artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

日刊建設通信新聞社(編)『復刻 建築夜話 日本近代建築の記憶』

発行所:日刊建設通信新聞社

発行日:2010年3月

貴重な本である。これは1960年代から70年に日本短波放送にて放送した建築家、歴史家、構造家らの対談シリーズを収録したものだ。現在、筆者も建築系ラジオという自主的なメディアを展開していることもあって、音声によるオーラルヒストリーの重要性とおもしろさを感じているだけに、本書の試みがいかに重要なのかがよくわかる。丹下健三、アントニン・レーモンド、村野藤吾、内藤多仲、藤島亥治郎らに対し、若い作家や彫刻家らが聞き役となり、建築についての想いが率直に語られる。やはり、ここには書き言葉とは違う、生々しい言葉がある。公式な歴史に記録されないような、ささいなエピソードもおもしろい。もっとも、これは専門家同士の難しい対談でもない。相手が建築の専門でない場合、さらにわかりやすい言葉が選ばれている。欲を言えば、音声データが入ったCDを付けるか、一部だけでもウェブから聴けるようになっていれば、もっと良かったのだが。

2010/04/30(金)(五十嵐太郎)

山本理顕他『地域社会圏モデル』

発行所:INAX出版

発行日:2010年3月30日

「建築のちから」シリーズの第三弾である。今回はずばり社会が主題だ。山本理顕が近代における一家族=一住宅モデルの限界を指摘し、その突破口として「地域社会圏」を提案し、400人の共同生活のモデルを三人の若手建築家に投げかけた。フーリエなど、かつての社会主義ユートピアを想起させるが、住宅や集合住宅のプロジェクトを通じて、これまで山本が考えてきたことの集大成である。長谷川豪はピラミッドのような大きな大きな屋根の集合住宅を都心に構想した。藤村龍至は、郊外に自律性が強い囲み型の「ローマ2.0モデル」を掲げ、コンビニを散りばめた「都市国家」を再召還する。そして中村拓志は、農村に巨大な巣としてのグリッド状の構築物を提示した。これらは批判を恐れず、あえて未来の社会を考える実験的なプロジェクトだろう。本書の後半では、彼らの提案をめぐってさまざまな討議がなされている。そして東浩紀を交えたセッションでは、国家と家族のあいだに位置する地域社会をサポートするシステムとして、現代的なコンビニ、変わらない池上本門寺=宗教施設、フレキシブルな公共空間などが注目された。

2010/04/30(金)(五十嵐太郎)

磯崎新+新保淳乃+阿部真弓『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』

発行所:TOTO出版

発行日:2010年2月25日

これは二人の美術史家、新保淳乃、阿部真弓が、磯崎新にインタビューを行ない、美術と建築を横断しながら語る形式の本である。第一章は15世紀のルネサンスから始まり、一世紀ごとに各章が進み、第六章からは1900~10年代となり、20年ごとに進行し、ラストは1980~90年代を扱う。かつて磯崎は『空間の行間』において福田和也と日本建築史と文学を交差させて討議していたが、今回は建築と美術のクロストークだ。1968年のミラノトリエンナーレの占拠など、いろいろなところで語られるおなじみのエピソードも多いが、美術の文脈から引き出しをあけているために、異なる角度から読む楽しみがある。本書は漫然と歴史を振り返るわけではない。もうひとつのテーマはイタリアである。本書のもとになっているのが、イタリアの建築雑誌『CASABELLA』の日本版を作成するにあたって企画された連載だったからだ。膨大な固有名詞が吐き出され、めくるめく知的な会話が展開する。読者がある程度の西洋建築史や美術史の素養をもっていなければ、知らない言葉の森のなかで途方に暮れるだろう。近年の建築論は身のまわりや現在の問題ばかりに焦点をあてる傾向が強いが、本書は時代と場所のスケール感が圧倒的に大きい。例えば、第三章の17世紀では、パトロンの問題を語っているが、バロックに限定せず、現代の状況についても触れている。もっとも、ここで語られていることくらい、普通に読まれるリテラシーが建築界や学生にも備わっていて欲しいのだが、現状は厳しそうだ。

2010/04/30(金)(五十嵐太郎)

内田青蔵『「間取り」で楽しむ住宅読本』

発行所:光文社

発行日:2005年1月

建築史家が、間取りを切り口として近現代の住宅史をたどる。興味深いのは、玄関、居間(この言葉が、「リビング」の訳語として初めて訳されたのは、大正時代の雑誌だった)、寝室、子供部屋、台所、便所など、住宅を構成する基本的な部位ごとに、その変遷を分析していること。言うまでもなく、それは近代社会において、いかに家族の概念が形成されたかを検証することにもつながる。われわれが当たり前だと思っている住宅=家族の姿は、せいぜい100年以内につくられたものであり、すでに大きく変容してしまった。例えば、大正時代に接客中心の客間から家族中心の居間への転換が起きたが、20世紀の半ばにテレビが侵入し、いまや居間には誰もいなくなっている。こうした歴史的なパースペクティブのなかで、山本理顕や難波和彦の住宅などが位置づけられているのも興味深い。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

中川道夫『上海双世紀 1979-2009』

発行所:岩波書店

発行日:2010年2月

中川道夫の写真集は、世紀をまたぐ約30年の上海の変貌を浮かびあがらせる。最初の二枚は、いずれも外灘から浦東を眺める写真だが、四半世紀の時間の流れは対岸をまったく違う世界に変えてしまった。いわゆる建築写真ではない。むしろ、それぞれの時代のまちの人々がとらえられている。匂いと音が聴こえてきそうな写真だ。ちなみに、冒頭に数枚ある21世紀はカラー、残りの前世紀の写真は白黒である。筆者がはじめて上海を訪れのは約20年前であり、当時はまだ昔の日本の映像を見るかのようなセピア色のイメージだったことをよく覚えている。だが、その後の上海はすさまじい勢いで未来都市に変貌した。今年は上海万博も開催される。もしかすると、将来は、日本が昔の中国のようだと思われるのかもしれない。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)