artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

『ワンダーJAPAN』16号

発行所:三才ブックス

発行日:2010年6月16日

いつもへんてこで、美しくない日本の風景をビジュアルで見せてくれる雑誌。新宗教の建築などもとりあげてきたが、今回は「たのしい公園遊具」の特集。富士山型が多いのは知っていたが、本書を開くと、カブトムシや白鳥、テントウムシやうさぎなどの動物系、土星や人工衛星などの宇宙系、新幹線や船などの乗り物系、ゴジラや恐竜などの怪獣系など、予想を超える物件が目白押し。しかも、デザインはエッジがきいておらず、ゆるキャラ的な弛緩した雰囲気が漂う。なるほど、遊具なわけで、子ども向けなのだが、近所の公園がすでにテーマパークと化していたことに改めて驚かされる。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

田中純『イメージの自然史』

発行所:羽鳥書店

発行日:2010年6月21日

筆者と同じ頃、すなわち1990年代の半ばに『10+1』で論考を書きはじめた田中純の最新作である。その動向には注目していた。当時、ベンヤミン再評価の流れが起きていたが、田中はおそらくその最良の成果となる都市論を執筆している。建築学科に所属する筆者が、やがて展覧会や審査などの仕事を通じ、創作の現場から建築と関わらざるをえなくなったのに対し、人文学を出自とする田中は、多木浩二のたどってきた道とは違い、創作者らと一定の距離をたもち、それゆえに批判的を言説を繰りだす。そして本書は、むしろ古今東西のイメージをさまようヴァールブルクの「ムネモシュネ」プロジェクトを現代において蘇生させたかのような原型的イメージをめぐる考察を行なう。『イメージの自然史』は、主に東京大学出版会の『UP』の連載をベースとしており、筆者も掲載時から断片的に読んでいた。改めて通読すると、相変わらず、ものすごい読書量であり、めくるめくイメージの連鎖の世界に誘う。読書という豊かな経験を思い出させてくれる本だ。実際、そうした本へのフェティシュを感じる。田中は最後に、こう言う。ネットワークの時代において、本という「『暗いおもちゃ』は、一冊一冊が異なる表情で佇みながら、どこか不穏な気配を漂わせている。液晶ディスプレイにはない暗さ、その翳りに、小さな生き物を思わせる生命が微かに宿る。……本書は、夕陽のように翳りを帯びた書物のアウラ、その儚い生命のイメージに捧げられてる」。なるほど、あえて主流にはのらない、懐かしさも感じられるかもしれない。過去や記憶なきネットとアーキテクチャ論、社会学的な言説、工学主義への注目、そうしたゼロ年代のメインストリームに対して、直接名指しすることはほとんどないが、密やかに、そして強靭に抵抗している。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

三宅理一『秋葉原は今』

発行所:芸術新聞社

発行日:2010年6月21日

日本でもっとも有名な電気街であり、ゼロ年代にはオタクの聖地として注目された、秋葉原に関する最新の都市論だ。森川嘉一郎のアキバ論『趣都の誕生』(幻冬舎、2003)に比べて、安心して読める。むろん、三宅理一は、2004年から「D-秋葉原」構想の当事者として、再開発の一部に関わった経緯もあるが、歴史家として、もっと長い歴史的なパースペクティブから、この街の変容を描いているからだ。そしてグローバルな視点から、海外の事例と比較しながら、秋葉原の位置づけを行なっていることも説得力がある。萌えというオリエンタリズム的なキーワードで読み解くのではない。本書は、2006年にグランドオープンしたUDXビルを含む、一連の再開発が、いかなる経緯でスタートし、どのように展開したかの流れを、法制度や経済状況、また事業者の関係などから複合的に分析する。詳しく説明される日本における、都市計画の手続きは興味深い。残念なのは、ゼロ年代になって、地元の意向が反映されなくなったことだ。例えば、第二東京タワーの誘致問題や、ヨドバシカメラの駅前進出などである。その起死回生として持ち上がったD-秋葉原のプロジェクトも、中止に追い込まれたことだ。おそらくデザインミュージアムなどが実現すれば、画期的な施設になっただろう。経済の自由競争によって発展した秋葉原が、その同じ原理によって異なるものに変わってしまい、再開発が終わったときには、ほとんどの当事者がいなくなっていたというのは皮肉である。

2010/07/31(土)(五十嵐太郎)

ジョナサン・グランシー『失われた建築の歴史』

発行所:東洋書林

発行日:2010年4月

おもしろいコンセプトの本である。建築史は、結果的に現在まで残された各時代の建築をつなぎながら、物語を語っていく傾向をもつ。だが、多くの建築は消えてしまう。むろん、すべて建築が永遠に残ることなどありえない。何かがとり壊され、何かが新しく出現する。地震や火災、老朽化や再開発、あるいは爆撃やシンボルの破壊など、理由はさまざまだ。そして現存しないものは、歴史に残りにくい。ゆえに、本書は、大判の図版を使いながら、失われた建築を紹介する。建物が破壊されることも、歴史の営みなのだ。実は筆者も、こうしたテーマで書いてみたいと前々から思い、大学院の講義でもとりあげていたので、ちょっとやられたという気持ちがある。最近、刊行した磯達雄との共著『ぼくらが夢見た未来都市』(PHP新書、2010年)では、万博を軸に少しだけ、類似したトピックを扱うことができた。『失われた建築の歴史』でも、最終章「製図版に残された夢」が、いわゆるアンビルドのユートピア的な建築を論じている。しかし、やはり実際に一度は存在したすぐれた建築が、何らかの理由で消えたという歴史的な事実の重みの方が圧倒的に興味深い。これは古代から現代まで、人類の夢の跡をたどっていく、美しい本である。

2010/06/30(水)(五十嵐太郎)

内藤廣『著書解題』

発行所:INAX出版

発行日:2010年6月1日

本書は、『INAX REPORT』において連載された内藤廣の対談をまとめたものである。といっても、建築家が自己表現するような内容ではない。20世紀後半の日本建築の歴史に一石を投じた本をとりあげ、その著者と対談を行なっている。例えば、『空間へ』の磯崎新、『神殿か獄舎か』の長谷川尭、『都市住宅』を編集した植田実、『建築の滅亡』の川添登、あるいは『桂 KATSURA─日本建築における伝統と創造』の写真を撮影した石元泰博らだ。これは勉強になる、とてもいい連載だと思っていた。ちょうど、20世紀の折り返し地点である1950年生まれの内藤だからこそ、建築家として同時代を共有した経験をもとに、著者とともに本とその背景をふりかえりながら、解題を行なう。書物が消えていくとささやかれる情報化の現在、本の力を改めて思い起こさせる好企画だ。したがって、本書には歴史的な資料としての価値がある。巻末の「本と論文にみる現代建築思潮年表」も嬉しい。

2010/06/30(水)(五十嵐太郎)