artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
セデック・バレ
映画館で見逃した『セデック・バレ』をようやくDVDで見る。日本統治下の台湾で起きた原住民の武装蜂起事件を描いた作品だが、恥ずかしながら、1930年の霧社事件そのものを全然知らなかった。二部構成で、合計4時間半である。凄まじく気合いの入った大作だ。最近、日本映画にこういうレベルの作品がないことを寂しく思う。日本への不満が蓄積していたとはいえ、霧社事件の大量殺戮が連鎖するきっかけは、実に些細なトラブルだった。むろん、映画の作りがそうなっていることを差し引いても、興味深いのは、日本人が見ても、セデック族を支配し、事件を契機に容赦ない反撃をする日本人よりも、セデック族に感情移入させることだろう。それはセデック族がたとえ民族が滅んでも、負けを覚悟で、誇りのために闘うこと、女性や子どもが集団で自決を選ぶからである。これは太平洋戦争時の日本の悲惨なメンタリティを先取りしたかのようだ。ただし、日本と違い、セデック族の場合は国家が仕向けたわけではない。
2014/02/01(土)(五十嵐太郎)
ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り
会期:2014/01/18~2014/03/23
宮城県美術館[宮城県]
宮城県美のミュシャ展へ。東京で見逃したが、想像以上に面白かった。やはり、ファイン・アートとして凄いわけではないが、今日の大衆的な商業主義(ポスターや広告、アイドルの図像、あるいは映画的な絵づくり)、大文字の歴史とナショナリズムとアート(晩年のスラヴ叙事詩)を考えるうえで、ミュシャは実に興味深い作家である。またアール・ヌーヴォーの時代における人物を囲むアーチ型のフレームも様式化され、建築的だった。
2014/01/30(木)(五十嵐太郎)
玄侑宗久『光の山』
発行所:新潮社
発行日:2013/04/26
福島在住僧侶である玄侑宗久の小説『光の山』を読む。虫、仮設住宅、家族の喪失、そして放射線の線量をめぐる短編集だが、やはり表題作『光の山』が印象的だった。これは3.11、東京震災、富士山噴火後の遠い未来を描く。老人が福島の汚染土を自宅の広大な敷地で引き受け、それがどんどん集まり、いつしか山となった。彼が亡くなった後、山は発光し、やがて宗教的な場が観光地となる物語である。思いもかけない未来の神話だ。
2014/01/29(水)(五十嵐太郎)
いわき芸術文化交流館アリオス
[福島県]
公園と川に挟まれた、いわきのアリオスにも立ち寄る。設計は清水建設と佐藤尚巳。外観から各ヴォリュームは独立して見えるが、大ホール、中劇場、小劇場、飛び出すスタジオが吹抜けの交流ロビーのまわりに展開する。ここで行き交う視線の空間は現代的だ。さらに建て替え前の旧施設の音楽専用の小ホールも連結し、地方都市としては恵まれたスペックの公共施設と言えよう。少なくとも仙台には、これだけの文化複合施設はない。
2014/01/29(水)(五十嵐太郎)
いわき平競輪場
[福島県]
公共建築賞の審査で、日本設計によるいわき平けいりんを見学したが、初めて体験するビルディングタイプだった。工期を短縮すべく、プレキャストのコンクリートによって、複雑な曲面を描く走路バンクを建設し、内側からも自転車の競技を間近に見ることができる場を設けている。縦に積んだ直線のメインスタンドから、傾斜した巨大なガラス越しに、街とバンクを見下ろす眺めが素晴らしい。透明感もあり、空港のように明快な空間だ。バンクの内側、バックスタンド、別棟の集会所は、地域の住民にイベントで開放し、明るいイメージをもつ現代的な競輪の施設だ。震災直後も防災の拠点として活躍している。
2014/01/29(水)(五十嵐太郎)