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大ニセモノ博覧会 贋造と模倣の文化史

2015年04月01日号

会期:2015/03/10~2015/05/06

国立歴史民俗博物館[千葉県]

人魚と言えば、古今東西の神話や童話に登場する、伝説上の生き物。上半身は人間だが、下半身は魚というイメージが定着しているが、幕末から明治にかけて、見世物小屋では人魚のミイラが興行されており、大いに人気を集めていた。現在、それは猿の上半身と鮭の下半身を切り合わせたものであることが、ほぼ実証されている。つまり人魚のミイラは明らかに偽物である。
本展は、偽物や贋作、模造品を集めた展覧会。雪舟や酒井抱一、池大雅らの贋作をはじめ、徳川家康の偽文書、偽金、鬼のミイラなど、およそ300点の資料が展示された。いずれも一見しただけでは本物との区別ができないほど精巧で、本物と比較するかたちで展示されていれば別だったが、素人目にはその真偽の判断は極めて難しい。筆の運びや賛、印章などを手がかりにしながら偽物の根拠を説く専門家による解説文があってはじめて納得できるというわけだ。
興味深いのは、その解説文が、偽物を解説するという目的だからだろうか、徹底的に辛口であること。「技法をまねるのに精一杯で、技量が追いついていない」、「琳派らしさを出そうとしていますが、新聞広告の通販で買えそうな程度のニセモノです」、「まったく絵心を感じません。とてもプロの絵とは思えません。これを池大雅の絵と言い張ることに、別の意味で敬服できる作品です」などと、まるで容赦がない。一般的に研究者は価値判断を下さず、客観的な立場を固守すると考えられがちだが、こと真偽の問題に限っては、批評的な視線と言語を動員せざるをえないことを、これらの解説文は如実に物語っていた。
とはいえ、おびただしい数の偽物を見ていくと、真偽の境界線が明確になっていく一方で、ますます曖昧になっていくように実感するのもまた事実である。なぜなら仮に偽物であることが科学的に実証されたとしても、偽物ならではの価値が失われない場合もあることに気づかされるからだ。かつて地域の名家は自宅で接待のための宴会を催す際、たとえ偽物であることが明らかだったとしても、名の通った美術品を床の間に飾り、見栄を張ることを余儀なくされていたという。また、江戸時代の庶民は人魚の骨を解毒剤として服用し、人魚を描いた刷り物を無病息災を願うお守りとして軒先に貼っていたという。つまり、これらは科学的には偽物かもしれないが、民俗的には本物として庶民の生活で必要とされていたのである。
本展で浮き彫りにされたのは、真偽をめぐる問題について、私たちの社会には科学的な基準とは異なる、もうひとつの基準が存在しているという事実である。それは、民俗的な基準なのかもしれないし、芸術的なそれなのかもしれない。いずれにせよ、その重層的なレイヤーこそが、社会的な現実を構成していることはまちがいない。芸術が真理を体現するものだとしたら、それは偽物のなかにこそあるのかもしれない。

2015/03/10(火)(福住廉)

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