artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

アンダーグラウンド

会期:2011/09/24~2011/11/25

シアターN渋谷[東京都]

かつてDVDはおろかビデオテープもなかった時代、シネフィルは固唾を呑んで映画を鑑賞していたという。自宅で再生できるわけではないから、いかなる一瞬も見逃すまいと、スクリーンに穴が開くほど視線を注いでいたそうだ。翻って飛躍的な技術革新を遂げたいま、私たちの視線は当時と比べると明らかに脆弱になっていると言わざるをえない。重要な台詞を聞き逃したとしても、いくらでも再生可能だから、あとで改めて確認すればいいだけの話だ。しかし、それがはたして私たちの文化や芸術を豊かにしたかといえば、そうともかぎらない。容易には見ることが叶わないからこそ「見る」意欲が高まり、ひいては批判的な感受性も敏感になるともいえるからだ。エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』は、DVDが廃盤になって久しく、見返すことが難しい名画のひとつだったが、このたび15年ぶりに上映された。記憶に残っていないシーンがないわけではなかったが、それでもブラスバンドの楽曲に誘われて思わず客席を立って踊りたくなる感覚が呼び起こされるところは15年前とまったく変わらなかった。しかも、ヨーロッパ中に張り巡らされた地下道のネットワークに示されているように、想像力によって歴史を物語る映画のありようがひとつも色あせていなかったところがすばらしい。虚構と現実を織り交ぜながら歴史を綴るという手法は、例えば大浦信行監督による『天皇ごっこ』がそうだったように、単に監督の自己表現というより、「歴史」というフィクションの本質に迫るために必要とされた戦術だったはずだ。であればこそ、私たちは『アンダーグラウンド』で描かれている、歴史をつくるために奔走し、その歴史に翻弄される人間たちの悲喜劇を、深い情動とともに受け止めることができたのである。バルカン半島のみならず、極東の島国が歩んできた歴史を想像的に物語る映画の日の出を待ちたい。

2011/10/24(月)(福住廉)

ニューアート展 NEXT2011 Sparkling Days

会期:2011/09/30~2011/10/19

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

横浜市民ギャラリーの企画展。曽谷朝絵、荒神明香、ミヤケマイが参加した。作品点数の多さと抑揚をつけた会場構成のおかげで、かなり見応えがあった。曽谷は日常的な事物を虹色の色彩で描いた油彩画のほか、室内全体にレインボーカラーのフィルムを張りめぐらせたインスタレーションも発表して、身体を光と色彩に埋没させるような陶酔感を味わわせた。立版古のような立体的な絵画を制作しているミヤケは、他の追随を許さないほどの作品点数で圧倒した。震災をテーマにしたインスタレーションは必ずしも成功しているとはいえなかったが、それでも絵画で描いた世界と絵画を見る世界をリンクさせたかのような会場の作り方がひじょうに効果的で、来場者を巧みに自分の世界に誘いこんでいた。そして荒神は、スパゲティの乾麺を一本ずつ組み合わせることで、空中楼閣のような巨大な都市のジオラマを作り出した。その全体を天井から吊り下げているため、上から見下ろすだけでなく、下から見上げることもできるのが楽しい。大小さまざまな建物、そのあいだをつなぐ階段、さらには塔や山。それらを構成する乾麺という素材が、一定の強度を担保していることは言うまでもない。けれども、現在の都市が一瞬のうちに瓦解してしまいかねないことを知ってしまったいま、ある一定の条件のもとではたちまち強度を失ってしまうという脆弱さの方が際立って見えたのも事実だ。私たちの都市は空中楼閣のように儚くも脆いのかもしれない。荒神のインスタレーションは、現代人が内側に抱えている不安定な都市感覚を的確に視覚化していた。

2011/10/16(日)(福住廉)

内在の風景

会期:2011/09/17~2011/11/27

小山市立車屋美術館[栃木県]

日豪8人によるグループ展。照明の効いた館内のほか、照明のない土蔵や、敷地内に隣接する登録有形文化財の「小川家住宅」の屋内にも作品が展示された。なかでも際立っていたのは、サンフランシスコ・ジャイアンツのホームスタジアムを廃墟として描いた元田久治のリトグラフと、白い壁面に白い砂糖で植物を描いた佐々木愛。いずれも想像的な風景を描いた作品だが、廃墟を克明かつ現実的に描いた版画と、白い支持体に白いメディウムで描いた茫漠とした壁画という点で、それぞれ好対照だった。和洋折衷の様式美を堪能できる小川家の建築もおもしろい。

2011/10/14(金)(福住廉)

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篠山紀信「Before-After」

会期:2011/09/10~2011/10/22

hiromiyoshii roppongi[東京都]

篠山紀信の写真展。ヌードの女性たちを明暗、陰陽、清濁などの二項対立によって撮影して、それらを2点一組にして展示した。一見して気がつくのは、明るい写真に篠山の「らしさ」が存分に表われているのに対して、暗い写真には不自然なほどのあざとさがあるということ。果物の果汁を血飛沫のように見せたヌード写真などには、どこかで見たような既視感が漂っているし、とりわけエロスも感じられない。その反面、3人のヌードモデルが無邪気に笑いながらじゃれあう写真には、乾いた虚無感と狂ったエロスが充溢している。後者の路線を猛進していけばよいものの、なぜ前者との両輪を選んだのか、ほとほと理解に苦しむところだ。そうした二項対立の図式に則ることが「アート」の条件であると考えているのかもしれないが、わざわざ暗い写真に挑戦しなくとも、篠山紀信の明るい写真にはすでに「アート」が内在しているのではないだろうか。

2011/10/13(木)(福住廉)

彫刻の時間─継承と展開─

会期:2011/10/07~2011/11/06

東京藝術大学大学美術館[東京都]

東京藝術大学美術学部彫刻科による企画展。同大学が所蔵する仏像や彫刻を中心に、同大学の教員による彫刻作品もあわせて約100点を展示した。なかでも見どころは、平櫛田中と橋本平八の作品が公開されていること。後者については「橋本平八と北園克衛」展(世田谷美術館、2010)があったが、前者とあわせて見る機会はなかなかない。両者による木彫彫刻がずらりと立ち並んだ展示の風景は圧巻だ。すべての輪郭線が明瞭な平櫛の彫刻と、柔らかな曲線で構成された橋本のそれはじつに好対照。天心や芭蕉、良寛など、おもに実在の人物(おおむね男性)を写実的に造形化した平櫛の彫刻は、リアルな再現性を重視する現在の彫刻家や造形師にとっての回帰点になりうるだろうし、猫や馬などを柔らかな曲線によって彫り出し、その内側にただならぬ気配を感じさせる橋本の彫刻も、超越性や神秘性を体感させる昨今の彫刻ないしはインスタレーションに、大きな示唆を与えるはずだ。平櫛田中と橋本平八を大いなる原点として、彫刻の歴史が展開していったことを如実に物語る展観だった。

2011/10/13(木)(福住廉)

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