artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

世界制作の方法

会期:2011/10/04~2011/12/11

国立国際美術館[大阪府]

おもに70年代生まれの日本人アーティスト9組を集めた展覧会。アートが個人的な表現にもとづいている以上、それぞれにとっての「世界制作の方法」が開陳されたことは言うまでもないが、なかでももっとも強い印象を残したのが、クワクボリョウタ。暗がりのなかを鉄道模型が走るインスタレーションを発表した。列車の先頭に小さなLEDライトを組み込んでいるため、列車の進行とともに線路の周囲に配置された日用品の影が展示会場の壁を次々と走ってゆく。洗濯ばさみや色鉛筆、ザル、ゴミ箱などの小さな物体の影が、壁面に大きく映し出されて、やがて消えていく光景は圧倒的に美しい。空間全体に影が移ろっていくから、まるでその電車の車窓から影の世界を見上げているかのように錯覚するほどだ。しかも、線路と街並みのミニチュアは入念に計算されて設置されているのだろう、影の風景がドラマティックに展開するところが、なんとも心憎い。100均で購入できるような日用品を使うアーティストは数多いが、それらをこれほどまでに美しく活用するアーティストは数少ない。しかし、このように身の回りにある素材で現実を空想に反転させる「世界制作の方法」は、じつは誰もが幼少時に試みたはずであり、おそらくは古来から人間が繰り返してきた遊戯=想像力=芸術だったようにも思う。クワクボリョウタの作品が映し出していた影の裏には、そうした原点から離れてしまった「現代アート」ないしは「メディアアート」が隠れているかのようだった。

2011/11/25(金)(福住廉)

梅田哲也 展 小さなものが大きくみえる

会期:2011/11/12~2011/12/04

新・福寿荘[大阪府]

梅田哲也といえば、日用品や廃品を再構成することで、かすかな音やひそやかな美を見せる作品で知られるが、今回の展覧会でそれが必ずしも小さな感動に限られているわけではないことを、新たに知った。会場は、大阪の下町と山の手のちょうど境目の斜面に立つ古いアパート。昔ながらの古い街並みを侵食するジェントリフィケーションを目の当たりにさせられる、文字どおりの瀬戸際だ。中へ入ると、天井の随所から細い紐がぶら下がっている。引くとわずかに手ごたえがあるが、特別な音が出るわけではないし、何かが動き出すわけでもない。訝しく思いながら押入れに設えられた小さな階段を上がると天井裏に抜けるが、そこで「なるほど!」と合点がいった。暗闇の底に広がっていたのは、数々の照明器具。誰かが下で紐を引くと、さまざまな色の灯りが点滅するという仕掛けだ。夜の海できらめく夜光虫のような光景がなんとも美しい。天井裏の一角からスロープを降りると、アパートの外部へ出た。側壁をぶち抜いてスロープを天井裏まで延ばしてしまったわけだ。いくら古いとはいえ、アパートの空間全体を大胆に再構成する発想に驚かされた。小さな光や音といえども、その背景を思い切って改造することで、大きな感動を呼ぶことがある。その原則は、同時期に神戸アートビレッジセンターで催された個展で発表された、会場の壁を持ち上げる作品や大量の羽毛を扇風機で巻き上げる作品などにも一貫していた。地域におもねることなく、自らの表現を最大限に開示する身ぶりが潔い。一時的とはいえ、この大胆不敵な展覧会が催されたことこそ、地域への貢献というべきだろう。

2011/11/25(金)(福住廉)

榎忠 美術館を野生化する

会期:2011/10/12~2011/11/27

兵庫県立美術館[兵庫県]

「エノチュー」こと、榎忠の本格的な回顧展。銃器や薬莢をモチーフとしたインスタレーションをはじめ、全身の体毛を半刈りにしてハンガリーに行くパフォーマンスの記録写真および映像、研磨した金属部品をひとつずつ積み上げ未来都市のような造形をつくり出すインスタレーションなど、榎の代表的な作品がひととおり展示された。ただ、一つひとつの作品はそれなりに見応えがあったにせよ、全体的には中庸かつ堅実な構成で、若干の物足りなさを覚えたのも事実だ。それは「美術館を野生化する」という勇ましいフレーズが、榎の作品の「野生」を過剰に煽る一方で、じっさいは「榎忠の野生を美術館化する」ともいうべき展観だったことに由来しているのかもしれない。監獄のような美術館が榎の野生を飼い慣らしてしまったことは想像に難くない。けれどもその一方で、じつは榎の作品の方に、美術館と親和性の高い要素が内蔵されていたと考えられなくもない。というのも、本展で展示された鉄彫刻のうち、とりわけ近作の一部には、明らかにもの派からポストもの派にいたる立体表現への批判的な言及が垣間見えたからだ。具体的に言えば、先端を溶かした円筒状の黒い鉄を床に転がした《SALAMANDER》は、木を炭化するほど燃焼させる遠藤利克を、立方体の鋼鉄を重機で溶かし潰した《BROOM》は、鉄の塊をハンマーで打ち続ける多和圭三を、それぞれ直接的に連想させた。双方の作品にあるのは、既存の美術史を機械の力で一撃するかのような批判性だが、その代わり美術史に脇目もふらずに躍動する野生は失われていたといってよい。この立ち位置の微妙な変化が何を意味しているのか、いまはまだわからないが、今後発表されるであろう新作で、それが判明することを期待したい。

2011/11/25(金)(福住廉)

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トロールの森

会期:2011/11/03~2011/11/23

都立善福寺公園とその周辺[東京都]

10周年を迎えた野外の展覧会。善福寺公園のそこかしこに16人のアーティストによる作品が展示され、あわせて会期中に8組のユニットやグループによるパフォーマンスも発表された。ひときわ異彩を放っていたのは、ヤック・ピーターズ。廃材を組み合わせてつくった小さな映画館でストップ・モーション・アニメーションを見せた。公園の一角に建てられた小屋をのぞくと、内部に小さなスクリーンとプロジェクターが設置されていて、来場者が訪れるたびに、自作の音楽を伴った映像が上映されるという仕掛けだ。映像そのものはイメージが次々と変容しながら連鎖していく中庸なものだが、おもしろかったのはアーティストの身ぶりと佇まい。映像が終わると、なぜか唐突に歌を歌いだした。どんな詩を歌っているのかわからなかったし、それが映像と関係しているのかも定かではなかったが、おそらく歌も作品の一部なのだろう。来場者をもてなすホスピタリティーと、ありあわせの材料で作品を構成するブリコラージュ。ヤック・ピーターズはアーティストが本来的に旅芸人であることを、身をもって表現していたようだった。

2011/11/23(水)(福住廉)

サウダーヂ

会期:2011/10/22~2011/11/25

ユーロスペース[東京都]

山梨県甲府市を舞台にした群像劇。土方と移民とラップを中心に、薬物、売春、差別、政治、経済、労働などの社会的問題を巻き込みながら、出口のない閉塞感と空洞感を描き出す。画面の随所に現われるのは、シャッター通りと化した商店街や、さまざまな移民コミュニティ、そして国粋化してゆく若いラッパーたち。疲弊した地方都市の暗部を淡々と見せつけるリアリズムが凄まじい。この映画で描かれているような、周縁に追いやり、追い詰め、やがてほんとうに消してしまうほど人間を逼迫させる社会は、一昔前までであればどこか遠い国の過酷な現実として受け止めていたが、いまはちがう。程度の差こそあれ、グローバリズムのしわ寄せは、いまや日本中の街という街に及びつつあるからだ。しかも、一向に出口が見えないがゆえに、アルコールや薬物に救いを求め、安全な自室に閉じこもり、外国への逃避を画策し、やり場のない攻撃性を身近な他者に向けるというあがき方も、おそらく現代社会に顕著な病なのだろう。安易な希望や処方箋を示すことなく、感傷的な文学性に流されることもなく、徹底して地方都市と人間の模様を粘り強く描いた、おそろしい映画である。

2011/11/21(月)(福住廉)