artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
Ezotic Caravan──国の北から
会期:2014/12/04~2014/12/09
東京都美術館ギャラリーC[東京都]
タイトルの「国の北から」はいわずもがな、「エゾチック・キャラバン」のほうも国鉄時代のキャンペーン「エキゾチック・ジャパン」をもじったのか。命名者は50代だな。ちなみに「エゾチック」とは北海道的なるもの、といった意味らしい。出品は北海道出身の18人による絵画、彫刻、インスタレーション、写真、マンガなど。いくつか目についた作品を挙げると、石ばかり描いた工芸的仕上がりの絵画(+オブジェ)の川上亜里子、「ドーン」という文字を立体化して赤く塗った高橋喜代史、白い液体を入れたプールの上から水に関連する記号やイメージを投影した端聡、女性ヌードの投稿写真ばかり描出する村山之都、自作の縄文太鼓を並べた茂呂剛伸……。よくも悪くもエゾチックなものは感じられませんでした。
2014/12/09(火)(村田真)
HAKKA
会期:2014/12/04~2014/12/09
BankARTスタジオNYK[神奈川県]
なにも知らずに入った。絵も数点あるが、大半が写真の展示。聞いたことある名前は鷹野隆大と蔵真墨くらいで、あとは30歳前後の人たちが多い。どういうグループか知らないが、レベルは一定以上だ。たまたまその場にいた山岸剛の作品について述べると、暗い画面を上下に二分する白い水平線の入った写真と、上下に2、3段の層をなす白っぽい写真の2点を並べている。黒っぽい画面のほうは右上に薄明の空、左下に植物らしきものが写っているので風景写真とわかるが、中央の水平線が不明。2枚の風景を上下に合わせたようにも見えるが、そうでもないようだ。一方、白っぽい写真のほうは雪景色とわかるが、川と雪の積もった岸との境があまりにくっきり分かれていて、これも2枚の風景の組み合わせかと思えてくる。作者によれば、どちらもストレート写真で、前者の白い水平線は夜ヘッドライトをつけて走る車を長時間露光で撮ったため、白い軌跡になったそうだ。2点とも石巻市を流れる北上川下流をほぼ同じ位置から撮ったものだという。さて、ここで引っかかったのは、なんで震災とも津波とも関係のない主題を撮るためにわざわざ石巻まで行ったかということ。つい最近まで、被災地を作品に採り込めば社会的に認められると勘違いしている人が多いんじゃないかと疑っていたからだが、しかし、たとえ場所探しのためだけでも被災地を訪れるのはけっして無駄なことではない、とも思い始めた。
2014/12/05(金)(村田真)
ホイッスラー展
会期:2014/12/06~2015/03/01
横浜美術館[神奈川県]
ホイッスラーというと、日本ではジャポニスムの画家として知られるが、パリで美術を学び、ロンドンに移住してからも英仏海峡を頻繁に往復しているため、当時の英仏美術の最先端だったレアリスム、唯美主義、印象派などの影響も見られる。これだけ広範に活躍し、技量も確かなうえ、スキャンダルにもこと欠かないというのに、同世代のマネやドガより知名度が低いのは、パリではなくロンドンに住んでいたからか? でもこれ以上ポピュラーになってほしくないというのもファンの心理だ。まあここまで大きな回顧展が開かれたら無理だろうね。
2014/12/05(金)(村田真)
KIYOMEプロジェクト 報告会・トークイベント
会期:2014/12/05
木材会館[東京都]
この秋、なぜかお風呂の審査員をやった。といっても別に裸の女性が出てくるわけではなく(当たり前だ)、檜を使った浴槽を製造・販売する檜創建という会社が主催する浴槽のデザインコンペ。風呂はただ身体の汚れを落とす場というだけでなく、心を清(浄)める時空間でもあるとの考えから「KIYOMEプロジェクト」と名づけられた。今日はその審査の報告とトークイベント。コンペは彫刻家、建築家、インスタレーション作家が提案した三者三様のプランを、哲学者の鎌田東二、彫刻家の三宅一樹、ギャラリーエークワッド館長の川北英、檜創建代表取締役社長の小栗幹大が審査、彫刻家の木戸龍介による卵形の浴槽プランが選ばれた。扉がついたカプセル型の浴槽で、表面に神経細胞のような網の目状の透かし彫りを入れる予定。難易度は高いが、檜創建と共同制作していくという。実現したらぜひ入りたいものだ。この日は木戸氏と審査員全員が登壇し、審査の感想や日本の風呂の独自性などについて話し合った。お風呂も文化だということがつくづくわかった。
2014/12/05(金)(村田真)
高松次郎ミステリーズ
会期:2014/12/02~2014/11/22
東京国立近代美術館[東京都]
高松次郎がイジられてる。タイトルからして高松らしくないし。導入はだれでもわかる「影」シリーズから。子どもの影を二重に描いた《No.273(影)》や、立てかけた板の裏から光を当てた《光と影》などの後に、観客が自分の影で遊んだり写真を撮ったりできる「影ラボ」が続く。まだ序盤なのに、ここまで遊ぶか。仮設壁を取っ払った大きな展示室には、60年代の「点」「遠近法」シリーズ、70年代の「単体」「複合体」シリーズ、そして98年の死まで続く絵画が一堂に並べられ、中央に設えた高松のアトリエと同じサイズ(意外と小さい)の物見台からすべてを見渡せる仕掛け。なるほど、こうして見ると、あれこれ手を替え品を替えやってきた仕事が「点」ではなく「線」で結ばれることが了解できるのだ。高松次郎の「ミステリーズ」を解きほぐす試みと見ることもできる。さすが、イジリがいのあるアーティストだ。ただ残念なのは、作品が60-70年代に偏りすぎて、80-90年代を費やした絵画がきわめて手薄なこと。もちろん現代美術への貢献度からすればこれで「正解」かもしれないが、しかしそんなに高松の絵画はイジリがいがないのか。
2014/12/01(月)(村田真)