artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

福岡道雄──何をしていいのか分からない/成田克彦──SUMI

会期:2011/07/06~2011/07/31

東京画廊[東京都]

「何もすることがない」とか「何をしていいのか分からない」といったネガティヴな言葉が黒い画面にびっしり刻み込まれた福岡の作品群は圧巻。言葉とは裏腹の充実した仕事ぶりだ。ギャラリーの奥にはゴミ袋に入った物体がいくつか置かれていたが、これが成田の《SUMI》? 会期はもう1週間目なのにまだ荷を解いてないの? それともこうやって見せるものなの? おそらく今回は「黒い作品」特集だろうから、なにかの間違いでゴミ袋をかぶせたままだったんだろう。早い時間帯に来るとこういう事件に出くわすからおもしろい。

2011/07/13(水)(村田真)

アートアワードトーキョー丸の内2011

会期:2011/07/03~2011/07/31

行幸地下ギャラリー[東京都]

全国の美大卒業・修了制作展から選抜した新人アーティスト30人の展示。ずいぶん大学に偏りがあるなあ、というのが第一印象。数えてみると、東京藝大10人、京都市立芸大と京都造形芸大が各5人。この3校で全体の3分の2を占め、あとの8校は1人か2人しか選ばれていない。選択する側にこれらの大学のセンセーもいるんだろうね。一番すばらしかったのは、小山真徳(東京藝大)の《わたしの荒野》と題するインスタレーション。作者らしきマネキンを中心に、全国の土産品を並べた棚や机を置き、数点の絵を飾っている。おそらく作者は各地を巡りながら絵の修行をしているという設定だろうが、注目したいのはそれらの絵が高橋由一に由来しているということだ。日本のヴァナキュラーな風土で絵を描き続ける自分を、近代以前の日本に西洋の油絵を接続するため悪戦苦闘した由一にダブらせようとしたのかもしれない。これはグランプリで文句なし。あとは、装飾的な室内風景を描いた大久保如彌(武蔵野美大)の具象画と、明彩色で筆跡を残しながら描いていった山本理恵子(京都市立芸大)の抽象画。大久保の作品には一見マティスやヴュイヤールにも通じるアンチームな空気が漂い、つい見過ごしてしまいがちだが、静かな狂気のようなものが感じられ、そこに共感がもてる。山本は完成されたイメージを持たずにどんどん描いていき、結果的に「室内風景」のイメージが立ち現われたのだそうだ。こちらは高橋明也賞を受賞。さきにふたりを具象画と抽象画に分けたが、図らずも両者とも「室内風景」に行きついたのが興味深い。

2011/07/07(木)(村田真)

大英博物館──古代ギリシャ展

会期:2011/07/05~2011/09/25

国立西洋美術館[東京都]

古代ギリシャといえば美術史では最初にして最高のピーク、といっても過言ではない。そんな古代の至宝をごっそり極東の地に貸し出してもいいのか、といらぬ心配を抱かないでもないが、そもそもギリシャ時代のオリジナルはほとんど残っておらず、出品作品の陶器を除く大半はローマ時代の模刻(ローマン・コピー)にすぎない。だからわれわれが目にするのはローマ時代のシミュレーショニズムか、アプロプリエーションアートなのだ。そしてこのローマのコピーがルネサンス時代に復活し、新古典主義時代に再復活し……と何度も召還され、現代にまでつながってくるのだからおもしろい。同展の目玉の《円盤投げ(ディスコボロス)》も2世紀にコピーされたもの。《円盤投げ》といえばギリシャの彫刻家ミュロンの作とされるが、オリジナルは失われ、コピーがいくつか残されている。そのうちもっとも有名なのはローマ国立博物館のものだが、首の向きがローマのは横向きなのに、こちらは下向きになっている。こうしたコピー段階(または修復段階)での少しずつの違い(間違い)が、長い目で美術史になんらかの影響を与えているとしたら、それはどこか遺伝子の取捨選択による生物進化に似てないか。ま、ともあれいろいろと楽しめる展覧会ではある。ちなみに、同展は2008年の北京オリンピックを機に企画され、世界中を巡回した後、2012年のロンドン・オリンピック開催時に大英博物館に戻るという。ロンドン・オリンピックの前宣伝を世界的に煽ると同時に、古代オリンピック発祥の地ギリシャから返還要求の出ている大英博物館のコレクション問題への罪滅ぼしの意識もあるのかもしれない。

2011/07/04(月)(村田真)

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藤原彩人 展

会期:2011/06/16~2011/07/10

gallery21yo-j[東京都]

高さ110~120センチほどの陶による人物像が5体、床に置かれている。いちおう分類してみると男2、女3で、それぞれワンピースやジャンパー、ジャケットなどを羽織り、髪は黒、茶、黄色と多彩だ。共通しているのは、どれも脚が短くて腕が長く、胸まわりより腰まわりのほうが大きく、重心が下のほうにあること。ギリシャ彫刻のような鍛え上げられた肉体美とはほど遠い、はっきりいってみっともないプロポーションだ。おまけに顔はやや上を向いて口をぽかんと開けているので、しまりがない。これはひょっとして弛緩しきった現代の日本人のカリカチュアかとも思ったが、作者の説明を聞いて納得。すなわち、陶土で自立させるには安定性を保つために重心を低くしなければならず、また、焼成するには上部に通気口を開けなくてはならないので、おのずとこういうかたちになるのだ。なるほど、食いものや生活スタイルの違いによって西洋人と日本人の身体プロポーションに差がついたように、素材や制作過程がかたちを決定する場合もあるわけだ。

2011/07/03(日)(村田真)

ワーグマンが見た海──洋の東西を結んだ画家

会期:2011/06/11~2011/07/31

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

横浜開港まもない時期に来日し、激動の幕末・維新期を報道画家として見つめ、日本の画家にも多大な影響を与えたチャールズ・ワーグマン。その来日150周年を記念した特別展。ワーグマンは『イラストレイテッド・ロンドンニュース』の特派員として日本のニュースをイギリスに送り、横浜では風刺絵の雑誌『ジャパン・パンチ』を発行して日本漫画(ポンチ絵)の原点のひとつにもなったが、美術史で最大の功績はやはり油絵の技法を高橋由一や五姓田義松に伝えたことだ。とはいえ、ワーグマン自身の画力は「素人画家」の域を出ないとされ、しかも世代的に印象派以前の前近代的な絵であり、それが日本の近代洋画の出発点になったことは冷静に見つめる必要がある。しかしそうはいっても、彼の遠近法や明暗表現が当時の日本の絵画に比べてあきらかに抜きん出ていることは事実。同展には由一によるワーグマンの模写や構図の似た作品、義松かワーグマンか判断しがたい作例も出ていてじつに興味深い。ちなみに、やせ衰えた母を冷徹に描いた義松の《老母図》は、ルシアン・フロイドのごとく対象に文字どおり肉薄して感動的だ。おっと、こんなところで小沢剛に遭遇。なにかのリサーチだろうか。

2011/06/30(木)(村田真)

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