artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

大ニセモノ博覧会 贋造と模倣の文化史

会期:2015/03/10~2015/05/06

国立歴史民俗博物館[千葉県]

人魚と言えば、古今東西の神話や童話に登場する、伝説上の生き物。上半身は人間だが、下半身は魚というイメージが定着しているが、幕末から明治にかけて、見世物小屋では人魚のミイラが興行されており、大いに人気を集めていた。現在、それは猿の上半身と鮭の下半身を切り合わせたものであることが、ほぼ実証されている。つまり人魚のミイラは明らかに偽物である。
本展は、偽物や贋作、模造品を集めた展覧会。雪舟や酒井抱一、池大雅らの贋作をはじめ、徳川家康の偽文書、偽金、鬼のミイラなど、およそ300点の資料が展示された。いずれも一見しただけでは本物との区別ができないほど精巧で、本物と比較するかたちで展示されていれば別だったが、素人目にはその真偽の判断は極めて難しい。筆の運びや賛、印章などを手がかりにしながら偽物の根拠を説く専門家による解説文があってはじめて納得できるというわけだ。
興味深いのは、その解説文が、偽物を解説するという目的だからだろうか、徹底的に辛口であること。「技法をまねるのに精一杯で、技量が追いついていない」、「琳派らしさを出そうとしていますが、新聞広告の通販で買えそうな程度のニセモノです」、「まったく絵心を感じません。とてもプロの絵とは思えません。これを池大雅の絵と言い張ることに、別の意味で敬服できる作品です」などと、まるで容赦がない。一般的に研究者は価値判断を下さず、客観的な立場を固守すると考えられがちだが、こと真偽の問題に限っては、批評的な視線と言語を動員せざるをえないことを、これらの解説文は如実に物語っていた。
とはいえ、おびただしい数の偽物を見ていくと、真偽の境界線が明確になっていく一方で、ますます曖昧になっていくように実感するのもまた事実である。なぜなら仮に偽物であることが科学的に実証されたとしても、偽物ならではの価値が失われない場合もあることに気づかされるからだ。かつて地域の名家は自宅で接待のための宴会を催す際、たとえ偽物であることが明らかだったとしても、名の通った美術品を床の間に飾り、見栄を張ることを余儀なくされていたという。また、江戸時代の庶民は人魚の骨を解毒剤として服用し、人魚を描いた刷り物を無病息災を願うお守りとして軒先に貼っていたという。つまり、これらは科学的には偽物かもしれないが、民俗的には本物として庶民の生活で必要とされていたのである。
本展で浮き彫りにされたのは、真偽をめぐる問題について、私たちの社会には科学的な基準とは異なる、もうひとつの基準が存在しているという事実である。それは、民俗的な基準なのかもしれないし、芸術的なそれなのかもしれない。いずれにせよ、その重層的なレイヤーこそが、社会的な現実を構成していることはまちがいない。芸術が真理を体現するものだとしたら、それは偽物のなかにこそあるのかもしれない。

2015/03/10(火)(福住廉)

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青野文昭 展

会期:2015/02/14~2015/03/14

gallery αM[東京都]

破損した廃棄物や漂着物を素材にして「なおす」こと。仙台市在住のアーティスト、青野文昭はこれまでさまざまな物を組み合わせ、融合させ、新たな造型をつくり出してきた。それらの多くは接合面がじつに滑らかに処理されているため、物と物とのあいだに主従関係を確定することが難しく、それゆえあたかもそのような物として最初から自立していたかのような風格が漂っているのが特徴だ。
新作と旧作をあわせて発表した今回の個展で注目したのは、2点。ひとつは、青野の作品がこれまで以上に垂直的な志向性に貫かれていたこと。タンスや机などを合体させる点は同じだが、それらを垂直方向に組み上げているので、記念碑のような構築性が強く感じられる。もうひとつは、以前とは対照的に、接合面が鋭角的な作品が現われてきたこと。おそらくは震災で打ち壊された看板やタンスなどが連結していることに違いはないのだが、その繋ぎ目が見えないほど滑らかというより、むしろ破壊された物の凹凸のある質感を活かしながら連結している。それゆえ物に加えられた暴力的な力の痕跡が、いままで以上にはっきりと伝わってくるのだ。
明らかな構築性と暴力性の痕跡。今回発表された新作には、青野による「表現」を明確に見出すことができる。物と物とを一体化して「なおす」という造形の身ぶりを隠していないと言ってもいい。現代美術のなかには必要最小限の手数によって作品を成立させることが美徳とされる風潮が依然として根強いが、今回の青野の表現は、第一に、そうした主流に対する批判的な応答として考えられるだろう。
だが、それだけではない。青野がそのような造形の身ぶりを前面化させたのは、おそらく物に打ち振るわれた暴力を正面から受け止め、それを造形として反転させようと試みたからではなかったか。暴力の痕跡を残した接合面は、青野自身がそれと対峙したことの現われであり、さらにそれを造形として反転させるためには、古今東西、人類による造形物の多くがそうであるように、垂直方向に力強く立ち上げる必要があったのだ。あえてそうしなければ、造形は決して成立しないということを、青野は直観していたにちがいない。
なぜなら、あの震災以後、あらゆる造形は視覚的な強度を根本から問い直されているからにほかならない。とてつもない力でねじ曲げられた鉄骨や粉砕された家屋などを、直接的であれ間接的であれ、目の当たりにしたいま、それらに太刀打ちしうる造形でなければ造形が造形である必然性は失われてしまう。ほぼ同時期に、銀座のエルメスで催されたモニカ・ソスノフスカによるねじ曲げられたゲートを宙吊りにしたインスタレーションが、当人の狙いは別として、いかにも人工的で軟弱に見えたように、私たちの眼はある意味で造形に対して非常に厳しくなってしまったのだ。暴力を忘却するのではなく受け止め、それと拮抗しうる造形を立ち上げること。青野が示した造形のありようは、ポスト3.11のアートにとって、ひとつのモデルであると言えよう。

2015/03/06(金)(福住廉)

「燕子花と紅白梅」光琳アート─光琳と現代美術

会期:2015/02/04~2015/03/03

MOA美術館[静岡県]

同館が所蔵する尾形光琳の《紅白梅図屏風》と根津美術館が所蔵する《燕子花図屏風》を同時に展示した展覧会。あわせて光琳芸術の影響があると見受けられる杉本博司や村上隆、会田誠といった現代美術の作品も展示された。
よく知られているように、いわゆる琳派は狩野派のように直接的な師弟関係や家系によって構成された流派ではなく、時間的にも空間的にも断続的な影響関係に基づいた呼称である。つまり光琳や宗達、光悦に惹かれた者が、その都度その都度、過去から彼らを召喚することによって、結果として琳派は形成されたわけだ。
本展で注目したのは、その琳派が形成された過程に、実は百貨店が大きく作用していたことが示唆されていた点である。三越百貨店の前身である三越呉服店は、明治37年(1904)に「光琳遺品展覧会」を催したが、これは美術・工芸品を陳列販売する、現在の百貨店の営業形態の原型とされている。言い換えれば、琳派を形成していたのは、酒井抱一や神坂雪佳だけでなく、百貨店という企業体でもあったのだ。
ここには、ことのほか重要な意味がある。なぜなら、日本美術史にとって欠かすことのできない流派のひとつが、企業戦略によって歴史化されたという一面が明らかに認められるからだ。資本主義の黎明期からすでに、その力は美術の現場に及んでいたのであり、それは現在のマスメディアによって巨大な動員を図るブロックバスターの歴史的起源とも考えられる。琳派にとっての三越呉服店は、狩野派にとっての江戸幕府と同じではない。それは単なるパトロネージではなく、意図的かつ積極的に販売を仕掛けるプロデューサーなのだ。
だが、留意しなければならないのは、本展では「琳派」という言葉が巧妙に回避されていた点である。杉本博司や村上隆、会田誠は、琳派の末端ではなく、あくまでも光琳の「影響が伺える」現代美術のアーティストとされている。はたして彼らを琳派としてプレゼンテーションする企業体は現われるのだろうか。

2015/03/02(月)(福住廉)

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微笑みに込められた祈り 円空・木喰 展

会期:2015/02/07~2015/03/22

そごう美術館[神奈川県]

江戸時代の僧、円空と木喰による神仏像を見せる展覧会。円空(1632-1695)と木喰(1718-1810)はそれぞれ生きた時代こそ重ならなかったとはいえ、ともに全国を行脚しながら各地で木を彫り出し、数多くの神仏像を造像した。その数、現存しているだけで、円空仏は約5,000体、木喰仏は600体あまり。いずれにせよ、かなりの数の神仏像をつくり出した僧であることは共通している。さらに付け加えれば、両者はともに、中高年になってから造像を始めたという点でも通じている。
本展は、両者が彫り出した神仏像を一挙に見ることができる貴重な機会。それぞれ比較しながら見てみると、造形上の共通点と相違点が浮き彫りになるのが面白い。それぞれ造形上の変化が見られるとはいえ、一般的に言えば、円空仏は荒々しく力強い直線的な造形を特徴とする一方、木喰仏は柔らかく優美な曲線的な造形が多い。円空仏は見上げるほど大きいものもあるが、木喰仏の大半は抱えられるほど小ぶりなものである。
ひときわ注目したのは、そのお顔の微笑みである。よく知られているように、双方はともに穏やかな微笑みを浮かべたお顔が特徴的とされているが、本展で展示された170体あまりの神仏像を見ると、一口に微笑みと言っても、その内実は実に多様であることがわかる。文字どおり誘い込まれるような深い微笑から、哀しみを覆い隠したような微笑まで、微笑の幅はとてつもなく広い。木喰仏のなかには、微笑みを通り越して、硬い意志を封じ込めたかのような強いお顔まである。
円空仏と木喰仏が庶民の祈りの対象だったことはまちがいない。だが、それらの微笑みの幅広さは、その祈念の多種多様さと対応していたように思えてならない。祈りの種別がさまざまだったからこそ、円空仏と木喰仏はさまざまな表情で微笑みを湛えることで、さまざまな祈りに応えようしていたのではなかったか。普遍的な美という神話が崩壊した現在、円空仏と木喰仏の醍醐味は、局地的な場所で必要とされる造形という意味で、インターローカリティーにあると考えられるだろう。

2015/02/09(月)(福住廉)

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TURN/陸から海へ ひとがはじめからもっている力

会期:2015/02/01~2015/03/29

鞆の津ミュージアム[広島県]

日比野克彦監修による連続企画展。鞆の津ミュージアムをはじめ、全国4会場を巡回しながら、「ひとがはじめからもっている力」を再認識させる作品を見せた。参加したのは、会場によって異なるとはいえ、Chim↑Pomやサエボーグ、中原浩大、田中偉一郎、岡本太郎、マルセル・デュシャンなど、古今東西さまざまなアーティスト、27組。全般的な傾向として、日比野自身や中原浩大といったベテランのアーティストが、おそらく「ひとがはじめからもっている力」を意図した作品を発表したため大失敗していたのに対し、比較的若いアーティストはそのようなテーマと無関係に作品を制作しているため、それぞれ鮮烈な印象を残すことに成功していた。
淺井裕介は土蔵の内部に、彼が近年熱心に取り組んでいるマスキングテープを貼り合わせた作品を制作した。暗い空間の四方八方に手足を突っ張った、有機的な生命体のような作品は、絵画でもあり彫刻でもあり、しかしそのいずれでもないような不思議な魅力を放っていた。
岩谷圭介は日本で初めて風船による宇宙撮影を成功させた人物。実際に風船を上昇させ、そのカメラから見える光景を撮影した映像を発表した。回転しながら徐々に高度を上げていく風船は、厚い雲を突き抜け、大気圏外へ入る。黒い宇宙空間と青い地球の対比が目覚ましい。やがて風船が破裂すると、落下。映像には、GPSを頼りに回収する様子まで記録されている。岩谷のプロジェクトが素晴らしいのは、必要最低限の技術を自分で開発することによって、通常、国家や巨大資本に牛耳られている宇宙空間を個人の手の中に見事に取り返している点にある。大空を飛ぶ自由を奪還しているのが八谷和彦だとすれば、岩谷圭介は宇宙を「我が物」にしようとしていると言えよう。アクセスしがたいエリアに接近しうる糸口をつけた意義が大きいのはもちろん、ほんとうに優れているのは、まさしくその壮大な想像力なのだ。
だが、個別の作品はともかく、展覧会全体に視角を広げてみれば、疑問がないわけではない。例えば「TURN」というコンセプトは、海から陸への転回によって、「ひとがはじめからもっている力」への視点の転換を暗示していることは理解できるにしても、そのパースペクティヴがあまりにも広すぎるため、それが具体的に何を指しているのか、いまいち理解しにくい。言い換えれば、「TURN」によって対象化される事象と、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」、あるいは「ポコラート」が指示する事象の区別が判然としないのである。このようなコンセプトの曖昧さは、必然的に「ひとがはじめからもっている力」の曖昧さと結びついている。「ひとがはじめからもっている力」という理念は、稚拙な描写であろうと、単純なかたちの造形であろうと、シンプルな想像力であろうと、どんな作品であれ回収しうる広がりを持ちえている。ところが、厳密に考えてみると、この美術館の前回の展覧会「花咲くジイさん〜我が道を行く超経験者たち〜」で披露されていたような、老人の想像力や創造力、そしてエロスは周到に排除されていることに気づかされる。老人の止むに止まれぬ創作活動が「ひとがはじめからもっている力」の発露ではないと言い切ることができるのだろうか。
「TURN」のような装置が、社会的な弱者や周縁化された人々を包摂するノーマライゼーションの政治学に貢献することは想像に難くない。だが、いみじくも岩谷の風船宇宙撮影が端的に示しているように、アートの可能性は、そのような社会の同調圧力ないしは限界を鮮やかに突き抜ける運動性にこそあるのではなかったか。社会をより豊かにするためには、「ひとがはじめからもっている力」などという無難なテーマではなく、大気圏外へと突破するアートの力をこそ理念とすべきである。

2015/02/07(土)(福住廉)

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