artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
『チビチリガマから日本国を問う!』
会期:2010/08/13
新川区民館[東京都]
西山正啓監督によるドキュメンタリー映画の上映会。彫刻家の金城実と読谷村村議の知花昌一を中心とした反米軍基地運動のメンバーが、鳩山前首相が公約した普天間基地の県外移設をめぐって、国会議事堂前で抗議の座り込みを続けた様子を記録したドキュメンタリーだ。この映像を見て教えられたのは、金城による政治運動がじつに魅力的で、それは彼が制作する彫刻作品とは別の次元で、「芸」の域にまで到達しているということだ。国会議事堂の前で支持者や警察官に向けて演説する口ぶりは達者であり、聴衆の心を鷲づかみにする術を心得ているし、金城のパフォーマンスと比べると、支援する立場の国会議員による演説がなんとも空疎に響いてならない。知花の三味線にあわせて金城が下駄を両手にかざしながら踊るパフォーマンスも、パンクのように無茶苦茶だが、だからこそ人びとの眼を惹きつけてやまない舞踊である。金城の彫刻も、我流を貫き通す意志で成り立っている。同時期にギャラリーマキで催された金城の個展では、テラコッタによる素焼きの彫刻作品などが発表されていたが、その大半が人体や肖像を形象化したもので、文字どおり荒削りのフォルムがなんとも魅力的である。美大で教育を受けたわけではなく、風呂屋とストリップ小屋で人体のかたちと光の陰影について修行したという逸話も、近代彫刻の歴史には見られない、親しみやすい彫刻の印象を強めているのかもしれない。「彫刻は死んだ」とか「絵画は死んだ」とか、芸術の世界では知ったような議論がまかり通っているが、そうした机上の空論に現を抜かすよりも、金城による生きた彫刻と政治パフォーマンスに触れるほうが、はるかに私たちの生を豊かにしてくれるに違いない。
2010/08/13(金)(福住廉)
梅佳代 写真展「ウメップ」シャッターチャンス祭りinうめかよひるず
会期:2010/08/07~2010/08/22
表参道ヒルズ スペース オー[東京都]
写真家・梅佳代の個展。写真集『ウメップ』に収録された写真を中心に、数百枚にも及ぶ大量の写真を空間全体を散りばめ、「表参道ヒルズ」のなかに見事な「うめかよひるず」を出現させた。ミラクルの瞬間を目ざとくとらえる眼力は依然として変わらないが、今回の展覧会で新たに発表された映像を見ると、むしろその瞬間を梅佳代自身が招き寄せているのではないかとすら思えてくる。同じ時代を生きていることに喜びを感じるアーティストは少ないが、梅佳代はまちがいなくそのひとりである。
2010/08/12(木)(福住廉)
生命のひかり展~丸木位里没後15年・俊没後10年をふりかえって~
会期:2010/08/01~2010/08/15
カフェギャラリーあっぷるはうす[埼玉県]
《原爆の図》で知られる丸木位里・丸木俊の回顧展。丸木美術館が所蔵していない《原爆の図・夜》(1950)が公開された。未完の大作ではあるが、しかしだからこそ、見る者はそこに描かれるはずだった世界を想像的に補っていたように思う。あわせて展示された色鮮やかな水彩画や初期のデッサンなどは、《原爆の図》のイメージで塗り固められた夫妻のイメージを、ゆるやかに解きほぐしていた。
2010/08/12(木)(福住廉)
浜田知明の世界展──版画と彫刻による哀しみとユーモア
会期:2010/07/10~2010/09/05
神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]
今年で93歳になる、版画家にして彫刻家、浜田知明の個展。50年代に制作された銅版画による《初年兵哀歌》シリーズをはじめとする版画作品173点のほか、ブロンズ彫刻73点、デッサンや資料などあわせて300点あまりの作品が一挙に公開された。時系列に沿った構成であるため、浜田の関心が戦争の記憶を版画に定着させることから、社会や時代の風刺へと切り換わり、そして人間の根源を形象化したブロンズ彫刻へと展開した軌跡をたどることができる。そこに一貫しているのは、おそらくは必要最低限のことだけを表現する構えだろう。戦争の悲惨な光景を写実的に描写してメッセージ性を過剰に膨らませるのではなく、かといって抽象化して戦争という主題を曖昧にしてしまうのでもなく、浜田の版画には必要な線を必要な空間にただ配置したかのような単純明快さがある。捨象の美学ともいうべき浜田の態度は、どの角度から見ても無駄な造形が見られないほど簡潔な、近年の彫刻にも通底している。版画にしろ彫刻にしろ、いずれも身に余るほど巨大なサイズではなく、自分の手のひらで制作できる範囲の大きさに限られているところに、等身大の芸術を志してきた浜田の誠意が表れているような気がした。
2010/08/11(水)(福住廉)
イノセンス─いのちに向き合うアート─
会期:2010/07/17~2010/09/20
栃木県立美術館[栃木県]
ハンディキャップをもつ人や独学のアーティスト、あるいは障がいをもつ人のアートに関わるアーティスト、さらには生命に向き合うアーティストなどを区別することなく勢ぞろいさせた企画展。草間彌生や奈良美智、田島征三、イケムラレイコなど著名なアーティストのほかに、舛次崇、松本国三、佐々木卓也、丸木スマ、大道あやなど、あわせて38人のアーティストたちによる、およそ200点あまりの作品が展示された。近年、いわゆるアウトサイダー系のアーティストを紹介する展覧会が盛んだったが、無名かつ驚異のアーティストを紹介する動きはひとまず落ち着きを見せ、昨今は彼らの作品とキャリアも知名度もあるアーティストによる作品を同じ舞台で見せようとする展覧会が相次いでいる。水戸芸術館現代美術センターの「LIFE」展(2006)しかり、広島市現代美術館の「一人快芸術」(2009-2010)展しかり。もちろん、それぞれの展覧会のねらいには微妙な温度差が見られるが、本展もまた、そうした動向の延長線上に位置づけられる。じっさい、本展の全体は、アーティスト本人の属性ではなく、色やかたち、物語性など、あくまでも作品の形態を基準にして構成されていた。ここには、障がいの有無やキャリアの大小を問わず、すべての作品を等しく見せようとする企画者の意図がうかがえる。たしかに展覧会を見ていくと、すべての作品にそれぞれ「独自のルール」が貫いていることに気づかされたが、そこに託された心理や記憶、欲望のかたちにはプロとアマ、障がいの有無などはほとんど関係がないことがわかる。ただし、俎上に乗せる機会は平等である必要があるかもしれないが、そこで発表された作品の評価は厳密に下さなければならない。展覧会の全体を見終わったとき、もっとも強烈に記憶に焼きついていたのは、圧倒的に草間彌生だった。発表された「愛はとこしえ」シリーズは、白い画面におびただしい黒の線と点が次々と連鎖しながら増殖していく様子を描いた絵画で、その異常な密度もさることながら、ある一定のルールにのっとりながらも、決して定型化にはいたらないバランス感覚が絶妙である。これは、多くの凡庸なアーティストにも、いわゆるアウトサイダのアーティストにも見られない、草間彌生ならではの特質である。
2010/08/10(火)(福住廉)