artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

ミツバチの羽音と地球の回転

会期:2011/02/19

ユーロスペース[東京都]

原発の問題に一貫して取り組んでいる鎌仲ひとみ監督によるドキュメンタリー映画。山口県の上関原発計画に反対する祝島の島民たちの暮らしを丁寧に描きながら、脱原発の方針のもと自然エネルギー社会にシフトしつつあるスウェーデンの事例を紹介する展開が小気味よい。反対運動を粘り強く繰り広げる島民に向かって、電力会社は島の貧しい暮らしを原発によって救済してやるという旨の言葉を吐いているが、東日本大震災を経た今となっては、このレトリックは完全に破綻してしまった。それでもなお原発の維持をもくろむ勢力は、脱原発の運動に「代替案を示せ」と迫るが、具体的な代替案はこの映画に凝縮して描かれている。世話をしてやるという顔をしながら近づいてくる怪しいやつには、思い切って「大きなお世話だ」と言ってやろう。

2011/06/15(水)(福住廉)

キッズ・オールライト

会期:2011/04/29

TOHOシネマズシャンテ[東京都]

レズビアンのカップルが同じ男性から精子提供を受けてそれぞれ出産、その息子と娘の4人で構成された家族の物語。設定からして複雑きわまるが、ここにドナーの男性が介入してくることによって、家族が分解するほどの亀裂が生じ、さらに問題が込み入ってくる。ところが、この映画がおもしろいのは、深刻で複雑な問題を抱えながらも、ユーモアによって軽く脱力させるポイントを随所に忍ばせているところだ。つい欲望に負けてしまう哀しい性や悪気もなく口の悪い言葉を吐く無邪気な感性。特殊な人間性というより、身に覚えのある心理だからこそ、観客は笑い飛ばすことができる。あえて物語の緊張を解きほぐすような仕掛けを用意しているところに、核家族の狂気をただ深刻に描くことに終始しがちな日本の家族映画とは異なる素地を見たような気がした。

2011/06/14(火)(福住廉)

6.11新宿・原発やめろデモ!!!!!!!

会期:2011/06/11

新宿一帯[東京都]

4月10日の高円寺、5月7日の渋谷に続く、「原発やめろデモ」の第三弾。3月11日からちょうど3か月のこの日、全国各地でいっせいに脱原発デモがおこなわれたが、新宿では2万人が集まり、西新宿から歌舞伎町などを3時間以上かけてゆっくりと練り歩いた。日本随一の繁華街を舞台としていたせいか、高円寺や渋谷と比べて街の反応は独特の緊張感を伴っていたが、それでも参加者たちは原発への違和感や拒絶感を路上から粘り強くアピールした。この日のデモのクライマックスは、ゴール地点となった新宿アルタ前。大量の警察官が囲い込むなか、デモの参加者も野次馬も混然一体となった群集が形成され、この広場はある種非日常的な、騒然とした空気に包まれた。ドラムサークルが絶え間なく激しいビートを刻み、アクティヴィストやミュージシャンらが車上からスピーチや音楽を披露し、それらを大勢の聴衆が熱心に聞き入っていた。学生運動やアングラ文化が盛り上がっていた頃の新宿もこんな雰囲気だったのだろうか。だからといって無法地帯と化していたわけでは決してなく、聴衆は群集ならではの熱を肌で感じながらも、きわめて冷静に集会を楽しんでいた。やがて主催団体のひとつである「素人の乱」の松本哉と山下陽光がアルタの巨大なオーロラ・ヴィジョンを指差すと、その壁面にはプロジェクターで投影された「NO NUKES」という文字が躍り、続いて日本政府への5つの要求が映し出された。すなわち、「稼働中の原発の停止」「定期検査等で停止している原発を再稼動しないこと」「原発の増設中止」「児童の許容被曝量20ミリシーベルト/年の完全撤回」「原子力発電から自然エネルギー発電への政策転換」。政治家に何も期待することができず、イタリアのように国民投票という意思表明の機会にすら恵まれていない私たちにとって、このプロジェクションはみずからの欲望や意思を重ねて投影することができる貴重な表現形式だった。この集会を締める際、司会を務めた山下陽光が「おれたちがエネルギーだ」という言葉とともに全員でジャンプすることを提案したが、これもプロジェクターと同じように集団で共有できる表現形式のひとつだった。デモだけが集団的な表現形式であるわけではない。身体や技術、言葉、音楽を動員することによって、今後も次々と新たな形式が開発されていくだろう。いまだにデモとアートを切り離す傾向があるが、ここには間違いなくアートの問題が含まれているのである。

2011/06/11(土)(福住廉)

文士の肖像

会期:2011/04/25~2011/07/01

ノエビア銀座ギャラリー[東京都]

昭和を代表する写真家である濱谷浩、林忠彦、田沼武能が文士を撮影した肖像写真を見せる展覧会。小規模とはいえ、同じく昭和に活躍した文士の肖像写真はいずれも味わいのあるものばかりで見応えがあった。その味が撮影の技術に由来しているのか、それとも被写体となった文豪たちの顔の造作や所作の美しさに起因しているのか、よくわからなかったが、おそらく両方が混在しているのだろう。写真の傍らに添付された撮影時のエピソードを綴ったテキストも、その味わいによりいっそう深みを増していたようだ。自宅の玄関口にかけた札に「世の中で人の来るこそうれしけれ、とはいふもののお前ではなし」と記した内田百聞の言語的感性こそ、無駄口だけで安易に他者とつながりたがり、自己目的化したコミュニケーションに現を抜かしている現代人に、もっとも欠落した品性である。言葉の密度を取り返したい。

2011/06/09(木)(福住廉)

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プレビュー:田中さんはラジオ体操をしない

会期:2011/07/02

新宿K’s cinema[東京都]

会社から強制された始業前のラジオ体操を拒否して解雇されて以来、会社の正門前で抗議活動を続けている田中哲朗さんに密着したドキュメンタリー映画。監督はマリー・デロフスキー。「抗議」というと、悲壮感が漂う深刻な表現形式を連想しがちだが、田中さんのそれはギターを演奏しながら歌を唄ったり、その正門前の電柱に自ら主宰する音楽教室の広告を掲示するなど、ユーモアのなかに若干の皮肉を込めた闘い方が小気味よい。親子の問題や株主総会における闘争など疑問に思う点がなくはなかったが、田中さんが闘っている集団的な同調主義が企業社会のみならず日本社会の全体にはびこる鵺(ぬえ)であることを思えば、これを考察の対象としてはっきりと映像化した意義は大きい。7月2日より新宿K’s cinemaほかで公開。

2011/06/03(金)(福住廉)