artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

「ヨコハマトリエンナーレ2011」記者会見

会期:2011/05/26

スパイラルホール[東京都]

3.11の地震による中止から2カ月半を経てようやく開かれた記者会見。壇上には横浜市長でトリエンナーレの組織委員会会長を務める林文子、総合ディレクター逢坂恵理子、アーティスティック・ディレクター三木あき子が並び、司会の帆足亜紀を含めてすべて女性。これまでのマッチョ主義を排して「小さな物語」を紡いでいくのかと思ったら、そうでもなさそう。今回から国際交流基金が表向き抜け、横浜市が前面に出て市長まで出席しているというのに、市内の同時多発イベントや市民参加プログラムに関してはあまり触れられなかった。

2011/05/26(木)(村田真)

Chim↑Pom展「REAL TIMES」

会期:2011/05/20~2011/05/25

無人島プロダクション[東京都]

渋谷駅にある岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》に絵が追加されたというニュースを見たとき、犯人はなんて礼儀正しい人(たち)だろうと思った。壁画本体を傷つけず空白部分にハメ込んだ手口といい、福島原発事故をテーマにしたタイムリーかつ社会批評的な画題といい、色彩や形態を壁画に同調させたそれなりの技術といい、きわめて計画的でしかも現代アートの作法にのっとったインターヴェンションだなあと感心したものだ。だから犯人がChim↑Pomだと聞いたとき、少し意外だったが、それ以上に納得がいった。今回はそのビデオ映像をはじめ、被災地で起こしたアクションを紹介。陸に打ち上げられた船やガレキの山を背景に、メンバーと地元の青年10人くらいがスクラムを組んで、「がんばろー!」「おー!」「まけないぞ!」「おー!」と気合いを100連発入れたり、白い防護服を着た男が白い旗にスプレーで円を描いて、日の丸のわりに円が小さいなと思ったらそのまわりに3個の扇型を描いて核のマークになり、その旗を立ててカメラが退くと背景に建屋の吹き飛ばされた福島原発が見えたり……。とまあ社会活動とアートと悪ふざけの境界線上を全力で突っ走る、そのバランス感覚とスピード感は見事というほかない。展示も「リアルタイム」でやりたかったのだろう、会期は6日間のみ、しかも入場料500円を徴収し、その一部を義援金として寄付するという。

2011/05/23(月)(村田真)

金沢寿美「38curtain」

会期:2011/05/05~2011/05/22

遊工房アートスペース[東京都]

今年2月に愛知芸術文化センターで行なわれた「アーツ・チャレンジ2011」で、展望回廊のガラス窓にカーテンを吊ったインスタレーションを制作し、村田真に絶賛された金沢さんの個展。今回は「38カーテン」というから、またどこかから38枚もカーテンを集めて吊るのかと思ったら、38は朝鮮半島を南北に分ける38度線のこと。するとカーテンは民族を分断する「鉄のカーテン」ということになる。というと、ずいぶんハードなテーマに聞こえるかもしれないが、作品は緑のカーテンを使ったインスタレーションとアニメ、それに38度線付近を旅したときの日記。この38度線には南北に緩衝地帯があり、人が入れないので緑に覆われていて(鉄ならぬ緑のカーテン)、その緑のカーテンがどんどん広がって南北を覆いつくすというのがアニメの内容だ。エコロジーや故国の分断という問題をアートに引き寄せた旧西独のアーティスト、ヨゼフ・ボイスの活動を思い出させるが、ボイスのように政治的にならず、どこかメルヘンチックな軽さを備えているのが金沢らしいところだ。

2011/05/21(土)(村田真)

project N 45:クサナギシンペイ

会期:2011/04/09~2011/06/26

東京オペラシティアートギャラリー4階コリドール[東京都]

限られた色数の絵具を薄く溶き、余白を残しながらサラッと描いているので、まるで水墨画みたい。ところどころ高層ビルを思わせる垂直線や遠近法的な描写が認められ、風景画のように見えなくもない。表面的には直前に見た韓国絵画と似た要素もあるが、むしろ正反対に位置しているのかもしれない。

2011/05/21(土)(村田真)

李禹煥と韓国の作家たち

会期:2011/04/09~2011/06/26

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

東京オペラシティアートギャラリーの核となっている寺田コレクションというと、なぜか安井賞系の洋画家が多いように感じていたが、今回は打って変わって李禹煥、郭仁植、崔恩景、鄭相和ら韓国人作家のシンプルでミニマルな絵画を特集展示。へえこんな地味な作品もコレクションしていたのかと感心。こうした作品は70~80年代に盛んにつくられ、韓国固有の現代絵画と見られていたが、いつのまにかぱったり流れが途切れ、一掃されてしまった観がある。その後、韓国の現代美術はよくも悪くもグローバル化していく。それだけにこれらの作品は徒花的に見られるかもしれないが、むしろ現在のグローバル化した作品こそ徒花というべきで、これらのコレクションはとても貴重だと思う。

2011/05/21(土)(村田真)