artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
横尾忠則 全ポスター
会期:2010/07/13~2010/09/12
国立国際美術館[大阪府]
文字どおり横尾忠則の全ポスター、およそ800点を一挙に発表した展覧会。50年代の高校時代に手掛けた文化祭のポスターから60年代のアングラ文化を視覚化したポスター、さらにはそれらの下絵や版下などをそろえた、その圧倒的な物量がすさまじい。土着的なイメージを極彩色で彩ったポスターを立て続けに眼にしていくと、大げさな言い方でもなんでもなく、まさしく眩暈を覚えるほどだ。それこそサイケデリックな経験なのだろうが、むしろ気になったのは60年代のポスターが「読める」ポスターだったということ。そこには出演者や演出家によるテキストが散りばめられており、それはポスターを「見る」というより雑誌を「読む」ことに近い。少なくともこの時代、ポスターは純粋に視覚的なイメージを構築するというより、読者へメッセージを確実に届けるメディアとして使われていたことが伺える。世界に情報を発信することも世界からの情報を受信することも容易になった反面、情報と接する身体感覚や生々しさが失われつつある今だからこそ、街に貼られたポスターを読むという経験には、今日的な意義があるように思う。
2010/08/25(水)(福住廉)
美術の中の動物たち
会期:2010/07/24~2010/08/29
尼崎市総合文化センター[兵庫県]
動物をモチーフにした美術作品を集めた展覧会。池水慶一、小野養豚ん、植松琢磨、名和晃平、淀川テクニックの5組がそれぞれ作品を展示した。動物の形を造形化することに終始した作品が多いなか、そこから一歩踏み込んでいたのは池水慶一と小野養豚ん。池水は全国の動物園で飼育されているゴリラや象、ラクダなどの生態を詳しく調査して写真に収め、あわせて彼らを飼育している全国の動物園へのアンケート結果も発表した。とりわけ、ラクダが射精後に失神するほど激しい交尾をするという知られざる事実には驚かされたし、背後から撮影したゴリラの写真には背中で何かを物語る人間と同じ独特のオーラを放っているように見えた。また、つねに養豚場の豚をテーマに制作してきた小野養豚んは、FRPで形成したリアルな立体作品を発表して食肉としての豚の一面を強調していたが、あわせて展示された柔らかい色と線によるドローイングが生き物としての豚に注ぐ深い愛情を表わしていた。両者はともに、動物をテーマとしながらも、その先に人間の姿を暗示していたのである。
2010/08/25(水)(福住廉)
桑久保徹 海の話し 画家の話し
会期:2010/08/07~2010/09/26
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
画家・桑久保徹の個展。初期の作品から近作の肖像画まで、30点あまりの絵画と数点の写真などが展示された。架空の画家であるクウォード・ボネに扮して浜辺の風景画を描くことで知られているが、今回の個展ではボネのポートレイト写真が展示されたほか、隣接するカフェではボネの絵と同じように浜辺で男たちが穴を掘り続ける映像も発表された。桑久保の代名詞ともいえる浜辺の絵は、おおむね大空・海・浜辺という三層によって構成されており、画面の配分もほとんど変わらないし、絵筆のタッチをそれぞれの層によって描き分けるという点も一致しているから、浜辺で繰り広げられる光景に違いはあっても、絵の形式としてはすでに完成されていると言える。砂浜に巨大な穴を掘るという光景は安部公房の世界を連想させがちだが、想像上の画家を設定したうえでモチーフとしてアトリエや彫刻室を描くあたりには、画家というアイデンティティへの強いこだわりの意識が感じられる。それが素直な描写が否定されがちな現在の美術制度の中で辛うじて描写を成立させるための方法的な戦略であることは理解できるにしても、これだけ多種多様な絵画作品が盛んになっている現在、その戦略はすでに役目を終えたようにも思える。むしろ、そうした自己言及性とは無関係に想像力を駆使したほうが、より自由でおもしろい絵画空間が生まれるのではないかとすら期待できる。その意味で、今回新たに発表された肖像画のシリーズは、メディウムを厚く塗る手法は変わらないものの、モチーフが浜辺からより直接的な他者へと移り変わったという点で興味深い。題名の言葉のセンスも鋭い。
2010/08/18(水)(福住廉)
オルセー美術館展2010「ポスト印象派」
会期:2010/05/26~2010/08/16
国立新美術館[東京都]
入場者が78万人を記録した、ポスト(後期)印象派の展覧会。ドガ、モネからシニャック、スーラ、さらにはセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなど、10のセクションに分けて115点のマスターピースが展示された。「ポスト印象派」という言い方は、イギリスの美術批評家ロジャー・フライが1910年に企画した「マネとポスト印象派」展に由来しているそうだが、「後期」ではなく「ポスト」に固執しているのは、「後期印象派」だと印象派の後半期と誤解されかねないからだという。じっさい、本展の出品作品を見ると、ロートレックやベルナール、ボナール、モロー、そしてアンリ・ルソーまでも含まれているから、印象派の後半期というには余りあるほど、その顔ぶれは多様である。逆にいえば、「ポスト」の射程があまりにも広範であるがゆえに、それがいったい何を意味しているのか、判然としないとも言える。けれども、たとえば「ポストもの派」が「もの派」の可能性を継承しつつも、その限界を批判的に乗り越えるカテゴリーとして位置づけられているように、もともと「ポスト」という言い方には、肯定的にせよ否定的にせよ、つねに前の時代を踏み台にして次の時代を切り開く運動性が込められているから、何か特定の表現様式を指すというより、その運動性の勢いを内外にアピールする宣言のようなものなのだろう。
2010/08/16(月)(福住廉)
伝説の報道写真家・福島菊次郎 写真展
会期:2010/08/14~2010/08/16
府中グリーンプラザ展示ホール[東京都]
福島菊次郎は反権力の報道写真家で、現在89歳。山口県で活動する現役のカメラマンだ。この写真展は、福島による約300点あまりの写真で構成されたパネルを展示したもの。あわせて近年の福島の暮らしを追ったドキュメンタリーテレビ番組も公開された。福島がファインダーを通して目撃したのは、自衛隊のほか、広島の被爆者、軍需産業の工場、そして島々の村落。なかでも被爆で辛酸を舐めさせられた一家に持続的に密着して撮影した写真はすさまじい。福島による短文が添えられたモノクロの写真からは、被爆によって壊された身体の痛みはもちろん、ずさんで無神経な行政への怒り、壊れかけた家族の紐帯への悲しみなどがひしひしと伝わってくる。「芸術と社会の関係」などという浮ついた言葉では決して語ることのできない、文字どおり全身で社会と格闘する写真家だ。福島が撮影した写真の多くは瀬戸内海を舞台としているが、アートクルージングでは見えてこない芸術と社会の一面を福島の写真は見せてくれる。
2010/08/15(日)(福住廉)