artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

祭り、炎上、沈黙、そして… POST 3.11

会期:2014/11/26~2014/12/07

東京都美術館ギャラリーA[東京都]

3.11後、美術家はなにをなすべきか。おそらく美術家ならだれもが考えたはずの美術家の社会的役割というものを、みずからに問い続ける5人の展示。石塚雅子の絵画はとりたてて3.11を思い出させるものではないし、新しさも感じられないが、にもかかわらず鮮烈な印象を与える。横湯久美の写真も3.11とは無関係に、祖母の死に際してみずから演じた極私的奇態を撮ったもの。だから見てしまう。見る側は別に3.11を意識しないから。

2014/11/28(金)(村田真)

フェルディナント・ホドラー展

会期:2014/10/07~2015/01/12

国立西洋美術館[東京都]

これだけまとまってホドラーを見るのは初めてのこと。自然の景色なのにまるで「左右対称」の号令をかけられたような奇妙な風景画や、独自のリズムでモチーフを繰り返す「パラレリズム」の集団人物像など約100点の展示。初めは土産物用の風景画家から出発し、真逆ともいえる象徴主義に行きついたという画業も、ヨーロッパの屋根裏ともいうべき(いわないか)スイスに生涯とどまって制作したという経歴も、ローカルな場所にこだわることでグローバルな世界に突き抜ける例として興味深い。世代的にはクリムトあたりに近いが、そういえばクリムトも装飾職人から出発し、ヨーロッパの辺境(ウィーン)で生涯をすごした点で似ていなくもない。美術史はたまにスイスとかオーストリアとかベルギーといった小国から、瞠目すべき画家を生み出す。なによりうれしいのは、油絵の醍醐味である豊かな筆触を堪能できたこと。

2014/11/28(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00027841.json s 10105750

「アーキテクツ/1933/Shirokane アール・デコ建築をみる」展+「内藤礼 信の感情」展

会期:2014/11/22~2014/12/25

東京都庭園美術館[東京都]

庭園美術館がリニューアルオープン。1933年に建てられた本館は、当時の資料を調査して創建当初に近い姿に復元・改修したという。さらに本館の奥に新館がオープン、杉本博司がアドバイスしたホワイトキューブの展示室が設けられた。内藤礼はこの展示室にわずかに色彩を施した白いキャンバス作品と、小さなオブジェ(鏡の前に立つ木製フィギュア)を設置。それだけでなく、本館に数カ所ある鏡の前にもフィギュアを置いた。フィギュアといっても手足と目らしきものが判別できる程度のプリミティブな人形で、まるで古い館に棲みついた妖精みたい。といったらメルヘンチックすぎるか。作者によると「ひと」だという。

2014/11/21(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00028629.json、/relation/e_00028630.json s 10105749

日清・日露戦争とメディア

会期:2014/10/04~2014/11/24

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

そうか、今年は第1次大戦開始から100年目だけど、日清戦争120年、日露戦争110年でもあった。そして来年は第2次大戦が終わって70年。昔は戦争ばかりやってたんだなあ。そんな100年以上も前のふたつの戦争を伝えた複製メディアを紹介するもの。日清戦争のころは戦争錦絵が盛んに描かれたが、木版画なんで平坦、奥行きや立体感に欠けリアリティに乏しい。まだ江戸時代の浮世絵の面影を残してる。それに対して約10年後の日露戦争では石版画が主流となり、陰影の微妙なニュアンスが加わってリアリティが増していく。もちろん写真はすでに普及していたので、どちらの戦争でも記録として活用されていたが。それにしても、カラー写真や映画、大量印刷などさらにマスメディアが発達した第2次大戦においてなぜ、オールドな油絵や日本画による戦争画が組織的に描かれることになったのか、不思議といえば不思議。

2014/11/20(木)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00027905.json s 10105748

宮本三郎の仕事1940's-1950's──従軍体験と戦後の再出発

会期:2014/08/09~2014/12/07

宮本三郎記念美術館[東京都]

コレクションから戦中戦後の作品を展示。いわゆる戦争画は《飢渇》だけ、それも題名からうかがえるように敗色濃いものだが、代表的な《山下、パーシバル両司令官会見図》《香港ニコルソン附近の激戦》といった大作の下絵やスケッチ類、さらに宮本が挿絵を手がけた『週刊小国民』『画報 躍進之日本』なども出ている。敗戦後、戦争画関連の作品・資料は焼いてしまったという画家も多いと聞くが、宮本も複雑な思いはあっただろうけど、少なくとも戦争画に手を染めた事実は消そうとはしなかったようで、ちゃんと残していたのだ。戦後の40年代後半はまだ戦争(画)を引きずっていたのかシックな色合いの絵が多かったが、50年にピエタの構図を借りて戦争体験を総括するかのような《死の家族》を発表。1年たらずの滞欧を経て次第に色彩も形態も開放的になり、50年代後半にはアンフォルメル旋風に影響されたような半抽象画に移行し、このままだと60年代は純粋抽象に突入するのではないか、と気になるところで終わっている。実際は抽象に走ることなくケバいヌード画に展開していくのだが、後半生も含めてやっぱり戦争画ほど目的が明確で、おそらく画家自身もやりがいを感じ、しかも多くの人々の心を動かした画業はないんじゃないかとふと思う。もちろん多くの人々の心を動かすのが必ずしもいいこととは限らないが。とくにひとつの方向に動かすのはね。余談だが、12月6日には天皇・皇后両陛下が鑑賞されたという。戦争画が含まれているから?

2014/11/20(木)(村田真)