artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
ボディーズ・イン・アーバン・スペーシズ・イン・ヨコハマ
会期:2012/09/29~2012/09/30
関内[神奈川県]
午後4時半、神奈川芸術劇場のアトリウムに集合。事前情報はそれだけ。時間をすぎると旗を持ったスタッフの先導で外へ。見ると、劇場の外壁の出っ張った軒にカラフルな服を着た数人のパフォーマーがよこたわっている。これはおかしい。観客が中華街のほうへ移動し始めると、いまのパフォーマーたちが走って抜いていく。つねに先回りして準備しとかなければならないのだ。駐車メーターに絡んだり、ビルとビルの隙間に上下に並んだり、階段にびっしりとはいつくばったり、中華街から元町をすぎ、港の見える丘公園まで10カ所以上でやっただろうか。パフォーマンスそのものはなんの意味もなくバカバカしくて笑えるが、それ以上におかしいのは、旗を持った先導者に付き従ってパフォーマンスの写真を撮る100人近い観客たちと、行儀正しく交通整理するスタッフたちだ。本来こうしたストリート・パフォーマンスは予告も許可もなくゲリラ的に行なわれるものだが、それを「芸術」としてありがたく「鑑賞」する光景もメタ・パフォーマンスとして成立するんじゃないか。
2012/09/29(金)(村田真)
リー・ミンウェイ展「澄・微」
会期:2012/08/28~2012/10/21
資生堂ギャラリー[東京都]
台湾生まれ、アメリカで美術を学んだアーティストによる個展。大きなギャラリーには、縁台の上にヒモで結んだ木箱が16点置かれている。縁台に上がり、ヒモを解いてフタを開けると着物がたたんである。公募で集めた布製品を、それにまつわる思い出とともに収めたもの。これは、母の縫った上着を着ることで幼稚園に行く勇気が出たという作者の幼いころの思い出が発想の原点になっているらしい。小さいギャラリーには小屋を建て、なかに机と筆記具を置き、観客が思いを伝えたい相手に手紙を書けるようにしている。封をしない手紙は壁のラックに差し込んでおけば別の観客に読んでもらえるし、宛先を書いて封をした手紙はスタッフに渡せば投函してもらうことができる仕組み。どちらもひと昔前に流行した観客参加型のコミュニケーションアートといえるが、まだこういうことやってるアーティストがいるんだあというのが正直な感想。古い新しいはともかくとして、ぼくは参加したいとは思わないなあ。他人の思い出がつまった布製品なんて興味ないし、画廊回りの途中でだれかに手紙を書きたいとも思わないし。まあ個人の好きずきですが。
2012/09/28(金)(村田真)
小村希史「新作絵画2012」
会期:2012/09/04~2012/09/29
メグミオギタギャラリー[東京都]
ブラッシュストロークを生かした人物画で知られる小村の新作展。今回はリアルな描写とブラッシュストロークの対比を強調したり、たとえば馬の顔や足を半分消して描いたり、絵画的というより映像的になった印象だ。ウルトラセブンや仮面ライダー(の仮面)をモチーフにしたかと思えば、ゲルハルト・リヒターみたいに画像を筆でぼかした作品もあり、バリエーションが増えたというか、表現の振幅が膨らんでいる気がする。
2012/09/28(金)(村田真)
ビデオ・パーティー2012
会期:2012/09/21~2012/09/30
アートラボあいち4階[愛知県]
愛知芸術文化センターで行なわれる「アーツ・チャレンジ」の審査のため、昨日から名古屋に滞在。今日は審査が早めに終わったので帰る前にアートラボに寄ってみたら、全館を使って名古屋周辺の美大と連携した展覧会をやっていた。愛知芸大や名古屋造形大などの展示を冷やかし半分で見ていたら、なつかしい名前に出会った。4階で「ビデオ・パーティー」と称して、名古屋学芸大の映像メディア科と大阪成蹊大の情報デザイン学科の学生や卒業生による映像作品を流しているのだが、これをキュレーションしているのが瀬島久美子さんといって、もう30年以上も前に西武美術館で知り合った音と映像のプロデューサーだ。うわー久しぶり、当時はまだビデオアートの勃興期だったからなあ、隔世の感がある。いまは名古屋学芸大学の特任教授を務めているらしい。しばし感慨にふける。
2012/09/23(日)(村田真)
グラインダーマン『bow-wow』
会期:2012/09/20~2012/09/23
象の鼻テラス/パーク[神奈川県]
グラインダーマンといえば、その名のとおりグラインダーをギュンギュン回して火花を散らせるちょっとアブないパフォーマンス集団だと思っていたら、ずいぶん変わったようだ。パフォーマンスは象の鼻テラスの屋外から始まるのだが、観客はまず初めに「空気を読んで行動するように」との指導を受け、パフォーマーが右に走っていけば観客も追いかけていき、パフォーマーに引っぱり出されれば黙って従うことになる。パフォーマーたちは忙しくテラスの内外を出たり入ったりするのだが、その動きは集団として統制はとれているもののダンスほど訓練されているわけでもなく、自由さも感じられない。いったいこれはダンスなのかパフォーマンスなのか、つまるところなにがやりたいのかいまひとつ伝わらず、中途半端感は否めない。グラインダーの一芸だけでは発展性がないかもしれないが、しかしグラインダーを取ったらタダの人(マン)ではシャレにならない。
2012/09/21(金)(村田真)