artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

ジョセフ・クーデルカ プラハ1968

会期:2011/05/14~2011/07/18

東京都写真美術館[東京都]

1968年8月20日、当時のソ連が中心となったワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアの国内に侵攻し、全土を掌握した。本展は、プラハ市民による抵抗の模様を記録した写真展。路上で歩哨に立つ兵士を取り囲む婦人、大通りを進む戦車の隊列、そして群集で埋め尽くされた広場。クーデルカのモノクロ写真は、それらが紛うことなく写真であるにもかかわらず、いやだからこそというべきか、抗議の肉声や戦車の排気音が聞こえてくるように感じられるし、群集の熱を帯びた人いきれすら体感できる。まさしくストリートの写真である。とりわけ、鑑賞者の想像力を大いに刺激したのが、市民と兵士のあいだで交わされた言葉の数々だ。むろん、そこで具体的にどんな言葉がどんな言語で交換されたのか知るよしもない。しかし、被写体に極端に近接した写真からは、そこでさまざまな言葉が生み出され、戦車の兵士に届けられている様子が明らかにうかがえる。「圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉」(加藤周一「言葉と戦車」)の対峙を的確にとらえた写真である。

2011/07/02(金)(福住廉)

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吉行耕平 The Park

会期:2011/06/29~2011/07/18

BLD GALLERY[東京都]

これはおもしろい。赤外線フィルムで夜の公園の模様を撮影した写真で、カップルによる愛の行為や、それを覗き見る男性の群れ、さらには男性同士が戯れる光景を映し出している。いずれも背後から撮影しているが、おもしろいのは徐々に被写体との距離が近づいてゆき、やがて至近距離まで接近するところだ。カメラマンとしての客観的な立ち位置が、いつのまにか覗き見集団の一員にまでポジショニングを移動させていくといってもいい。ここにあるのは、外部の視点をもって内部に潜入するフィールドワーカーが直面しがちな、対象と同一化する寸前で辛うじて身を引き離す、独特の緊張感だ。それは、たとえば石川真生や森山新子の写真にも通じる特質だが、これらの写真家に共通するのは撮影の方法論だけではない。それ以上に、「ルポルタージュ」というより「体当たり」という言葉がふさわしい手法による写真そのものに、肉体の手触りや温もりが感じられるというところに大きな特徴があるのだ。これは、無機質な光と色彩によって代表される昨今の写真にはほとんど見受けられないアナクロニズムなのかもしれないが、かりにそうだとしても擁護しなければならないのはこちらのほうだ。なぜなら、肉体が内側から破壊される潜在的脅威を多くの人びとが抱えてしまった今、実在の根拠としての肉体に、これまで以上に関心が集まっているからだ。

2011/06/30(木)(福住廉)

メタルヘッド

会期:2011/06/25

シアターN渋谷[東京都]

芸術の本質とは何か。そのひとつが常識的な基準を超越する非日常的な価値にあるとすれば、本作で描かれているヘヴィメタ野郎、ヘッシャーはまちがいなくアーティストである。破天荒な風来坊、もっと平たくいえば、かなりヤバいやつ。主人公の少年の自宅に突然押しかけて居座るばかりか、家族のデリケートな問題にズカズカと入り込み、挙句の果てに少年を車で跳ね飛ばしてゲラゲラ笑うありさまには、悪魔とスレスレの魅力があふれている。その怪しい魅力を存分に描きながらも、同時にその背後に魂の喪失感や虚無感をあぶり出し、それを子どもであろうと大人であろうと、男であろうと女であろうと、本作の登場人物たちに共通する精神的な痛みとして示しているところに、本作ならではの大きな特徴がある。あるいは、へヴィメタルというジャンルには、そうした二重性が本来的に備わっているのかもしれないが、仮にそうだしても、やはりそこにこそ芸術という価値を与えるべきである。なぜなら、登場人物たちが内側に抱えている暗い喪失感は、いま私たちがその取り扱いに苦慮している痛みとまちがいなく通底しているからだ。同時代のアートとして評価するべき映画である。

2011/06/29(水)(福住廉)

アリス・クリードの失踪

会期:2011/06/11

ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]

たった3人しか登場しないクライム・サスペンス。誘拐犯の男2人組みと、誘拐された女が、それぞれを騙し、騙されながら二転三転する物語の展開がたいへん小気味よい。映画というより戯曲の印象が強いという点では、タランティーノの映画『レザボア・ドッグス』というべきか、あるいは3人だけの応酬で物語を綴るという点では、中江兆民の『三酔人経論問答』というべきか。いずれにせよ、三人寄れば文殊の知恵というわけではないが、少なくとも3人そろえば世界は成立するのではないかと思わせるほど、よくできた物語映画である。

2011/06/29(水)(福住廉)

堀内誠一 旅と絵本とデザインと

会期:2011/04/23~2011/06/26

うらわ美術館[埼玉県]

『anan』や『POPEYE』、『BRUTUS』のアートディレクションで知られる堀内誠一の本格的な回顧展。ADから絵本、ミニコミ誌、アエログラム(航空書簡)など、堀内の幅広い手仕事をていねいに振り返る構成で、非常に見応えがあった。図案家の父、治雄が師事していた多田北烏が主宰する「サン・スタジオ」に毎日新聞の美術記者、船戸洪吉が所属していたことや、堀内が14歳で入社した新宿伊勢丹百貨店で「原子力展」(読売新聞社主催、1954年8月12日〜8月22日)の広告やディスプレイを手がけたことなど、あまり知られていない事実を知ることができたのも大きい。雑誌誌面のカラーコピーを壁に貼りつけた展示はいかにも粗雑で貧相だったが、旅の絵手紙とともに現地で購入した玩具や土産品もあわせて展示するなど、遊び心を生かした展示手法も随所で見られた。なにより瞠目させられたのは、バラエティ豊かな絵本の数々。一冊一冊、内容にあわせて絵筆のタッチを変えており、堀内による華々しいクリエイションは確かな手わざによって支えられていたことがうかがえた。この描写の多様性は、たとえば河村要助の描写がおおむね単一性によって一貫していたことと比べると、よりいっそう際立って見えるにちがいない(「河村要助の真実」展、クリエイションギャラリーG8、2011年4月23日〜5月20日)。細かい情報とともに手描きで描き起こした絵地図や旅先から友人に宛てたアエログラム、滞在先のパリで自主的に発行していたミニコミ誌にも、その手わざの才覚が十分に発揮されていたから、やはりこのフリーハンドによる描写力こそ、堀内誠一の真髄なのだろう。

2011/06/26(日)(福住廉)

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