2021年12月01日号
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artscapeレビュー

関東大震災から90年─よみがえる被災と復興の記録─展

2013年11月01日号

会期:2013/10/12~2013/10/20

湘南くじら館スペースkujira[神奈川県]

関東大震災直後に発行された新聞や雑誌、写真集、絵葉書などを見せた展覧会。大変貴重な資料の数々が、決して広くはない会場に所狭しと展示された。関東大震災関連の展覧会といえば、「関東大震災と横浜─廃墟から復興まで」(横浜年発展記念館)や「被災者が語る関東大震災」(横浜開港資料館)、「レンズがとらえた震災復興─1923~1929」(横浜市史資料室)、「横浜港と関東大震災」(横浜みなと博物館、11月17日まで)などがほぼ同時期に催されたが、本展の醍醐味は、展示された資料をガラスケース越しにではなく、肉眼で間近に見ることができるばかりか、部分的には直接手にとって鑑賞することができる点にある。古い資料が発するオーラを体感できる意義は大きい。
そのなかで気がついたのは、当時のメディアが現在とは比べ物にならないほど直接的に震災の被害を伝達していることである。新聞には現在では必ず回避される被災者の遺体を写した写真が掲載されているし、震災で破壊された街並みを印刷した絵葉書も飛ぶように売れたらしい。むろん、当時はメディアをめぐる社会的なコードが未成熟だったことや、そもそもメディアの種類が乏しかったことにもその一因があるのだろう。
けれども、同時にまざまざと実感できたのは、当時の人びとにとって震災は、伝えたい出来事であり、知りたい出来事でもあったという、厳然たる事実である。より直截に言い換えれば、当時の写真家や絵描きたちは、関東大震災によって、身が震えるほど表現意欲を掻き立てられたのだ。展示された資料の向こうには、夢中になってシャッターを切る写真家や、嬉々として絵筆を振るう絵描きたちの姿が透けて見えるようだった。かつて菊畑茂久馬は戦争画を描いた藤田嗣治の絵描きとしての心情を想像的に読み取ったが、それは関東大震災を主題とした写真家や絵描きたちの心の躍動と重なっているのかもしれない。
「私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に慄きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにもかかわらず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする」(坂口安吾「堕落論」)。もちろん震災と戦争は違う。時代も同じではない。けれども安吾もまた、破壊された都市を眼差す心の内側に、同じ熱量を感じ取っていたに違いない。それは、被災者を慮る同情や共感、あるいは復興のための努力や善意とはまったく無関係な、しかし、表現にとっては必要不可欠であり、それゆえ歴史を構築しうる、剥き出しの欲望にほかならない。

2013/10/18(金)(福住廉)

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