artscapeレビュー
「燕子花と紅白梅」光琳アート─光琳と現代美術
2015年04月01日号
会期:2015/02/04~2015/03/03
MOA美術館[静岡県]
同館が所蔵する尾形光琳の《紅白梅図屏風》と根津美術館が所蔵する《燕子花図屏風》を同時に展示した展覧会。あわせて光琳芸術の影響があると見受けられる杉本博司や村上隆、会田誠といった現代美術の作品も展示された。
よく知られているように、いわゆる琳派は狩野派のように直接的な師弟関係や家系によって構成された流派ではなく、時間的にも空間的にも断続的な影響関係に基づいた呼称である。つまり光琳や宗達、光悦に惹かれた者が、その都度その都度、過去から彼らを召喚することによって、結果として琳派は形成されたわけだ。
本展で注目したのは、その琳派が形成された過程に、実は百貨店が大きく作用していたことが示唆されていた点である。三越百貨店の前身である三越呉服店は、明治37年(1904)に「光琳遺品展覧会」を催したが、これは美術・工芸品を陳列販売する、現在の百貨店の営業形態の原型とされている。言い換えれば、琳派を形成していたのは、酒井抱一や神坂雪佳だけでなく、百貨店という企業体でもあったのだ。
ここには、ことのほか重要な意味がある。なぜなら、日本美術史にとって欠かすことのできない流派のひとつが、企業戦略によって歴史化されたという一面が明らかに認められるからだ。資本主義の黎明期からすでに、その力は美術の現場に及んでいたのであり、それは現在のマスメディアによって巨大な動員を図るブロックバスターの歴史的起源とも考えられる。琳派にとっての三越呉服店は、狩野派にとっての江戸幕府と同じではない。それは単なるパトロネージではなく、意図的かつ積極的に販売を仕掛けるプロデューサーなのだ。
だが、留意しなければならないのは、本展では「琳派」という言葉が巧妙に回避されていた点である。杉本博司や村上隆、会田誠は、琳派の末端ではなく、あくまでも光琳の「影響が伺える」現代美術のアーティストとされている。はたして彼らを琳派としてプレゼンテーションする企業体は現われるのだろうか。
2015/03/02(月)(福住廉)