artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
鹿島茂コレクション1 グランヴィル──19世紀フランス幻想版画展
会期:2011/02/23~2011/04/10
練馬区立美術館[東京都]
仏文学者の鹿島茂のコレクションを紹介する企画展。フランスの幻想版画家、グランヴィルによる挿絵がまとめて展示された。石版画の多くは世情を風刺したもので、動物を擬人化した図像によって、その風刺の力を効果的に引き立てていた。《大自由狩り》(1832)という石版画は、下半身は人間だが、上半身は「LIBERTE」というそれぞれのアルファベットに化した生き物を、軍隊がライフル銃や大砲で狙い撃ちにする光景を描いたもの。社会風刺の伝統を忘れつつある日本のクリエイターにとっては、見習うところが多い作品である。
2011/04/10(日)(福住廉)
田中偉一郎 個展「平和趣味」
会期:2011/03/05~2011/04/16
田中偉一郎の新作展。ブランコを勝手に組み換える《公園革命》シリーズや、民芸品をもとにした《民芸ロボ》シリーズなど、田中の偉才を遺憾なく発揮した、(いい意味で)くだらない作品ばかりで、安易に社会性やメッセージ性へと偏らない潔さもすばらしい。なかでも秀逸だったのが、《ラジオ体操アドリブ》。公園で行なわれているラジオ体操に紛れ込み、周囲と同じように音楽に合わせながらも、滅茶苦茶な身体運動をアドリブで披露した映像作品だ。身体動作をラジオ体操と同一化させないことを命題としつつも、時折垣間見せるシンクロの瞬間や、わずかな躊躇によって一瞬生まれる変な間が、なんともおかしい。
2011/04/07(木)(福住廉)
わたしを離さないで
会期:2011/03/26
Bunkamura ル・シネマ[東京都]
自らに課せられた宿命を静かに受け入れること。あるいは、無常の風に逆らうことなく、儚い諦念とともに理不尽な死を迎え入れること。沢木耕太郎が的確に指摘したように、本作は英米映画であるにもかかわらず、じつに日本的な印象を感じさせる映画である。臓器移植やクローン技術といったテーマが物語に独特の緊張感を与えているが、登場人物の若者たちは不当な運命に抗うこともないまま、物語は淡々と進行する。その静かな佇まいは、一見するとあまりにも非人間的な身ぶりに見えなくもないが、しかしキャリー・マリガン演じる主人公が好意を寄せる幼馴染の男を親友に横取りされるなど、甚だ人間臭いドラマがないわけではない。けれども、それにしても親友から男を奪い返すことはなく、ただひたすらじっと耐えるだけなのである。抵抗や闘争、あるいは反逆の欠如。すべてを受容する寛容性と困難を耐え忍ぶ忍苦の精神。このような「日本的」とされがちな特質は、欧米の風土からすれば奇特な美しさに見えるのかもしれない。しかし、現在まさに原発の危機に襲われている当事者の視点から見ると、多少の苛立ちを覚えないでもない。不幸の要因を宿命に帰着させたところで、状況は少しも改善しないばかりか、むしろ決定的な破滅を招き寄せかねないことは明らかだからだ。この映画の若者たちも運命に抗わないわけではない。ただし、一抹の希望があっけなく途絶えてしまうと、それ以上の抵抗を展開することはなく、ただ悲痛な絶叫を繰り返すだけなのだ。ほんとうに悲しいのは、抵抗の身ぶりや拒否の意思を自ら内側に封じ込めてしまうことである。これを「美しい」なんて言うな。
2011/04/05(火)(福住廉)
ベッティナ・ランス写真展
会期:2011/03/26~2011/04/24
CHANEL NEXUS HALL[東京都]
ベッティナ・ランスによる写真展。2005年に撮影された「Héroïnes」シリーズから23点のポートレイトが展示された。オートクチュールのドレスをリメイクした衣装をまとったモデルはすべて違うものの、いずれの写真にも共通しているのは石室のようなロケーション。無機質で寒々しい空間が、最先端の服飾と磨き上げられた身体を冷たく照らし出している。ところが、一般的なファッション写真と違い、どこかで奇妙な違和感を覚えるのは、おそらく彼女たちの身体の細部にわずかな傷や汚れが残されているからだろう。石室の粉塵だろうか、手足の指先は灰色に塗り上げられたままで、ところどころに小さな擦り傷も目視できる。嘘と加工を重ねながら美を極限まで追究するファッション写真をちょうど裏返しにしたような写真だ。
2011/04/02(土)(福住廉)
加藤芳信 展
会期:2011/03/22~2011/04/02
ギャラリー川船[東京都]
「点を打ち続けて40年」、加藤芳信の個展。主に80年代に制作された点描によるモノクロームの細密画と、柔らかな曲線による木彫作品などを展示した。一口に点といえども、その形態はさまざまで、墨のかたちと濃淡を使い分けながら、画面に独特のマチエールを生んでいることがわかる。点描という手法はえてして画面に偏執的な内向性をもたらすものだが、加藤のそれは同時に果てしない外向的な拡がりを感じさせるところが大きな特徴だ。艶めかしさを感じさせる木彫は、空間を支配する強いフォルムを獲得しながらも、ぽっかり空いた穴の内奥に誘い込まれるようなエロスを覚えさせる。
2011/04/02(土)(福住廉)