artscapeレビュー

増山士郎 毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む

2013年11月01日号

会期:2013/10/02~2013/10/13

ArtCenterOngoing[東京都]

アイルランドを拠点に活動している増山士郎の個展。同時期に催されていた「あいちトリエンナーレ2013」で発表した新作と同じ作品を発表した。
新作の概要は、読んで字の如し。一匹の羊の羊毛を刈り取り、紡ぎ出した羊毛で1枚のニットを編み、それを同じ羊に着せるというプロジェクトだ。羊牧場の協力を仰ぎ、アイルランド人のおばあさんたちの教えを請いながら糸車で糸を紡ぎ、編み物を編む。会場には、そうした共同作業のプロセスを記録した映像と、元の羊とニットを着た羊をそれぞれ写した写真が展示された。
ニットを着せられた羊の姿を見ると、どうにもこうにも可笑しみを抑えることができない。ニットの首回りが若干大きすぎるからか、あるいは毛量が増減したわけではないにもかかわらず、全体的にボリュームが圧縮されているからか、いずれにせよ不細工で不格好だからだ。群れに帰っていくその背中には、哀愁が漂っていたと言ってもいい。
だが、こうしたユーモアが、ある種の偏った見方から動物虐待と指弾されかねない危うさをはらんでいることは否定できない。人間の営為のためならまだしも、ただ動物の身体を改造して楽しんでいるようにも見えるからだ。
けれども、改めて画面を見渡してみれば、そもそも羊牧場で飼育されている羊たちの羊毛には、管理のための記号が色とりどりのスプレーで乱暴に描きつけられていることに気づく。今も昔も、人間は家畜に働きかけることによって暮らしを成り立たせてきたのであり、増山が見ようとしているのは、おそらくその働きかけるときの手わざの触感ではなかろうか。スプレーで一気に済ますのではなく、時間をかけて丁寧に紡ぎ、編む、その手わざのリアリティーを求めていたに違いない。
社会の労働環境が工業化され情報化された現在、羊毛産業自体が斜陽になりつつあるという。手わざの手応えやリアリティーは失われ、由来の知れない商品が私たちの暮らしを満たしている。そうしたなか、ユーモアとともに手わざの触感を回復させる増山のプロジェクトには、社会的な批評性が確かに含まれている。

2013/10/05(土)(福住廉)

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