを使ったいわゆる東洋画で、モチーフは公園の風景や室内、湖、林、テーブル、本棚、自画像など、ごくありふれたもの。そう書くとつまらない日本画を思い出すかもしれないが、逆にそれだけの要素でこれほど豊穣な絵画世界を開示してくれるところがスゴイのだ。もっとも、室内にゾウがいたり、湖に家や家具が浮かんでいたり、シュールなイメージは散見されるけれど、そんな奇妙なヴィジュアルで驚かすわけではない。おそらく室内にゾウがいるのは、シワだらけのゾウの足元に敷かれたしわくちゃの布団と関連しているだろうし、湖にごちゃごちゃしたものが浮かんでいるのは、湖面に映る背後のギザギザした岩肌と対置させたかったからに違いない。
もし彼の選ぶモチーフに特徴があるとすれば、こうしたゾウや布団のシワ、ギザギザの岩肌のほか、木々の葉、本棚に並んだ無数の本、何百何千もの石を積み上げた石垣といったフラクタルなありさまであり、それはとりもなおさず絵に描きにくいものばかりなのだ。例えば《Some dinner》は、さまざまな料理や食器の置かれたテーブルを描いているのだが、画面の半分は白い胡粉の滴りで覆われている。そこではごちゃごちゃした静物を描き出す喜びと同時に、絵具を存分に滴らせることの愉悦も感じているはずだ。《Some Library》は図書館の奥まった本棚を描いたものだが、同時に棚の水平線と本の垂直線の織りなすノイジーなリズムを表わそうとしているに違いない。これまでずいぶんたくさん絵を見てきたはずなのに、これこそ「絵」であり、これこそ「描く」ことなのだと、あらためて絵画の本質に触れてしまったような新鮮な気分になることができた。
2016/12/03(土)(村田真)
改組 新 第3回日展
会期:2016/10/28~2016/12/04
国立新美術館[東京都]
まず日本画を見る。なんの感動も感想もない。洋画を見る。感動はないが、感想を少し。最初の部屋の壁一面に特選10点が並んでいるが、驚くことにすべて学生レベル。もっと悪いことに、学生ならまだ向上心があり、やり直しもきくけど、この方々はハナからやる気がなさそう。ありきたりの風景、人物、静物を無難に描いてるだけで、なんの野心も冒険も感じられない。いや、日展内で出世しようという野心はあるのかもしれないが、少なくとも芸術上の冒険精神はまるで感じられない。もちろん今回に限ったことではなく、毎度のことだが。そんななか、水墨画風フォトリアリズムの水彩画を出した山本浩之の《朝の雪》は、あまり見かけない画風で新鮮に感じた。
2016/12/03(土)(村田真)