artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

13日間のプレミアムな漂流

会期:2014/09/13~2014/10/13

国立奥多摩美術館[東京都]

2012年に開館した国立奥多摩美術館。JR奥多摩線の軍畑駅から徒歩15分ほどの山奥にある私設の美術館である。美術館とはいえ、古い工場を改築したような建造物であるため、鉄骨や木造の構造が剥き出しで、足元も不安定、空調も効かず、その代わりに川床にそのまま降りることができる、じつに野性味あふれる美術館だ。都会の美術館にあるものはまったくないが、都会の美術館にないものがすべてある。
今回の展覧会は、同館館長の佐塚真啓が現在「考えうる最高の13人の作家」を紹介したもの。和田昌宏や永畑智大、山本篤、牛島達治、関野吉晴らが館内や建物の下の構造部などに縦横無尽に作品を展示した。湿気が立ち込めた暗い空間に絵画を展示するなど、都心の美術館ではまずありえないが、それもまたこの美術館ならではの味わいである。
なかでも際立っていたのが、小鷹拓郎。半地下の狭い空間に《国立奥多摩秘宝館》を開設した。ピンク色の妖しい照明のもとで展示されたのは、《奥多摩エロスの歴史》という年表をはじめ、《福島県カッパ村の尻彫刻》や《性神マップ》《巨大男根彫刻》《タンザニアの性画》《母と嫁が探してきた男根型石100個》など、質量ともに抜群の展観である。公立美術館ではまず目にすることができないだろうが、むしろこのような隠微な空間で鑑賞するほうがふさわしい。
とりわけ異彩を放っていたのが《写経エロビデオ》。これは70歳の謎の老人がアダルトビデオのパッケージの隅々に赤や緑の文字を埋め尽くしたもの。おのれの情欲をぶちまけているように読めなくもないが、それらの文字が何を意味しているのか、正確にはわからない。だが写経のような執着心だけはたしかに伝わってくる。得体の知れない執念に満ち溢れたこれらの物体を、リサイクルショップの店主がまとめて買い取ったという逸話も面白い。
今回の展覧会の会期はわずか13日間。だが、だからこそ逆に「プレミアム感」が高まったのだろうか、会場は多くの来場者で賑わっていた。長期にわたって電力を大量に消費しながら快適な空間で美術作品を鑑賞させる美術館が、国立奥多摩美術館の企画や運営を参考にすることはまずないだろうが、美術館の利用者にとっては、従来の美術館モデルを相対化する契機には十分なりえたと思う。当たり前だと思っていた美術館のありようが、必ずしも絶対的ではないことが理解できたからだ。国立奥多摩美術館が果たしている意義はきわめて大きい。

2014/10/11(土)(福住廉)

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小島一郎──北へ、北から

会期:2014/08/03~2014/12/25

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

青森県出身の写真家、小島一郎(1924-1964)の回顧展。津軽平野などで撮影されたモノクロ写真を中心に、小島の活動の全貌に迫った好企画である。
小島が盛んに撮影していたのは、津軽や下北の風土。戦後の高度経済成長期にあって、牛や馬とともに畑を耕し、強烈な風雪に耐えながら道を行く、野良着姿の百姓たちの写真が多い。構成写真のような類もなくはないが、それにしても農機具を構成的にみなした作品だ。いずれにしても、過酷な自然を体感させる写真ではある。だが、それらはたんに言語上の理解を超えて、まさに肉体に訴えかける写真だと言える。風に運ばれて口に飛び込んできた微細な砂粒を思わず噛み締めてしまった時に感じるような、ざらついた舌触りを感じさせるのだ。
興味深いのは、そのように素晴らしい小島の写真が、津軽や下北の風土を被写体にしながら、同時に、その風土に大きく規定されていたという点である。名取洋之助にその才覚を見出された小島は、家族とともに東京に拠点を移す。しかし、東京滞在中の写真の大半は中庸と言うほかなく、小島の視線と東京という街が決して交わらなかった事実が浮き彫りになっている。東京には津軽平野を吹き荒ぶ「風」も、百姓たちが掘り起こす「土」も、見つけることはできなかったのだ。ビルとスモッグの向こうに輝く太陽をとらえた写真は、遠い青森に望郷の念を届けるかのような哀切に満ちている。
やがて小島は青森に帰る。だが、それは必ずしも限界や撤退を意味するわけではない。写真や美術をはじめとする表現文化やそれらに携わる私たち自身は、そもそも本来的にその土地の風土に根づいているのであり、それらから切り離された「美術」や普遍的な美という近代的な観念こそ、大いなるフィクションなのだ。それが証拠に、本展を訪れた日は台風18号が接近しており、激しい風雨が同館の建物全体を打ちつけていた。そうしたなかで小島一郎の写真を見ると、そこに写し出された過酷な風土が、より勢いよく、より強力に、より輪郭を際立たせて、こちらに伝わってくる。美術館という近代的な文化装置が社会から隔絶された中立的な美の神殿などではまったくないことを、小島の写真は教えているのである。

2014/10/05(日)(福住廉)

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秋山正仁 展──Sweet Home

会期:2014/09/29~2014/10/04

Gallery K[東京都]

秋山正仁は山梨県在住の美術家。古きよきアメリカの心象風景を長大なロール紙に色鉛筆で描いた絵画作品を、ここ数年、同ギャラリーで定期的に発表してきた。その絵は、偏執的でありながら色鉛筆の淡い色彩が不思議な浮遊感を醸し出しており、その絶妙な二重性が観る者の視線を大いに惹きつけてきた。
だが今回の展示は、これまでにない展開を見せた。絵画作品そのものは従来どおりの作風だったものの、秋山本人が会期中つねに在廊し、スライドギターを演奏しているのだ。ライ・クーダーのような哀愁を帯びた玄音とともに絵画を鑑賞させるという仕掛けである。
とにかく秋山が奏でる音色がすばらしい。表面的には、その音と絵画で表現されているアメリカの風景とが共振することで、見る者の視線を絵画世界の内側に巧みに誘導するという効果がある。だが、それ以上に驚かされたのは、会場にいる自分の身体が動かし難くなってしまったことだ。いや、決して感動のあまり身体が凝固してしまったというわけではない。エンドレスに奏でられるギターの哀切に満ちた音を耳に絵を見ていると、いつまでもその空気に包まれていたいという欲望が湧き上がってくるのだ。逆に言えば、美術ないしは絵画が、その鑑賞にあたって、どれほど見る者に緊張感を強いているかを、まざまざと実感させたのである。
ところが、秋山が秀逸なのは、「美術」と「音楽」を掛け合わせることで、そうした陶酔感を演出しながらも、同時に絵画においては、ある種の覚醒を呼び起こすような主題を描き含めているからだ。絵の中には、アレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーに混じって、幼少時と思われるオバマ大統領の姿が認められる。彼はデビルから星条旗を受け取っている。この当時、権力と引き換えに魂を売ってしまったがゆえに、アメリカ合衆国の現在があるのだろうか。芸術の政治性とは、政治的な関心や主題が含まれる作品だけを指すのではない。それは、芸術というある種の夢物語の最中にあってなお、政治的な意識を覚醒させることなのだ。

2014/10/02(木)(福住廉)

「関東大震災 震源地は神奈川だった──よみがえる被災と復興の記録II」展

会期:2014/09/18~2014/09/30

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

関東大震災の記録資料を見せる展覧会。当時の雑誌、新聞、書籍、錦絵、絵葉書など、約200点を展示した。昨年、同館はほぼ同じ主旨と内容の展観を催したが、今回は昨年に横浜市発展記念館が開いた「関東大震災と横浜」展に貸与していた資料も含めたので、昨年よりバージョンアップされた内容と言える。
あまり知られていないことだが、関東大震災の震源は神奈川県内にあった。家屋の倒壊等の被害も、東京や千葉に比べて神奈川県内が圧倒的に多い。本展で展示された《横濱大地図》を見ると、横浜市の中心部の大半が消失していたのが一目瞭然である。『横浜最後の日』という書籍が発行されたほど、その被害はすさまじかった。
けれども、その一方で見て取れたのは、そうした悲劇的な災害を受け取る民衆の健やかで力強い精神性である。飛ぶように売れたという絵葉書は震災の被害を記録した写真をもとにつくられていたが、あわせて展示されたもとの写真と見比べてみると、絵葉書には瓦礫の山に煙や炎が加工されていることがわかる。迫真性を増すための人為的な操作は、ジャーナリズムという観点にはそぐわないが、民衆の欲望にかなう表現という意味では、ある種のキッチュとして考えられなくもない。民衆は、震災に慄き、震えながらも、同時に、破壊された都市の荒涼とした風景を見たいと切に願っていたのであり、だからこそ絵葉書は加工され、大いに消費されたのだ。
さらに《大東京復興双六》や《番付帝都大震災一覧》などには、震災すらも、双六や番付で表わして楽しんでしまう民衆の姿が透けて見えるかのようだ。後者は、まさしく相撲の番付表のように、一覧表の上部に太く大きな文字で大きな出来事が書かれ、下部に細く小さな文字で小さな出来事が記されたもの。よく見ると、「首のおちた上ノ大佛」や「大はたらきのかんづめ類」といった大きな文字の下に、「まっさきにやけた警視廰」とか「避難民にくはれたヒビヤ公園の鴨」などの小さな文字がある。民衆は、公権力を嘲笑したり生存意欲をなりふり構わず露わにしたりしながら、震災という非常事態をたくましく生き延びていたのだろう。
本展で展示されたおびただしい資料は、同館スタッフの小山田知子の祖父、佐伯武雄が個人的に収集したもの。当時青山に居住していた武雄は所用で出かけた茅ヶ崎で被災したが、その二日後に、息子が誕生した。その一報を受けた武雄は、手紙で「震太郎と名づけよ」と伝えたという。当時、震太郎や震也、震子などの名前は珍しくなかったそうだ。「震」の文字が名前に含まれていることは、現在の感覚からするとかなり奇特に見えるが、おそらく武雄はそうすることで自らが経験した天変地異を後の時代に伝えようとしたのかもしれない。だが、そこには出来事の伝達ばかりでなく、その壮絶な出来事をたくましく生き延びる健やかな精神性も、きっと託されていたに違いない。

2014/09/28(日)(福住廉)

村田峰紀『ネックライブ』

会期:2014/09/17~2014/09/28

Art Center Ongoing[東京都]

村田峰紀は群馬県在住のアーティスト。みずからの身体を使ったパフォーマンスで知られる。背中をキャンバスに見立ててクレヨンで絵を描いたり、鉛筆の芯をむしゃむしゃ食べたり、大量の文庫本を引き裂いてオブジェに仕立てたり、野獣的で爆発的な身体表現が魅力だ。
今回発表したのは、映像作品。みずからの口や眼をクローズアップした映像に文字のメッセージを当てこんだ。会場の隅の暗がりから聞こえてくる奇妙な音を気にも止めずに映像を見ていたが、どうも様子がおかしい。その音は音楽というわけではないものの、何かの音響装置から流れているような規則性も伺える。村田の身体表現はついに映像に転位したのだろうかと訝りながら、暗闇に目が慣れてきたところで、改めて会場を見渡すと、大きな箱の中から村田が頭だけを出して、何かを必死にわめいていた。
音響装置かと思ったのは村田当人の声だったのだ。その声は「ワンワンワン」なのか、「ウォンウォンウォン」なのかは定かではなかったけれど、とにかくものすごい勢いでわめいている。声をはっきりと聞き取れなかったのは、その勢いに圧倒されたからでもあり、同時に、彼が箱の内側を何かで激しくこすり上げていたからだ。外側からは明確に確認できるわけではなかったが、内側で強力な反復運動が繰り返されていることは気配で察することができる。暗闇の空間を、村田の身体から発せられた波動が何度も行き交い、それらがこちらの身体を前後左右から何度も貫くのである。
安部公房の「箱男」は箱の内側に閉じこもり、小さな穴から外側の世界を一方的に見通す、いわば視線に特化した存在として描写されていた。村田の「首男」は、同じく箱に自閉しているが、その箱の中で暴れまわることで、見えない身体全身の存在感を感じさせていた。いま思えば、村田は眼を瞑っていたような気がするから、村田の「首男」は「箱男」と相似形を描きつつも、内実においてはまったく正反対のネガであると言えよう。
直接見えるわけではないし、言語に頼るわけでもない。けれども身体と身体のあいだを交通する波動によって可能となるコミュニケーションはありうる。村田は、おそらくその恐ろしく微小な可能性を全身で押し広げているのだろう。

2014/09/25(木)(福住廉)