artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

靖国・地霊・天皇

会期:2014/07/19

ポレポレ東中野[東京都]

美術家の大浦信行による新作映画。美術評論家の針生一郎や韓国の詩人、金芝河、思想家の鶴見俊輔らを手がかりに、日本近代や天皇制の問題について映画をとおして思索を重ねてきた大浦が、ついに靖国神社について映画を撮った。246万の戦没者を「英霊」として祀る靖国神社の問題は根深い。先の戦争にかかわる歴史認識やA級戦犯の合祀、あるいは政教分離や首相参拝などをめぐって、いまも議論は紛糾している。この映画では、靖国についての持論を開陳する右派と左派を代表する2人の弁護士が、左右の対立によって分割されている問題圏としての靖国を象徴的に体現している。それぞれの言い分には、それぞれの論理と正義、そして情緒が見受けられるため、妥結点を見出すことは容易ではないことがわかる。
ただ、この映画の醍醐味は、そうした政治的イデオロギーの対立を再確認させることではない。むしろ、映画の全編にわたって一貫して描写されているのは、左右対立の図式の下に広がる「血の海」である。決して望まない死に方を強いられた日本兵や、靖国での再会を母に誓いながら死んでいった従軍看護婦たちが残した言葉の数々。彼らの生々しくも痛切な声は、「犬死」や「英霊」といった事後的な「死」の意味づけを突き抜け、私たちの心の奥深くに突き刺さる。それゆえ、靖国神社の祭りや二重橋、繁華街を映した赤みを帯びた映像は、血涙を絞った彼らが死してなお現在の都市を彷徨しているように見えてならない。靖国神社の基底にある「血の海」は、現在の都市風景にまで溢れ出ているのだ。
むろん、「血の海」が直接的に目に見えるわけではない。だが、この映画の詩情性は、あたかもそれが目に見えるように錯覚させる。おびただしい「血の海」に木霊する、激しい憎しみや怒り、そして言いようのない哀しみ。映画の随所で幾度も感じられるのは、それらを発する地霊の気配である。劇団態変を主宰する金滿里の踊りは、大地と密着しながら身体を搖動することによって、地霊たちに呼びかけ、身体に彼らを宿らせているように見えた。地霊が見えるわけではない。だが、気配を感じ取ることはできるのだ。
芸術がある種の感性の技術として育まれてきたとすれば、それは死者たちの沈黙の声に耳を傾け、彼らの気配を察知する経験として位置づけ直すこともできよう。戦争がしたくてたまらない為政者に反逆するには、何よりもこのただならぬ気配を感知する技術を研ぎ澄まさなければならない。芸術の意味は、ここにはっきりある。

2014/07/19(土)(福住廉)

石井陽平 個展「最高に生きる」+ひろせなおき個展「GYARU儀葬儀式展」

石井陽平 個展:2014/7/11~17、ナオナカムラ(素人の乱12号店)/ひろせなおき個展:2014/7/11~20、ナオナカムラ(音二番)[東京都]

ナオナカムラは、主に高円寺の「素人の乱12号店」を一時的に借り上げながら、なおかつ都内のギャラリーを転々としながら、各地で展覧会を断続的に開催している、新しいタイプのギャラリーである。テンポラリーに徹することで場所を維持するための経費を最低限に抑えるという点で、ギャラリストを志望する学生はひとつのモデルとして積極的に見習うべきだろう。だが、ナオナカムラの本質的な魅力は、有望で力のある若いアーティストを次から次へと輩出している点である。なかでも傑出しているのが、石井陽平とひろせなおき。この4月に行なわれた佐藤翔との三人展「ゲームボーイ」(HIGURE 17-15 cas)から間髪を入れず、はやくも新作展が催された。
石井陽平が発表したのは、みずからの祖母をモチーフとした映像インスタレーション。高齢のため認知症が進行し、身体の自由もままならない祖母を生まれ故郷に連れ帰る旅の行程を映像に収めた。そこから感じられるのは、おそらく人生最後の里帰りとなるであろう濃密な時間。「はじまり」に立ち返りながらも、「おわり」へと向かっていく。いや、「おわり」を迎えるために「はじまり」に立ち戻る。石井が映像化したのは、きわめて個人的な事例ではあるが、そこには人生の先で誰もが行き当たる普遍的な問題が映し出されていたのである。
興味深いのは、その普遍的な問題の導き出し方である。会場の中央に設置したベッドの上にモニターを置き、そこで石井が手を添えながら祖母に習字を書かせる映像を見せる作品がある。一見すると書が得意だった祖母の身体の不自由さを、石井が介助することで補っているように見える。つまり大半は石井が書いているように見える。だが、完成した書の「最高に生きる」というたどたどしい文字を見ると、じつはそのようなメッセージを石井に着想させたのは、ほかならぬこの祖母だったのではないかと思えてならない。石井が祖母に「最高に生きる」姿を見たのではなく、祖母が石井に「最高に生きる」よう仕向けたのではなかったか。普遍的な問題は、おうおうにして主体と客体が反転するような関係から獲得されるのだ。
一方、ひろせなおきは渋谷のギャルたちの葬式を彼女たちとともに同地で敢行した一連のプロジェクトを映像インスタレーションによって発表した。ふだんから渋谷のネットカフェで暮らすひろせにとって、90年代以後かたちを変えながら生きながらえてきた、そしていまも生きている渋谷のギャルは、決して無視することはできない主題であり、近しい同類だった。ひろせは彼女たちとの持続的な関係性を築くことから始め、粘り強く交渉を重ねながら生前葬とも言うべきパフォーマンスの内容を共同で決定していく。当日は、彼女たちとともに制作した棺桶をみんなで担ぎながら渋谷の街中をハチ公前まで練り歩いた。ひろせ本人が話す映像には映っていない体験談や裏話があまりにも面白いので、映像だけ見るとプロジェクトの本質が伝わりにくいという難点が否めないが、それにしても渋谷のギャルをここまで正当に作品化した例はほかにない。画期的な作品である。
ひろせの真骨頂は、明らかにリアルタイムの主題であるにもかかわらず、現代アートの主題としてはまったく取り上げられていない問題をいちはやく作品化する、その手並みの鮮やかさである。「フィールドワーク」や「リサーチ」という言葉では到底収まらないほど深く、長く対象に没入する並々ならぬ持久力もすばらしい。昨年後半のデビューから1年も経たないうちに、これほどの高い水準に到達した、自分で自分を教育する力もずば抜けている。
美術大学の学生はひろせや石井のようなアーティストを模範とすべきであり、美術大学の教員はひろせや石井のようなアーティストをひとりとして育てられないカリキュラムと指導法を根本から猛省しなければならない。そして、美術館の学芸員も、現代アートのキュレーターを自称するのであれば、コマーシャルギャラリーばかりに顔を売るのではなく、ナオナカムラのようにほんとうに新しいアートが生まれる現場を自分の眼で目撃しなければならない。

2014/07/16(水)(福住廉)

渡辺篤 ヨセナベ展

会期:2014/06/28~2014/07/19

Art Lab AKIBA[東京都]

いま、グラフィティのメッカは渋谷でも新宿でもなく、浅草橋である。とりわけ総武線の高架下には、質的にも量的にも、すぐれたタギングが多い。もちろん、それらは法的には違法行為であり、すべてをアートとして評価することはできないが、だとしても私たちの視線を鍛え上げる魅力的な触媒であることに違いはない。
その浅草橋と秋葉原のあいだにある会場で美術家の渡辺篤の個展が催された。今回発表されたのは、そのグラフィティをはじめ、宗教団体、ホームレス、右翼の街宣車などを主題とした、おびただしい作品群。卒制として発表された池田大作の巨大な肖像画から近作まで大量に展示されたから、ほとんど回顧展のような展観である。
それらの主題は、確かに私たちの社会的現実に即している。けれども同時に、私たちの多くが、それらを正視することを避けがちでもある。まさしくグラフィティがそうであるように、私たちは見ているようで見ていない。ホームレスのブルーシートハウスも、右翼の街宣車も、視界には入っているが、決して焦点を合わせようとはしない。渡辺の視線は、そのような社会の隙間に埋もれがちな対象を、じつに鮮やかに切り出してみせるのだ。
それは一方で批評的な身ぶりとも言えるが、他方で偽悪的ないしは露悪的な振る舞いとも言える。溜め込んだ鼻くそを固めた金の延べ棒や、枯山水を主題にしながらも庭石をブルーシートで覆った屏風絵などは、ある種の批評性を求める人びとにとっては痛快な作品だが、ある種の美意識をもった方々には到底受け入れられない代物だろう。その微妙なラインを渡辺は巧みに突いている。
とはいえ、渡辺の真骨頂は必ずしもそのような悪意のある批評性にとどまらない。それは、むしろ渡辺の視線が、グラフィティであれホームレスのブルーシートテントであれ右翼の街宣車であれ、そして現代アートであれ、すべてを等しく「表現」として見ている点にある。行政によって壁に貼付された落書き禁止の通告書をていねいに写生し、現物の横に一時的に掲示したうえで、額縁に収めて会場で発表した作品は、シミュレーションには違いないが、そうすることで通告書にひそむ「表現」を導き出したとも言える。無味乾燥で抽象化された通告書を見ても、それがどこかの誰かによってつくられた表現であるとは思わない。けれども、すぐれたグラフィティを目の当たりしたとき、その作者の存在に思いを馳せるように、渡辺は通告書ですら紛れもない表現であることを、その精巧なシミュレーションによって浮き彫りにしたのである。

2014/07/10(木)(福住廉)

背守り・子どもの魔よけ展

会期:2014/06/05~2014/08/23

LIXILギャラリー 1[東京都]

「背守り」とは、子どもの着物の背中につけた、魔よけのお守りのこと。着物の背中の縫い目には背後から忍び寄る魔物を防ぐ霊力が宿っていると考えられていたが、子どもの小さな着物は身幅が狭いため背縫いがない。そこで、わざわざ縫い目を施して魔よけとし、子どもの健やかな成長を願う風習が生まれた。着物を日常的に着ていた戦前の頃まで、こうした習俗は日本各地で見られたという。
本展は、その「背守り」の多彩な造形を見せる展覧会。実物の「背守り」のほか、関連する資料もあわせて60点あまりが展示されている。
一口に「背守り」といっても、その造形はさまざま。襟下にわずかな糸目を縫ったシンプルなものから、四つ菱文や桜文を刺繍したもの、あるいは端切れや長い紐を縫いつけたものまで、じつに幅広い。なかにはある種のアップリケのように押絵細工を施したものまである。たとえば襟下につけられた立体的な亀の「背守り」はなんだかやり過ぎのような気がしなくもないが、それだけ愛情が注がれているということなのだろう。他にも麻の葉模様の藍の着物に赤い糸目を縫ったものは配色が美しいし、俵で遊ぶ鼠の刺繍を入れるなどユーモアあふれるものもある。無名の、おそらくは母親たちによる、優れた限界芸術を目の当たりにできるのだ。
こうした造形は、社会の西洋化に伴い、次第に姿を消していった。「背守り」を必要としない現在の社会は、子どもを慈しむ気持ちを「背守り」のような手仕事によって表現することのない社会であり、「背守り」が依拠する霊魂観を必要としない社会でもある。私たちが失ってしまったもののありかを確かに思い知ることができる展覧会だ。

2014/06/19(木)(福住廉)

前原冬樹 展「一刻」

会期:2014/05/28~2014/06/04

Bunkamura Gallery[東京都]

三井記念美術館で7月13日まで開催中の「超絶技巧! 明治工芸の粋」展は、安藤緑山をはじめ並河靖之や濤川惣助、正阿弥勝義、柴田是真など、文字どおり金銀珠玉を集めた展覧会。現在ではほぼ再現不可能と言われる超絶技巧の粋を間近で堪能できる貴重な機会だ。
興味深いのは、そうした数々の逸品が、多くの場合、無名の職人たちによって制作されたものだという事実である。正体が謎に包まれている安藤緑山は別として、並河靖之は本人が直接手を掛けていたわけではないし、薩摩焼の精巧山や錦光山も窯の名称だ。蛇や昆虫などが可動する自在置物の明珍という名前も、甲冑師の流派を指している。特定の個人による作品に普遍的な価値を与える近代的な芸術観とは対照的に、明治工芸の多くは優れた技術と才能に恵まれた無名の職人たちによる集団制作だったのだ。
明治工芸の技術は残念ながら継承されることはなかった。けれども、その類まれな質を、いまたったひとりで追究しているのが、前原冬樹である。前原が彫り出す造形はおおむね一木造り。板の上でつぶれたカマキリや、鉄板の上に置かれた折り鶴、平皿に載せられた食べかけの秋刀魚などを、すべてひとつの木の塊から彫り出している。寄木細工のように組み合わせるのではなく、あくまでも一木にこだわる執着心がすさまじい。しかも油絵の具で精巧に着色しているから、木材の材質感を感じさせずに事物を忠実に再現しているのだ。
前原の作品の特徴は、過去への志向性にある。錆びついた空き缶やトタン板、そしてセミの抜け殻。過ぎ去りし日を思い偲ばせるような叙情性が強く立ち現われている。侘び寂びと言えば確かにそうなのかもしれない。だが、あえて深読みすれば、前原は途絶えてしまった明治工芸のありかを手繰り寄せようとしているように見えなくもない。前原が木の塊に見通しているのは、たんなる郷愁ではなく、断絶された歴史、ひいてはその再縫合なのではないか。
ただ、明治工芸の職人たちが視線を向けていたのは、むしろ現在である。並河靖之や濤川惣助の七宝はヨーロッパ各国の万博で高値で売れたからこそ、あれほどまでに技術が高められたのであるし、安藤緑山にしても、当時最先端の技術を駆使しながら明治期に流入した新しい野菜や果物を制作していた。つまり、明治工芸は明治における現代アートだったのだ。
だからといって前原の作品が現代アートでないというわけではない。あらゆる歴史が過去を振り返りながら未来に進むように、同時代のアートには現在と過去、そして未来が混合しているからだ。であれば前原は未来をも彫り出していることになる。明治工芸から前原冬樹の系譜は、高村光太郎や荻原碌山以来の近代彫刻とは異なるもうひとつの歴史であり、それが現在再生しつつあるとすれば、「彫刻」はいよいよ相対化され、その束縛を解き放つ契機が生まれるはずだ。歴史は複数あり、さまざまな歴史がある。現代アートの歴史もひとつではない。そこに未来があるのではないか。

2014/05/30(金)(福住廉)