artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

『イヴ・サンローラン』

会期:2011/04/23

ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]

2008年に亡くなったイヴ・サンローランのドキュメンタリー映画。公私共にパートナーだったピエール・ベルジュによる回想をとおしてイヴ・サンローランのクリエイションの真髄に迫る。私邸を彩る数多くの美術品に瞠目させられたことはたしかだが、しかしデザイナーとしてのイヴ・サンローランを孤絶感に集約する演出はいかにも凡庸で、耽美的な音楽も単調極まりない。ファッションやアートにかぎらず、あるいは非言語表現や言語表現にかぎらず、何かのものを創り出すクリエイションとは、本来的に孤独であることは誰もがすでに体験的に知っているのだから、それをいまさら強調されても困ってしまう。それゆえ、映画をとおして浮き彫りになるのは、イヴ・サンローランへ注がれたピエール・ベルジュの愛だけであり、あまりにも一方的な愛の告白が映画の全編にわたって満ち溢れていることを思うと、これはむしろピエール・ベルジュのドキュメンタリー映画というべきかもしれない。

2011/04/27(水)(福住廉)

アール・ブリュット・ジャポネ展

会期:2011/04/09~2011/05/15

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

昨年、パリのアル・サン・ピエール美術館で開催されたアール・ブリュット展の日本凱旋展。障害の有無にかかわらず、美術教育を受けていないことを基準にして選出された国内のアーティスト63人が参加した。ほとんどの作品に共通しているのは、アール・ブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれる美術表現の多くがそうであるように、ひじょうに明快な独自のルールにしたがって物質を造形している点だ。たとえば平岡伸太は小学生用の国語プリントに設けられた解答欄に似顔絵と芸能人の名前を書き込んでいるが、そこに駄洒落のような言語ゲームが働いていることは一目瞭然である。「深田恭子さん」からは「深津絵里さん」が、「唐沢寿明くん」からは「桜井和寿くん」が、それぞれ連想されているが、おもしろいのはこの言語ゲームがしだいに複雑に展開していくことだ。「太平洋」から「勝野洋くん」が引き出されるのはまだしも、「畑野浩子さん」から「野菜」が、そして「日本一」から「藤本美貴」が連なっているのを見ると、高度に発展したルールに驚きを禁じえない。けれども、ルールを自分で作り上げ、その妥当性を世に問うことは、アール・ブリュットの特質というより、むしろあらゆる芸術的行為に通底する原型なのではないか。

2011/04/26(火)(福住廉)

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岡本光博 BATTAMON forever

会期:2011/04/17~2011/05/01

GALLERY CN[神奈川県]

昨年、神戸ファッション美術館で催された「ファッション奇譚」展に出品された岡本光博による《バッタもん》。某ブランドからのクレームにより会期中に会場から撤去させられたが、その後大阪での「BATTAMON returns」(2010年11月6日~2010年11月27日、CAS)を経て、このほど藤沢のギャラリーに巡回し、東日本でのお披露目となった。贋物を意味する「バッタもん」と昆虫のバッタを掛け合わせたセンスが光っているのはもちろん、バッタの表面にはブランドバッグのラグジュアリー感が醸し出され、ロゴをそのまま目玉に援用するなど小技も効いている。セレクトショップのような空間の質も、《バッタもん》の逆説的なアウラを巧みに照らし出していたようだ。

2011/04/20(水)(福住廉)

画家たちの二十歳の原点

会期:2011/04/16~2011/06/12

平塚市美術館[神奈川県]

日本近現代の画家たちが二十歳前後に描いた絵画を集めた展覧会。黒田清輝をはじめ青木繁、草間彌生、石田徹也など54人が油彩画を中心に発表した。誰もが若かりし日の日記を読み返すことを躊躇するように、二十歳の感性とはおおむね「無知と恥」と同義である。しかし日記とちがって、どうやら絵画の場合はそうでもないらしいことに、本展を見てはじめて気づかされた。村山槐多の《尿する裸僧》は、手をあせて拝みながら立ちションする裸僧を描いているが、おどろおどろしい色彩も相俟って、パンク的な暴力性を先取りしているように見えるし、会田誠や山口晃は青春期の反骨精神を、かたちを変えながらも、それぞれ今も持続させていることがよくわかる。とりわけ注目したのは、森村泰昌。鮮やかな青色を中心に構成された平面作品は、色彩とかたちによって対象を分解しながら再構成した立派な抽象画で、現在の著名人や芸術家に扮するポートレイトの作品とは似ても似つかない。これをあえて見せてくるところに、「青い時代」をためらうことなく振り返ることのできる芸術家の強さがある。もしかしたら、この強靭な精神こそ、芸術家の条件なのかもしれない。

2011/04/20(水)(福住廉)

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江戸民間画工の逆襲

会期:2011/04/02~2011/05/08

板橋区立美術館[東京都]

同館の所蔵品を見せる展覧会。酒井抱一、鈴木其一、司馬江漢、加藤信清、歌川広重、月岡芳年など56点が、幕府御用絵師の狩野派に相対する「民間画工」として位置づけられて展示された。大きな特徴は、お座敷コーナー。36枚の畳を敷き詰めた大広間に、河鍋暁斎の《龍虎図屏風》や英一蜂の《士農工商図屏風》などをそのまま置いて見せた。ガラス越しに眼を細めて鑑賞する通常の鑑賞法とは対照的に、珠玉の屏風絵を間近に座布団に座りながら心ゆくまで堪能できる仕掛けが心憎い。ただ、この露出展示という方法が、市井の人びとによって楽しまれた「民間画工」という文脈を効果的に際立たせていることは十分理解できるにしても、その一方でいくぶん中途半端な印象も否めなかった。というのも、せっかくここまで空間をつくり込んだにもかかわらず、照明には一切工夫が見られなかったからだ。屏風絵が生きていた空間を忠実に再現するのであれば、思い切って館内の照明を落とし、行灯のおぼろげな光だけで鑑賞させるべきだったように思う。むろん江戸時代には「電力」も「美術館」もなかったのだから、江戸の空間を完全に甦らせることはどだい無理があるのかもしれない。けれども、現代社会を代表する両者がいずれも隘路に陥っていることを思えば、いっそのこと「江戸」にあわせて「電力」と「美術館」のかたちを内側からつくり変えていくことも考えるべきではないか。社会革命や文明批判のためだけではない。そのほうが、「作品」がよく映えるに違いないからだ。

2011/04/16(土)(福住廉)

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