artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ

会期:2016/10/22~2016/01/15

国立国際美術館[大阪府]

金曜の夜は20時までやっているので最後に見に行く。エスカレーターで地下の展示室に降りると、入口に丸太を一辺20メートルの三角錐に組み上げた《雷》の一部が再現されている。1977年から10年間、毎年京都の鷲峰山・大峰山の山頂に設置し、雷が落ちるのを待つという「作品」だ。再現とはいえ実物を見るのは初めてだが、写真で見るよりはるかにデカイ。壁や天井に遮られた室内だからよけい大きく感じるのだろう。後に、ニューメキシコの平原に400本もの金属棒を立てて落雷を待つという、ウォルター・デ・マリアの《ライトニング・フィールド》を知ることになるが、どちらも同じ77年に始めたというのは偶然の一致か。いずれにせよ、これだけ見るとアースワークの集団かと勘違いされそうだが、むしろ毎年これを組み立てるという「行為」を重視していたようだ。例えば発泡スチロールで巨大な矢印型の筏をつくって川下りする《現代美術の流れ》にしろ、12匹の羊を連れて京都から神戸まで歩く《SHEEP:羊飼い》にしろ、自然を相手にはしているけれど、そこでモノとしての作品を残すのではなく、無意味な行為(ハプニングと呼んでいた)に賭けようとしているのがわかる。展示は、プロジェクトごとにベニヤ板のパネルを立て、その上に写真や資料やポスターなどを並べ、記録映像を流す方式。きっちりと区画・整理するのではなく、ざっくりとした見せ方がプレイらしい。

2016/11/25(金)(村田真)

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寺林武洋─LIFE III─

会期:2016/11/25~2016/12/18

Yoshimi Arts[大阪府]

大中小あわせて10点ほど。アパートの階段、台所、電灯、スイッチ、すり切れた畳など、実際に作者の身の回りにある品々や風景を、まあはっきりいってどうでもいいようなものたちを、自分の目線で、ほぼ実物大で精密に描いている。いわゆる写実絵画だが、描かなくていいような壁の汚れやシールの跡まで克明に描写している点で、「くそリアリズム」といったほうが正しいかもしれない。いわば正統派のくそリアリズム。もちろんホメてるんですよ。

2016/11/25(金)(村田真)

見世物大博覧会

会期:2016/09/08~2016/11/29

国立民族学博物館[大阪府]

関西旅行のメインディッシュはこれ、わざわざこれを見に関西まで来たのだ。なぜそんなに見世物に惹かれるのかというと、答えは簡単で、見世物というのは人の気を惹くようにつくられているからだ。でもぼくが惹かれるのはそれだけでなく、見世物は美術の隣接領域にあり、また美術と表裏の関係にもあるからだろう。つまり見世物のことを知ると、おのずと美術の輪郭も浮かび上がってくるような気がするのだ。展示は、見世物小屋を飾った絵看板をはじめ、曲芸、軽業、女相撲、人間ポンプなど出し物のチラシや道具や写真、籠や貝殻を使って人や動物の姿に似せる細工物、からくり人形、生人形、お化け人形、エレキテル、トラやワニの剥製、人魚のミイラ、明治初期の博覧会を描いた浮世絵、そして最後はなぜか寺山修司と天井桟敷の妖しげな世界の紹介で終わっている。こうしてみると、いまではスポーツ、演劇、パフォーマンス、工芸、科学、生物学、博覧会などに細分化されたジャンルが未分化のまま、スペクタクルな見世物として金を取って見られていたことがわかる。美術の隣接領域でいえば、絵看板、細工物、生人形などがあり、これらはいずれもモダンアートが切り捨ててきた胡散臭さやハリボテ感にあふれているが、じつはこうした胡散臭さこそが人を惹きつけてやまないフェロモンだったりするのだ。だからモダンアートが破綻して久しい現在、再びというか、胡散臭い見世物的アートがはびこっているのかもしれない。

2016/11/25(金)(村田真)

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KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN マーティン・クリード

会期:2016/10/22~2016/11/27

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

マーティン・クリードといえば、国際展では思わず笑ってしまうような作品を見かけるが、日本ではほとんど見る機会のないアーティスト(広島現美で個展が開かれたことがあるが)。それが京都芸大のギャラリーでやるのは、今秋の京都国際舞台芸術祭にダンスパフォーマンスを発表した縁だ。今回の作品は小泉明郎と同じく映像2本。1本は、60年代的な時代がかったポップ音楽と、白髪まじりのモジャモジャ頭のおっさんが登場する映像のコンビネーションで、なんじゃこりゃ。もう1本は、通りをいろんな人が歩いて行くのを追うだけの映像だが、ちょっと脚を引きずってる人から、かなり脚を引きずってる人、最後は脚で歩けず手と尻だけで進む人という具合に、どんどん重症化していく。小泉の映像とは逆に、一見シリアスなのに笑ってしまいそうになる。ブラックジョークの得意なイギリスっぽい。

2016/11/25(金)(村田真)

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小泉明郎 CONFESSIONS

会期:2016/10/28~2016/11/27

京都芸術センター[京都府]

関西へ日帰りの旅。まず、関東でも見られるけど見逃している小泉明郎の個展へ。作品は2つあって、ひとつは、繁華街の若者やホームレスの姿が断続的に流れる映像に、「あなたの心のいちばん奥底にある言葉を聞かせてください」というインタビューの音声を被せた《最後の詩》。インタビュアーは「自分の好きなところは?」「日本をどう思いますか?」といった無難な問いから、次第に「レイプしたいか?」「殺したい人はいるか?」とエスカレートしていき、「もっとあるでしょ、もっと!」「ふざけんなといえよ! 腹立ってんだろ?」と挑発していく。もうひとつは、杉本博司の「海景」シリーズみたいな水平線が映る映像に、「子どもが上を見上げた瞬間に私は子どもを突き落としました。ところが頭から落ちれば即死するのに尻から落ちた」と朗読の声が被さるのだが、途中で「んあ!? ああ!?」と引っかかり、先へ進めなくなってしまう。映像も半分は焔に包まれた男の肖像に変化していく。どちらの作品も見ていてもどかしくなり、つらくもなるが、それは予定調和や同調圧力に対する抵抗の表現であるからだろう。

2016/11/25(金)(村田真)

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