artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

太田三郎 個展「POST WAR 69 戦争遺児」

会期:2014/08/11~2014/08/23

コバヤシ画廊[東京都]

「切手」で知られる太田三郎の個展。タイトルにあるように戦争遺児たちの肖像の切手作品を発表した。
それぞれのモノクロ写真と名前、そして戦後69年の「69」が記されている点は共通している。異なっているのは、切手シートの下欄に書かれた個人的なエピソード。太田が彼らに取材した内容が短い文章で的確にまとめられている。
心ならずも戦争遺児として戦後を生き抜いてきたそれぞれの歴史。そこには陰惨な差別への憤りや親の愛への渇望、戦争への憎しみが凝縮している。なかには、現在の悪化する日中韓関係や集団的自衛権の是非について言及している者もいる。当人の顔が切手に印刷されているので、あたかも当人がこちらに語りかけているように錯覚するほどだ。戦争体験者の声が、切手に載せられて、こちらに確かに届けられているのだ。
興味深いのは、この作品において太田本人の作家性が最小限まで切り詰められている点である。太田は、特定の彼らの声を特定のあなたへ届ける媒介物としての作品をつくってはいるが、しかし、制作者としての存在を主張しているわけではない。むしろ、両者の関係性を演出しつつも、両者が交通する瞬間には身を隠す、いわば「消滅する媒介者」なのだ。
歴史という関係性は途切れやすく、傷つきやすい。戦争遺児に関わらず、戦争体験者の声が届けられる機会は希少である。そのとき、アートに可能なことは限られてはいるが、太田の作品はひとつの有効なモデルを示した。

2014/08/21(木)(福住廉)

奥誠之 展「南洋のライ」

会期:2014/07/04~2014/08/17

ya-gins[群馬県]

「ライ」とはミクロネシア諸島のヤップ島で1930年頃まで用いられていた石貨。直径1.5メートルから大きなもので3メートルのものもあるという。その機能は、日常的に使用する貨幣というより、冠婚葬祭などの贈答品で、その価値は石の大小というより、製造過程における労苦の大小に左右されていたという。この石貨をつくるのがいかに大変だったか、どれほど苦労して運搬したかを、とうとうと語る話術がその価値を決定していたのだ。
1925年、東京の日比谷公園にヤップ島からライが寄贈された。当時のヤップ島はすでに日本帝国の支配下にあり、ライを本土に送ったヤップ島支庁長が、奥誠之の曽祖父だった。奥は、この曽祖父についてのインタビューを親族に行ない、それらの文言を会場の白い壁面に鉛筆で書き記した。来場者は、練りゴムでこれらの文字群を消すよう促されるが、奥はその消しカスをすべてていねいに練り集めて石貨の形状に整えた。つまり練りカスでできた小さな石貨の中にはインタビューで収録したさまざまな声が練りこまれていることになる。
訪れた日は最終日だったこともあり、壁面の言葉はほとんど消し去られていた。だから曽祖父についての描写や記述の詳細はわからない。けれども、白い壁面に残された黒ずんだ痕跡は、そこに記述された言葉が練カス石貨というモノに転位した事実を如実に物語っていた。本展企画者の小野田藍は言う。「使用済みのゴムを石貨のかたちにしてゆく作業は、実際の石貨が来歴によって価値を太らせていくプロセスをシミュレートした行為である」。
さらに付け加えれば、奥のシミュレーションはアートの本質も突いている。つまり、モノの価値を決定するのは、モノそのものではなく、モノに付随する言葉や意味である。この図式に、作品と言説の関係性がそのまま該当することは明らかだろう。批評やステイトメント、議論、あるいは鑑定書といった言説空間の拡充は、だからこそ重要なのだ。
その意味で、本展企画者でアーティストの小野田藍が発行している『ART NOW JAPAN』の意義は、とてつもなく大きい。A4両面に手書きで書かれた、おそらく日本でもっとも簡素な批評誌で、特定の1人のアーティストについて小野田自身が2,000字前後で執筆している。「日本のアーティスト100人」というサブタイトルが付けられているように、100号の発行を当面の目標としているようだが、奥についての最新号で35号。今後、前橋という地方都市から発信される貴重な批評空間に注目したい。




『ART NOW JAPAN』

2014/08/17(日)(福住廉)

松本泉 写真展「甲冑」

会期:2014/08/04~2014/08/09

コバヤシ画廊[東京都]

昆虫写真といえば自然環境の中での生態をとらえたクローズアップが多いが、松本泉のそれは黒バックの接写であるため標本のような客観性がある。躯体の形態や表面の質感、そして肉眼では見逃してしまいがちな細かい色彩。おおむね横向きの姿勢で撮影された昆虫たちの細部に眼を走らせると、そのようにして次から次へと発見があるのが楽しい。クワガタの表面があれほどざらついているとは知らなかった。まさしく肉眼を超える視覚体験である。
興味深いのは、その発見を美術との類縁性によって理解してしまうことだ。コガネムシやカナブンの光沢感のある表面は、釉薬をかけて焼いた陶磁器のようだし、カブトムシやクワガタの造形はダイナミックな彫刻のようだ。こうした結びつきは、何も美術という色眼鏡に由来するだけではないだろう。人間であれ自然であれ、世界の基本的な成り立ちには造形がある。そのことを体感できる展観であった。

2014/08/06(水)(福住廉)

あしたのジョー、の時代展

会期:2014/07/20~2014/09/21

練馬区立美術館[東京都]

漫画やアニメで知られる『あしたのジョー』の展覧会。高森朝雄とちばてつやの詳細なプロフィールに始まり、貴重な原画、アニメ版のセル画や動画、関連商品の数々など、リアルタイムで楽しんでいたファンならずとも、『あしたのジョー』の世界を存分に堪能できる内容だ。
ただ、この展覧会の醍醐味は、タイトルの後半にある。すなわち「あしたのジョー、の時代」とあるように、会場の後半は漫画が連載されていた60年代後半から70年代前半にかけての美術や映画、舞台デザイン、広告などが展示されているのだ。横尾忠則による天井桟敷のポスターはもちろん、篠原有司男の《モーターサイクル・ママ》、平田実や羽永光利によって撮影された反芸術パフォーマンスの数々、高田渡や岡林信康らのレコード、CM「男は黙ってサッポロビール」などが立ち並ぶ会場には、あの時代の濃い空気が満ちている。
『あしたのジョー』の大きな特徴は、よど号をハイジャックした赤軍派が「われわれは明日のジョーである」という声明を出したように、漫画でありながらも漫画を超えた広がりを持ち、そのことによって時代を象徴する文化になりえたことである。今改めて漫画『あしたのジョー』を読んでみると、貧困からの脱出、身体と身体の激突による生の実感、栄光と転落、亡霊との格闘など、いまの時代にはあまり望めない濃厚なリアリティが充満しているのがわかる。
とりわけ注目したいのが、矢吹丈と丹下段平の言葉の応酬だ。下町の汚い言葉で激しく言い合う2人は、ボクサーとセコンドという立場でありながら、つねに同調するより反発し合っていた。ジョーは、もしかしたら一度たりとも段平の助言を受け入れなかったのではないか。ジョーと段平は、いわばリングの外でも拳を交えて殴り合っていたのだ。
だとすれば、本展の意義は漫画と美術の幸福な結合などにあるのではない。それは、むしろ予定調和と慣れ合いが跋扈する現代アートの現状に加えられた激烈な一撃と言うべきだ。あしたのために、われわれはもっと闘わなければならない。

2014/08/01(金)(福住廉)

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キュンチョメ個展「なにかにつながっている」

会期:2014/07/11~2014/07/23

新宿眼科画廊[東京都]

キュンチョメは新進気鋭のアーティスト。先ごろの岡本太郎現代芸術賞を受賞するなど、「天才ハイスクール!!!!」出身の若いアーティストたちのなかでも突出した活躍ぶりである。今回の個展で、彼らのひとつの達成を見た。
キュンチョメがつねに関心を注いでいるのは、3.11。放射能によって汚染された国土や海、農作物などを素材に、3.11以後のリアリティをこれまで執拗に追究してきた。彼らほど頻繁に、持続的に被災地を訪れ、量はもちろん質の面でも優れた作品を発表しているアーティストはほかにいない。今回発表した新作も、金属探知機を手に海岸沿いを歩きながら地中に埋まった遺失物を掘り起こし、その穴に植物を植えていくというもの。全体的な被害の規模からするとささやかな試みなのかもしれない。けれどもそうせざるをえない、当事者とは異なる何か切迫感や義務感のようなものが感じられる。死者の追悼は、じつは生者の傷を癒やすためにこそあるという逆説を思い起こす。
そう、あの日以来、私たちはすっかり傷ついてしまったのだ。普段はそのことを忘れているが、じつは深く深く傷ついている。そのことを自覚すると、よりいっそう傷が広がる恐れがあるため、あえて忘却の淵に追いやっているのだ。キュンチョメはその傷をえぐり出す。ただし、暴力的にではない。あくまでも詩的にだ。そこにキュンチョメの真骨頂がある。
「もういいかい?」。富士の樹海で何度も呼びかける。同じ音程で、同じリズムで、同じ強さで。それが自ら死を選択した者たちへの言葉であることはわかるにしても、むろん「まあだだよ」や「もういいよ」が返ってくることはない。ただ、この問いかけが連呼されることで、その問答の内実が私たちの脳裏にありありと浮き彫りになるのだ。死を発見してよいのか、あるいはまだ準備が整っていないのか。これは富士の樹海の自殺者に限られた話ではない。私たちは死者たちの魂にそのように呼びかけることで、自らの魂を鎮めているからだ。つまり死者たちに「もういいかい?」と問いかけながら、「まあだだよ」と「もういいよ」と応えるのもまた、自分なのだ。自分の傷は自分で癒やすほかない。
そのような魂をめぐる自問自答をもっとも象徴的に体現した作品が、《僕と鯉のぼり》である。祖母によって祝福され贈答された鯉のぼりは、幼少期のわずか数日間だけ空を泳いだが、その後の引きこもりにより20数年ものあいだ封印された。キュンチョメはそれをスカイスーツに仕立て直し、スカイダイビングを決行。鯉のぼりは久方ぶりに大空を生き生きと舞った。鯉のぼりの中から溢れ出る爆発的な笑顔には感涙せざるをえないが、ここにあるのは自らの傷を鮮やかに反転させるアートの醍醐味にほかならない。本展の全体とからめて言い換えれば、青空を乱舞する鯉のぼりは「もういいかい?」という自分自身への問いかけに対する「もういいよ」という自分なりの明快な答えなのだ。その、ある種の「赦し」に、未来がつながっているのではないか。

2014/07/22(火)(福住廉)