2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

花咲くジイさん ~我が道を行く超経験者たち~

会期:2014/08/16~2014/11/16

鞆の津ミュージアム[広島県]

「老人」の表現に焦点を当てた展覧会。漫画家の蛭子能収や発明家のドクター中松、具体の堀尾貞治、そして伝説のハプナー、ダダカンこと糸井貫二など、ほぼ無名の新人も含めた12人の老人たちが参加した。
現在の日本社会がまぎれもなく少子高齢化社会である以上、社会はおろか経済も芸術も、あらゆる分野にとって少子高齢化という項目は、無視しがたい項目のひとつと言うより、もはや社会全体の前提条件と言うべきである。老人たちがマジョリティーであるような社会がいずれ到来したとき、現代アートは、制度的にも内容的にも、いかなる様態で対応するのか。従来の鑑賞作法は通用するのか、あるいはなんらかの改変を余儀なくされるのか。批評言語は? 美術館のありようは? 考えるべきテーマは枚挙にいとまがない。「老人」という主題は、アウトサイダーアートや限界芸術として周縁化されがちだが、じつは優れて今日的なアクチュアリティーを内蔵しているのだ(この点をやすやすと見落としてしまう学芸員や美術評論家の批評眼は、間違いなく衰えているので金輪際信用してはならない)。
しかし本展は、残念ながらそうした社会的な意義を強力に訴える展観には至っていなかったように思われる。なぜなら、奇妙で奇天烈な表現活動に勤しんでいる老人たちは、本展においてじつに整然と鎮座していたからだ。きわめて手堅い展示手法が、老人たちの面白さを引き出すことに失敗していると言ってもいい。
例えば老人ホームへの入居を機に90歳を超えてから猛然と絵を描き始めた軸原一男。本展では壁面にそれらのドローイングを規則的に並べて展示していたが、これでは彼の表現に費やされている並々ならぬ欲動を伝えることは難しい。その熱い欲動が平面上の規則性に溶け込み、雲散霧消してしまうからだ。同じことはドクター中松についても言えるし、比較的にカオス的に展示された糸井貫二にしてももっと迫力のある展示手法があったのではないかと思わずにはいられない。彼らの魅力が半減してしまう展示は、いかにも惜しい。
おそらく本展には決定的に欠落している点が2つある。ひとつは、本展で紹介された老人たちが、本来的に、美術館の展示に不向きであるという認識。漫画家や発明家、ハプナー、あるいはほとんどアマチュアという属性が美術作品を展示するための美術館と相性がよくないというわけではない。そうではなく、彼らの表現が、そもそも美術を志向していないばかりか、場合によっては他者に伝達することすら想定していないような類のものだからだ。アウトサイダーアートでも見られるように、自己完結した表現は、他者性を前提とした美術とは根本的に馴染まない。それが成立しているように見えるのは、美術館をはじめとする美術という「見る制度」が彼らの表現を「アウトサイダーアート」として囲い込んでいるからにほかならない。本展は、アウトサイダーアートと同じ轍を踏んでいるように思えてならないのである。
もともと美術館に適当ではない表現を、その特性を抑圧することなく、できるだけ活かしながら見せるには、ある種の工夫、すなわちキュレーションが必要である。しかしキュレーションとは、事物を整然と並べることで小宇宙を構成することを意味しているわけではない。どの作品をどこでどのように見せるのかという人為的な作業は、それらが特定の個人に由来する点で、中立公正ではありえないし、物理的な制約があるとはいえ、基本的には特定の個人の発想にかかっている。つまりキュレーションとは、明らかに表現なのだ。
もし表現としてのキュレーションを追究していれば、あれほど中庸な展示にはなりえなかったはずだし、手強い老人たちの表現と共振することで、まったく別の展観となっていたはずである。美術館外の活動を積極的に展開していることは高く評価するべきだが、それより前に美術館の内側でやるべき仕事が残されているのではないか。この美術館は企画展のアクチュアリティーの点で言えば全国随一であるだけに、もう一歩踏み込むことを期待せずにはいられない。

2014/11/03(月)(福住廉)

色鉛筆の画家 吉村芳生 最期の個展

会期:2014/10/15~2014/11/03

アスピラート防府[山口県]

昨年12月に急逝した吉村芳生の遺作展。吉村が生まれ育った山口県防府市での大規模な回顧展でもある。代表作とも言える新聞紙の自画像シリーズをはじめ、フランス滞在中に描かれた《パリの自画像》、野花を色鉛筆で精確に描写したシリーズなど、新旧の作品から吉村の画業を振り返る、充実した展観だった。
とりわけ印象深かったのが、会場の終盤に展示されていた《コスモス(絶筆)》である。大きな画面に色鮮やかなコスモスが描かれているが、右端からちょうど五分の一ほどが白いまま描き残されているのだ。ここには画面の左側から描き始めていた吉村の制作手順が図らずも露わになっていたのと同時に、制作途中に絵筆を置かねばならなかった吉村の無念が立ち込めていたように思われた。たとえ自画像を描いていなくとも、そこに吉村の自我意識を見出してしまう。それほど吉村の作品には、作者の強力な自我意識が直接的に反映しているのである。
例えば晩年のパリ時代に描かれた自画像には、明らかに閉鎖的な自意識が伺える。いずれも表情に乏しく、眼球の力だけがやけに鋭い。パリの空気がよほど体質に合わなかったのだろうか、苦しまぎれに自らをキャラクター化したような自画像もある。心の内側で悶絶しながらも毎日絵筆を握り続けた吉村の姿が眼に浮かぶのだ。
吉村芳生の真骨頂が対象を「転写」すると言ってもいいほど精確に描写する技術、すなわち超絶技巧にある点は、言うまでもない。けれども、その根底には「私」を徹底して即物的に観察する冷酷な視線と、結果として浮き彫りにされる「私」をよくも悪くもすべて曝け出す胆力があることは、改めて指摘しておきたい。この2つの特質は、同じように「私」に拘泥する昨今の若いアーティストたちの作品に決定的に欠けているからだ。
裏返して言えば、そのような特質があってはじめて、「私」の野放図な表出は、他者の「私」と共振するのではなかったか。吉村芳生が遺したのは、若者たちにとってはきわめて過酷な道のりだが、吉村に続き、吉村の先を歩んでゆく者が現われる日を待ちたい。

2014/11/02(土)(福住廉)

鳥取藝住祭2014

会期:2014/09/05~2014/11/30

米子市、倉吉市、鳥取市、境港市、大山町、岩美町各地[鳥取県]

鳥取県内の各所で催された芸術祭。「芸住」とは芸術が日常生活のなかに住む理想的な状態を指した造語で、アーティスト・イン・レジデンスを通してその実現を図るという趣向だ。国内外から20組あまりのアーティストが県内の随所に滞在しながら作品を制作した。
ただ、こうしたAIR事業を的確に評価することは甚だ困難を極める。滞在が長期にわたる場合、その進行過程を逐一観察することは事実上不可能であるし、たとえその過程に伴走することができたとしても、批評的な営みに最低限必要とされる客観性を担保することは至難の技だ。しかもこの芸術祭の開催場所は県内の全域に及んでおり、東西に長い同県を移動するだけでかなりの時間と労力を必要とする。事実、短期間の鑑賞では、実見できる作品も限られており、この芸術祭の全体像を把握できたとは到底言い難い。
とはいえ個別の作品から今日的な問題を引き出すことができないわけではない。全国のアートプロジェクトに参加している中島佑太は、地元住民や子どもを対象としたワークショップを手がけるアーティストとして知られているが、今回倉吉市関金町に滞在した中島はこれまでと同様住民や子どもに開かれた作品を発表した一方、逆にあえて閉じる傾向も作品に仕掛けていた。
たとえば《家族のルールをつくる》というワークショップは、当該家族と相談しながら家族独自のルールを設定するもの。おしりを振りながら歯みがきをしなければならないとか、頭に赤い風船を乗せてパスタを食べなければならないとか、微笑ましいルールが地域内の家庭に徐々に広がっていったようだ。
だが、そのような開放的な志向性とは裏腹に、中島は制作の拠点としていたスタジオに地元住民に背を向ける意味合いを込めていた。オープンスタジオに訪れた観客はガラス張りの入口からではなく、裏口から入るように促されるのだ。外から中の様子が伺えるようにしておきながら、そこからは入ることを絶対に許さない。この意固地とも言える姿勢は、彼なりのユーモアを込めた「ルール」と言えなくもないが、しかし、中島がこれまで実践を繰り返してきたワークショップや交流型の作品の総括から導き出された批判的な戦術ではなかったか。
一般論で言えば、市民や子どもを対象としたワークショップや交流型の作品は性善説に基づいていることが多い。観客参加型のアートであろうと、リレーショナル・アートであろうと、アートによって彼らとの関係性を一時的とはいえ構築することは、彼らにとってもよきものに違いないという揺るぎない確信を、それらの基底に隠している。それゆえ積極的に彼らに心を開き、そのことで彼らの心を開放することは、ほぼ無条件に是認される。裏返していえば、それらのアートが彼らにとって迷惑かつ不愉快極まりないものになりうる潜在的な可能性はあらかじめ抑圧されているわけだ。
ところが、改めて確認するまでもなく、こうした開放的な性善説はフィクション以外の何物でもない。あまりにも自明の理でありながら、このことを公言しにくいのは、それがワークショップはおろか、街おこしを主要な目的とした芸術祭やアートプロジェクトの大半が信奉している、ある種の神話だからだ。神話とは、それが現実的な裏づけを欠いているにもかかわらず、そのことがまったく意識されないほど十全に自然化された物語のことである。
本人が言明したわけではないが、おそらく中島は数多くのワークショップやアートプロジェクトに参加した経験から、この神話を直観した。そして、アーティストである以上、それを視覚化しようとした。どのような手法によって? 自己言及的な身ぶりによって。すなわち、開放性の慣習をなぞることで、ある程度その神話を引き受けつつ、その一方、閉鎖性の構えを堅持することで、それを相対化してみせたのだ。中島が体現した、開いているのに閉じているという両義性のなかに、来場者は神話の構造を見出すのである。
とりわけ注記しておきたいのは、中島による以上のような芸術祭やアートプロジェクトへの根本的な批評は、まさしくそのようなワークショップを手がけてきた自らへの自己批判も含まれているという点である。現在進行形のアートプロジェクトや芸術祭に焦点を絞りきれない美術批評を尻目に、当のアーティストが優れて批評性の高い作品を提示したことに、焦燥感を感じずにはいられない。

2014/10/18(土)(福住廉)

小野田賢三──Vacant / Occupied

会期:2014/09/06~2014/10/19

ya-gins[群馬県]

群馬県在住のアーティスト、小野田賢三の個展。会場近隣の洋装店「ニャムコム」の店内にある商品やディスプレイ、備品などをすべて展示会場内に移設した。通常は白い壁の空間が、鮮やかな色彩とおびただしい物量で埋め尽くされたわけだ。むろん店舗をまるごと移設したので、主人も展示会場に常駐し、通常どおり営業している。ギャラリーがショップに様変わりした、その劇的なインパクトが面白い。
一方、もとの「ニャムコム」には、がらんとした空間をそのままに、小野田によるミニマムな作品が展示された。薄暗い照明の下、床にはいくつものビールケースが積み上げられ、奥の暗がりからは、かすかにノイズのような音が漏れてくる。聞けば、ビールケースはシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色でそろえたという。すなわちCMYKの4原色によって構成された、日本の極めて庶民的なミニマル・アートというわけだ。
庶民的なミニマル・アートと言えば、かつて岡本光博が、誰もが知るお茶漬けの素の商品パッケージの図柄を連想させる作品を発表したことがあるが、小野田の場合、作品の焦点は表象批判や制度批判にあるというより、むしろ空間と作品の転位にあるように思われた。ギャラリーのホワイトキューブの中にビールケースの作品を展示しても、中庸なミニマル・アートとして見過ごされていたに違いない。日本家屋の、しかももぬけの殻の中で、そこにふさわしいミニマルなかたちを提示したからこそ、庶民的なミニマル・アートが成立したのだ。
作品と空間は分かち難く結びついている。美術館や画廊の空間で展示されるミニマル・アートが、現代美術の歴史を学ぶ者にとっての「教科書」の役割以上の同時代性を失ってしまったいま、小野田が空間と作品を入れ替え編集しながら見せた庶民的なミニマル・アートは、ミニマル・アートを今日的に蘇生させる延命策として考えられなくもない。だが、廃墟のような空間の強い印象から言えば、むしろミニマル・アートを庶民の地平に引き降ろすヴァンダリズムとして考えた方がしっくりする。ビールケースの物体は、その手つきを思えば、ミニマル・アートの伝統や文脈を適切に踏まえた美術作品というより、街のストリートに書き殴られたグラフィティーや幼児が楽しむ積み木に近いからだ。
ことはミニマル・アートにとどまらない。あらゆるアートを引きずり降ろす作業が待望される。

2014/10/12(日)(福住廉)

小口一郎 木版画展

会期:2014/09/20~2014/11/16

小山市立車屋美術館[栃木県]

小口一郎は1914年栃木県下都賀郡絹村に生まれた版画家。油絵を描くことから始め、終戦後版画に転じ、足尾鉱毒事件を取材したシリーズ三部作《野に叫ぶ人々》《鉱毒に追われて》《盤圧に耐えて》を発表した。本展は、小口の版画作品を網羅的に振り返ったもの。小規模ながら、いずれも力強い作品で、見応えがあった。
小口といえば田中正造の直訴を主題とした《野に叫ぶ人々》のシリーズで知られているが、今回の展覧会で明らかにされたのは、小口の表現活動が民衆の地平に根づいていたという事実である。《野に叫ぶ人々》から初公開となった《川俣事件》まで、小口の木版画は終始一貫して民衆の視点から描写されている。官憲の手を振りほどきながら直訴状を手に前進する田中正造は言うまでもないが、小口が彫り出した石切り場や農場、砂利運搬などの労働者たちの姿には、彼らに対する共感のまなざしがはっきりと感じられる。本展では、小口が地元企業の職場や地域社会の美術サークルで指導していたことが当時の作品と資料とともに紹介されていたが、小口の視線は生活者や庶民のそれに同一化していたのだろう。
1960年、小口は《波紋》(1960)という作品を制作している。これは60年安保の最中、国会を取り巻くデモ隊の光景を描いた作品だが、注目したいのは小口がこの作品を俯瞰図でとらえていることだ。上空の視点から見た国会周辺には、旗を持った人の姿が波紋のように丸い陣形を描いている。この版画作品には静謐な美しさが感じられないでもないが、それ以上に感取されるのは小口の視線と対象との距離感である。この作品には労働者や農民に注がれていた視線の温かみも近さもほとんど感じられず、どこか遠い国の出来事を見下ろすようなよそよそしい雰囲気が濃厚なのだ。おそらく小口の視線は、ローカルな農民運動や労働運動に向けられていたのであり、安保というローカルを超越する問題に対しては、それほどの熱量を注入できなかったのではないだろうか。
むろんグローバリズムとローカリズムは互いに連動しながら歴史を更新していくから、双方をそれぞれ自立的に分け隔てることはあまり意味がないのかもしれない。だが、グローバリズムの問題点や矛盾が噴出し、それに対抗する準拠点としてのローカリズムの有効性が見直されているいま、小口の木版画のような、きわめてまっとうにローカルな土地に根づいた表現活動は、改めて評価されるべきである。

2014/10/12(日)(福住廉)

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