artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

TRANS ARTS TOKYO 2013

会期:2013/10/19~2013/11/10

3331 Arts Chiyoda、旧東京電機大学7号館地下、神田錦町共同ビルほか[東京都]

昨年、旧東京電機大学の校舎を丸ごと使って大きな話題を集めたTATが、今年は同じ神田で会場をいくつかに分散して開催された。展示会場となったのは、工事中の地下空間をはじめ、空きビルや商業ビルなど。エレベーターが設置されていない古いビルが多いせいか、狭い階段を何度も昇り降りしながら作品を鑑賞するという仕掛けだ。動線がほぼ垂直方向に限定されていた前回とは対照的に、文字どおり都市を縫うように練り歩く経験が楽しい。
とはいえ、そこかしこに展示されていた作品には、ある種の定型に収まる傾向が認められたことは否定できない。それは、乱雑で猥雑、雑然とした作品があまりにも多かったこと。これは「天才ハイスクール!!!!」や「どくろ興行」が輝いていた前回から続く本展の特色なのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、そうしたアナーキーな色調が際立っていたのは、取り壊しが決定していたとはいえ、大学の校舎という確固とした白い壁面があってこそだった。しかし今回、とりわけ古い雑居ビルを展示会場とした雑多な作品の数々は、不本意ではあるだろうが、雑然とした空間に溶けこんでしまっていたように思われた。
その点で言えば、地と図を際立たせることに成功していたのは、林可奈子である。路上のパフォーマンスを映像インスタレーションとして見せる作品は、映像のなかの身体動作の点でも、モニターを立ち並べた展示の点でも、きわめてシンプルであるがゆえに、周囲の乱雑な空間とは明確に一線を画していた。むろん、静謐で上品な作品がなかったわけではない。けれども、林の作品がそうした中庸な「現代アート」と似て非なるものであったのは、やはり映像で見せた身体パフォーマンスの質に由来する。路上をでんぐり返しで進んだり、街角の凹凸に身体を当てはめたり、林の身体所作は品位を保ちながらも、どこかでひそやかな狂気を感じさせていたからだ。基準と逸脱のバランスが絶妙だったと言ってもいい。
一定のリズムで、しかし、通常の所作とは異なるかたちで歩んでゆく林の奇妙なパフォーマンス。そこには、本展を鑑賞する私たち自身が重ねられているように見えた。空洞化した都市に充填されたアートを見て歩く行為が、日常からわずかに逸れているからだけではない。林も私たちも、ともに都市の隙間と隙間を縫い合わせているように思われたからだ。林が路上に残した足跡と、私たちが神田の街を踏破した痕跡は、いずれもその縫合を示すステッチである。そのことに気づいたとき、都市はそれまでとはまったく異なる全貌を露わにするだろう。

2013/11/10(日)(福住廉)

関東大震災から90年─よみがえる被災と復興の記録─展

会期:2013/10/12~2013/10/20

湘南くじら館スペースkujira[神奈川県]

関東大震災直後に発行された新聞や雑誌、写真集、絵葉書などを見せた展覧会。大変貴重な資料の数々が、決して広くはない会場に所狭しと展示された。関東大震災関連の展覧会といえば、「関東大震災と横浜─廃墟から復興まで」(横浜年発展記念館)や「被災者が語る関東大震災」(横浜開港資料館)、「レンズがとらえた震災復興─1923~1929」(横浜市史資料室)、「横浜港と関東大震災」(横浜みなと博物館、11月17日まで)などがほぼ同時期に催されたが、本展の醍醐味は、展示された資料をガラスケース越しにではなく、肉眼で間近に見ることができるばかりか、部分的には直接手にとって鑑賞することができる点にある。古い資料が発するオーラを体感できる意義は大きい。
そのなかで気がついたのは、当時のメディアが現在とは比べ物にならないほど直接的に震災の被害を伝達していることである。新聞には現在では必ず回避される被災者の遺体を写した写真が掲載されているし、震災で破壊された街並みを印刷した絵葉書も飛ぶように売れたらしい。むろん、当時はメディアをめぐる社会的なコードが未成熟だったことや、そもそもメディアの種類が乏しかったことにもその一因があるのだろう。
けれども、同時にまざまざと実感できたのは、当時の人びとにとって震災は、伝えたい出来事であり、知りたい出来事でもあったという、厳然たる事実である。より直截に言い換えれば、当時の写真家や絵描きたちは、関東大震災によって、身が震えるほど表現意欲を掻き立てられたのだ。展示された資料の向こうには、夢中になってシャッターを切る写真家や、嬉々として絵筆を振るう絵描きたちの姿が透けて見えるようだった。かつて菊畑茂久馬は戦争画を描いた藤田嗣治の絵描きとしての心情を想像的に読み取ったが、それは関東大震災を主題とした写真家や絵描きたちの心の躍動と重なっているのかもしれない。
「私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に慄きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにもかかわらず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする」(坂口安吾「堕落論」)。もちろん震災と戦争は違う。時代も同じではない。けれども安吾もまた、破壊された都市を眼差す心の内側に、同じ熱量を感じ取っていたに違いない。それは、被災者を慮る同情や共感、あるいは復興のための努力や善意とはまったく無関係な、しかし、表現にとっては必要不可欠であり、それゆえ歴史を構築しうる、剥き出しの欲望にほかならない。

2013/10/18(金)(福住廉)

えっ?『授業』の展覧会ー図工・美術をまなび直すー展

会期:2013/09/14~2013/10/27

うらわ美術館[埼玉県]

美術教育の何が問題なのか。それは、美術の制作に重心を置くあまり、鑑賞教育がないがしろにされている点にある。制作と鑑賞が分断されたまま美術が教育されていると言ってもいい。こうした偏重は、大量のアーティスト予備軍を排出することで美術大学や美術予備校の経営的な基盤を確保している一方、結果的に「制作」を「鑑賞」より上位にみなす権威的な視線を制度化した。美術館における鑑賞者教育のプログラムは充実しつつあるが、それにしても「制作者」や「アーティスト」(あるいは、ここに「企画者」ないしは「キュレーター」を含めてもいいかもしれない)に匹敵するほど「鑑賞者」という立ち位置が確立されているわけではない。質的にも量的にも、鑑賞者を育むことを蔑ろにしてきたからこそ、市場を含めた美術の世界はことほどかように脆弱になっているのではないか。
本展は、小学校における図画工作および中学校における美術をテーマとした展覧会。明治以来の美術教育の変遷を貴重な資料によって振り返るとともに、現在、美術教育の現場で試行されているさまざまな実験的な授業を紹介した。展示されていた文科省による「児童・生徒指導要領の評価の変遷」を見ると、「鑑賞能力」は昭和36年から現在まで一貫して評価軸に含まれているにせよ、それが「表現能力」や「造形への関心」と交わることは、ついに一度もない。すなわち、制作と鑑賞の分断は制度的に歴史化されてきたのだった。
しかし、改めて振り返ってみれば一目瞭然であるように、制作と鑑賞の分離政策は美術に決して小さくない損害を与えてきた。従来の鑑賞教育は、「自由」という美辞麗句の陰に鑑賞を追いやり、方法としての鑑賞を練り上げることを放棄してきたため、結果として鑑賞と本来的に分かち難く結びついている批評を育むこともなかった。言うまでもなく批評とは批評家の専売特許ではないし、批評的視線を欠落させた鑑賞は鑑賞行為としても不十分であると言わざるをえない。批評の貧困は、批評家の力量不足もさることながら、鑑賞教育の乏しさにも由来しているのだ。
必要なのは、おそらく鑑賞=批評を「表現」としてとらえる視座である。制作と鑑賞を分離する従来の考え方では、制作は表現という上位概念に含まれることはあっても、鑑賞はそこから周到に排除されていた。しかし、批評が作品との直接的な出会いを契機として生み出される言語表現だとすれば、批評と直結した鑑賞もまた、そうした表現の一部として認めなければなるまい。「表現」という概念をいま以上に練り上げることによって、鑑賞を制作より下位に置くフレームを取り払うこと。そこに美術の未来はあるのではないだろうか。

2013/10/16(水)(福住廉)

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黄金町バザール2013

会期:2013/09/14~2013/11/24

京急線「日の出町駅」から「黄金町駅」の間の高架下スタジオ、周辺スタジオ、既存の店舗、屋外ほか[神奈川県]

2008年以来、神奈川県横浜市の黄金町一帯で催されてきた「黄金町バザール」も6回目を迎えた。今回参加したのは、国内外から推薦され、あるいは公募を通過したアーティスト16組。基本的に黄金町に滞在して制作した新作を発表した。
前回までとの大きな違いは、展示エリアがコンパクトになっていた点である。京急の高架下を中心に作品が点在しているので、鑑賞者は地図を片手に作品を探し歩くことになるが、いずれの会場もほどよく近いので、歩きやすい。ところが、その道中で気がついた点がある。それは、自分の足取りが、いわゆる「黄金町」と呼称される地域の外縁にほぼ相当しているという事実である。鑑賞者は「黄金町バザール」を楽しみながら、同時に、黄金町の内部と外部の境界線を上書きしていたのだ。
この内部と外部の境界線という主題を、最も如実に表現していたのが、太田遼である。太田は建物の戸外に設置されている雨樋を室内に引き込んだ。展示会場の白い床には、薄汚れた水滴の痕跡が重なりながら残されていたから、雨樋として実際に機能しているのだろう。西野達とは違ったかたちで外部を内部に取り込む手並みが鮮やかだが、太田の作品はもうひとつあった。会場の奥の扉を開けると、そこには中庭のような、しかし、用途不明の奇妙な空間が広がっている。建物と建物の背中が合わせられたデッドスペースに、トタン板などを張り巡らせることで、外部でありながら内部でもあるような両義的な空間を作り出したのである。内部と外部の境界線を巧みに編集してきた太田ならではの傑作と言えよう。
今回の「黄金町バザール」は、展示エリアを縮小したことによって、結果として「黄金町」という地域の既存の境界線を強固に補強してしまったように思えてならない。青線地帯という固有の歴史を背負っているがゆえに、外部から隔絶された閉鎖的な街。「黄金町バザール」が、その負の歴史からの脱却ないしは克服を目指しているとすれば、必要なのは「黄金町」の境界線をなぞることではなく、まさしく太田が鮮やかに示したように、内部と外部の境界線を反転させることで、両義的な空間を拡張していくことではなかろうか。「黄金町」でありながら「黄金町」とも限らないような街。アートがまちづくりに貢献できることがあるとすれば、そのような不明瞭な街並みをアートによって見せていくこと以外にないのではなかろうか。

2013/10/09(水)(福住廉)

増山士郎 毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む

会期:2013/10/02~2013/10/13

ArtCenterOngoing[東京都]

アイルランドを拠点に活動している増山士郎の個展。同時期に催されていた「あいちトリエンナーレ2013」で発表した新作と同じ作品を発表した。
新作の概要は、読んで字の如し。一匹の羊の羊毛を刈り取り、紡ぎ出した羊毛で1枚のニットを編み、それを同じ羊に着せるというプロジェクトだ。羊牧場の協力を仰ぎ、アイルランド人のおばあさんたちの教えを請いながら糸車で糸を紡ぎ、編み物を編む。会場には、そうした共同作業のプロセスを記録した映像と、元の羊とニットを着た羊をそれぞれ写した写真が展示された。
ニットを着せられた羊の姿を見ると、どうにもこうにも可笑しみを抑えることができない。ニットの首回りが若干大きすぎるからか、あるいは毛量が増減したわけではないにもかかわらず、全体的にボリュームが圧縮されているからか、いずれにせよ不細工で不格好だからだ。群れに帰っていくその背中には、哀愁が漂っていたと言ってもいい。
だが、こうしたユーモアが、ある種の偏った見方から動物虐待と指弾されかねない危うさをはらんでいることは否定できない。人間の営為のためならまだしも、ただ動物の身体を改造して楽しんでいるようにも見えるからだ。
けれども、改めて画面を見渡してみれば、そもそも羊牧場で飼育されている羊たちの羊毛には、管理のための記号が色とりどりのスプレーで乱暴に描きつけられていることに気づく。今も昔も、人間は家畜に働きかけることによって暮らしを成り立たせてきたのであり、増山が見ようとしているのは、おそらくその働きかけるときの手わざの触感ではなかろうか。スプレーで一気に済ますのではなく、時間をかけて丁寧に紡ぎ、編む、その手わざのリアリティーを求めていたに違いない。
社会の労働環境が工業化され情報化された現在、羊毛産業自体が斜陽になりつつあるという。手わざの手応えやリアリティーは失われ、由来の知れない商品が私たちの暮らしを満たしている。そうしたなか、ユーモアとともに手わざの触感を回復させる増山のプロジェクトには、社会的な批評性が確かに含まれている。

2013/10/05(土)(福住廉)