artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
濱野智史『アーキテクチャの生態系』
発行所:エヌティティ出版
発行日:2008年10月27日
90年代は、浅田彰と磯崎新がany会議を通じて、大文字の「建築」を議論の中心にすえ、積極的に哲学との対話を進めたが、いまやそうした批評の空間は完全に変わり、社会学が強くなり、近い過去のサブカルチャーを扱う論壇が急成長した。そして1980年前後の生まれの論客は、主体ではなく、環境が決定するという主張が多い。本書もそうした流れの一冊といえるだろう。特徴は、コンテンツの内容や善悪の倫理は問わず、ウェブにおける情報環境をさまざまな進化が絡みあう、生態系として読み解くこと。またネットの世界は欧米の方が素晴らしいとか、進んでいるという議論に回収せず、これを現状肯定的な日本論に接続すること(ガラパゴスとしての、匿名型の2ちゃんねるや、ニコニコ動画)。海外の動向よりも日本の事情というのもゼロ年代の批評的な風景かもしれない。本書では、「限定客観性」や「操作ログ的リアリズム」など、さまざまな新しいキーワードも出しているが、同期と非同期について触れた時間の問題が興味深い(ツィッターにおける選択同期など)。ネットの世界は、コミュニケーションのモデルでもある。ゆえに、ゲーテッド・コミュニティとしてのミクシィ、あるいはミクシィのように都市空間や集合住宅を設計するといったコメントもなされている。大文字の「建築」からコンピュータの「アーキテクチャ」へ。これもゼロ年代の大きな転換だった。
2010/06/30(水)(五十嵐太郎)
パオロ・ニコローゾ『建築家ムッソリーニ』(桑木野幸司訳)
発行所:白水社
発行日:2010年4月20日
ドイツのヒトラーが建築に関心をもっていたことはよく知られていよう。これについては20世紀最大の悪玉だけに、多く論じられ、映画でも紹介されたり、日本語で読める文献がすでに多く出ている。だが、イタリアのファシズムを先導したムッソリーニと建築の関係は、あまり研究がなされていなかった。当時のファシズム建築について、日本語で読めるものは、おそらく、すぐれたデザインで人気があるテラーニ関係の書籍や雑誌ぐらいだろう。だが、ムッソリーニにとって、テラーニは多数いる建築家の一人でしかない。むしろ権力者の信頼を得て、大型のプロジェクトをコーディネイトしたピアチェンティーニ、EUR42で意見が対立したパガーノのほか、ブラジーニ、ポンティ、モレッティの方が重要だろう。しかし、彼らに関する日本語の情報は少ない。そうした意味において、ムッソリーニと建築をめぐる包括的な研究書が、今回邦訳で読めるようになったことは大変に喜ばしい。彼があれこれ指示を出した都市改造などに関する記述は、細かい地名が多く、手元にローマの地図がないと、意図がわかりにくいだろう。だが、それだけムッソリーニは、具体的に景観を考えていたのだ。彼とヒトラーは互いの都市を訪問し、それぞれのプロジェクトについて意見交換をしていたが、本書ではイタリアとドイツにおける建築政策の比較も深いレベルで行う。ともあれ、ファシズムが建築家にとって魅力的な時代だったことがよくわかる。
2010/05/31(月)(五十嵐太郎)
和田菜穂子『近代ニッポンの水まわり』
発行所:学芸出版社
発行日:2008年9月10日
本書は、日本における居住空間の変化を水まわりの設備という視点から読みといたものである。近代は家事労働の効率化や生活の合理化をめざしたが、それがもっとも劇的にあらわれるのが、洗濯機、FRP製の浴槽、ステンレス・キッチンなど、新しいシステムの登場だ。むろん、丹下健三や池辺陽などの建築家も、1950年代に水まわりを中央に配するコア・システムを提案したが、彼らの空間的な工夫よりも、企業による製品の発明は、はるかに大きなインパクトを社会にもたらす。本書は、「台所・風呂・洗濯のデザイン半世紀」というサブタイトルがうたうように、現在われわれが当たり前のように享受している生活の原風景がいかなる経緯で誕生したかを住宅のパーツから追う。以前、筆者は大川信行氏と共著で『ビルディングタイプの解剖学』という本を出し、設備やシステムの視点から、病院や監獄、工場や倉庫などの諸施設の近代化を読みといた。『近代ニッポンの水まわり』も、住宅というジャンルをベースに建築を解剖しながら、近代化を分析したものといえよう。なお、本書の最終章では、電機洗濯機など、水まわりの製品の広告を分析しているが、主婦のイメージやキャッチコピーを通じて、社会の世相が浮かびあがるのも興味深い。
2010/05/31(月)(五十嵐太郎)
貝島桃代『建築からみた まち いえ たてもの のシナリオ』
発行所:INAX出版
発行日:2010年3月31日
この本に図版はない。文庫本のサイズだから、手軽にもって、屋外でケータイの画面ではなく、書を読む楽しむを改めて教えてくれる。筆者が初めて読んだ貝島桃代の文章は、本書の最後に収録されている、「あとがきにかえて」と題された「シナリオ・シティズー1991」だ。これは『建築文化』の懸賞論文で入賞したものである。当時、筆者は大学院生で、自分よりも若い学生が15の断片的なシナリオで東京の私的な風景を鮮やかに描いていたことに驚いた。もう20年近く前のテキストであり、しかもバブルの時代だったとはいえ、今でも彼女の姿勢は変わっていない。実際、本書のタイトルにも「シナリオ」という言葉が入っている。シナリオとは、抽象的な建築や空間の構成論ではなく、そこで人がどのように感じ、どのようにふるまうかを言語化したものだ。せんだいメディアテークの観察、子どもの頃の遊び、中国、スイス、ロサンゼルスから筑波まで、世界各地の街の分析も、貝島が文を書くのは、それぞれのシナリオを抽出していく行為である。これまでアトリエ・ワンの活動として括られたり、パートナーの塚本由晴の理論的な言説が前面に出ていたが、本書のおかげで、彼女の思考が明瞭に浮かびあがる。
2010/05/31(月)(五十嵐太郎)
青木茂『建築再生へ』
発行所:建築資料研究社
発行日:2010年3月1日
精力的にリファイン建築をつくる青木茂の新刊である。今回は、田川後藤寺サクラ園やルミナスコート壱番館など、具体的な事例をもとに、行政対応、計画、施工などのポイント、そしてクライアントの声を紹介しており、実践的な手引書をめざしたものだ。むろん、リファン建築は、まさにケース・バイ・ケースであり、一般的なマニュアル化は難しいだろう。が、それゆえ、各プロジェクトからさまざまなドラマも読みとれて興味深い。
2010/04/30(金)(五十嵐太郎)