artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

渡辺淳の世界─スケッチ・静物・広告・報道─

会期:2014/12/02~2015/12/24

JCII PHOTO SALON[東京都]

渡辺淳(1897~1990)は千葉県長生郡の天台宗の寺院に生まれ、写真館での修行を経て、シンガポールやインド・カルカッタで写真家として活動した。1920年に帰国後、中島謙吉が主宰する『芸術写真研究』誌への寄稿を中心に芸術写真家として活動するようになる。大正末から昭和初期にかけて発表された渡辺の作品は、まさに同時期の「芸術写真」の典型というべき作風であり、「雑巾がけ」(印画紙にオイルを引き、油絵具で彩色する手法)、「デフォルマシオン」(印画紙を撓めて引き伸ばしたプリント)といった技法を高度に駆使したものだった。「裸婦」(1926年)、「冬」(1927年)、「二階の女」(同)などの代表作は、これまでも多くの展覧会に出品され、写真集にも収録されている。
だが一方で、渡辺は1927年頃から、シンガポールで知り合った山端祥玉が創設した写真通信社、ジー・チー・サン商会に勤め、報道写真や広告写真の分野にも意欲的に取り組んでいた。今回のJCII PHOTO SALONでの回顧展では、写真の表現領域を大きく広げていった1920~40年代の渡辺の仕事にスポットを当てることで、むしろ彼の芸術写真家としての初心がどのように保ち続けられていったのかを丁寧に浮かび上がらせている。なお、キュレーションを担当した白山眞理は、2014年10月に『〈報道写真〉と戦争』(吉川弘文館)を上梓したばかりである。戦中・戦後の「報道写真」のあり方を見事に跡づけたこの労作をあわせて読むと、渡辺の写真の時代背景に対する理解がより深まるだろう。

2014/12/07(日)(飯沢耕太郎)

石川竜一「絶景のポリフォニー」

会期:2014/12/03~2014/12/16

銀座ニコンサロン[東京都]

赤々舎から写真集『絶景のポリフォニー』と『okinawan portraits 2010-2012』を同時に刊行し、2014年11月には東京・渋谷のATSUKOBAROUHと新宿のPlace Mで個展を開催した石川竜一は、いま最も勢いを感じる若手写真家だ。その彼の写真展が、銀座ニコンサロンで開催された(2015年2月5日~11日に大阪ニコンサロンに巡回)。
1984年、沖縄県出身の石川は、高校時代にボクシングに打ち込み、2008年からは、しば正龍に師事して前衛舞踏を学んでいるという。つまり身体性を起点とした写真撮影のあり方が、文字通り身についているわけで、そのことが沖縄のやや特異な風土と結びついてスパークし、生命力みなぎる写真の世界が蘇生してくる。「絶景のポリフォニー」は6×6と35ミリのフォーマットを混在させたスナップショット、「okinawan portraits 2010-2012」は人物写真のシリーズだが、被写体への向き合い方は基本的に変わりない。色、かたち、意味が渾然一体となった獰猛なエナジーを発する対象物を、熟練した調教師のように手なずけていく、そのカメラワークの冴えには天性の才能を感じさせる。
ただ、銀座ニコンサロンの会場に展示された58点の作品を見ているうちに、「これでいいのだろうか」という思いも湧きあがってきた。彼の写真のスタイルは、たとえば東松照明や森山大道のような写真家たちが積み上げてきた、被写体との「出会い」に賭けて、その重層的な構造を一瞬につかみ取っていく撮影のやり方を踏襲している。その意味では、きわめて正統的な「日本写真」の後継者であり、その枠内におさまってしまうのではないかという危惧を覚えるのだ。むしろ石川にとって必要なのは、沖縄、あるいは「日本写真」という磁場から、一度距離をとってみることではないだろうか。しかも、その振幅をできるだけ大きくすると、さらなる飛躍が望めるのではないかと思う

2014/12/07(日)(飯沢耕太郎)

小林秀雄「SHIELD」

会期:2014/12/05~2015/01/31

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

小林秀雄が1998年に発表した「中断された場所」は印象深いシリーズだった。公園やゴミ捨て場のような日常的な場所を可動式のコンクリートの壁で遮蔽し、地下室を思わせる空間を構築して撮影する。それは「ドキュメンタリーを架空の日常空間に再構築する」という意図を、高度な技術と美意識で実現した作品で、強い印象を与えるものだった。その小林は2000年代に入って活動がやや鈍り、しばらく沈黙を守っていた。今回のEMON PHOTO GALLERYでの個展は、2003年の「trace」(ツァイト・フォト・サロン)以来のひさびさの作品発表になる。
展示されたのは「SHIELD」(2013年)と「Falling Light」(2011年)の2作品。それぞれ「シャッターを開放した状態に保ち、自らフレームの中に入ってコンパスに似た装置を使い、私は光のシールドをゆっくり描いていく」(「SHIELD」)、「水面に水を垂らすように、数千のストロボ発光を長時間露光で8×10フィルムに刻む」(「Falling Light」)というコンセプトで制作されたシリーズだ。小林の徹底したメタフィジカルな思考と完璧な技術を融合させた作品群は、日本人の写真表現の系譜においてはきわめて希少なものであり、もっと高く評価されてよいのではないだろうか。見慣れた風景を「非日常空間に転化」するという果敢な実験の積み上げが今後どんな風に展開していくのか、さらにもう一段の加速があるのかが楽しみになってきた。

2014/12/06(土)(飯沢耕太郎)

辻田美穂子「カーチャへの旅」/藤倉翼「ネオンサイン」

会期:2014/12/05~2015/12/10

AMS写真館[京都府]

2014年8月に第30回東川町国際写真フェスティバルの一環として開催された赤レンガ公開ポートフォリオオーディションの準グランプリ受賞者、辻田美穂子と藤倉翼の展覧会が、京都・二条のAMS写真館で開催された(グランプリ受賞者のエレナ・トゥタッチコワ「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」は既に2014年10月~11月に東京・東銀座のArt Gallery M84で開催)。多彩な傾向の作品が応募されるポートフォリオオーディションの受賞者にふさわしく、まったく対照的な展示になったが、それぞれ受賞時よりもレベルアップした、質の高い作品を見ることができた。
1988年、大阪生まれの辻田は、祖母が第二次世界大戦前から戦後にかけて暮らしていた南樺太の恵須取(エストル)を2010年から6回にわたって訪れ、その記憶をたどり直そうとした。「カーチャ」というのは病院に勤めていた祖母が、ロシア人たちから呼ばれていた名前だという。最初は祖母と一緒に、墓参団の一員として樺太に渡ったのだが、その後は現地に知り合いもでき、一人で行くようになった。そのことで「カーチャへの旅」から「自分にとっての旅」へと、旅のあり方が変わってきた。そのことは作品にも反映されていて、物語的な要素の強かった写真の選択・構成が、1枚1枚のイメージの強さを強調する方向に傾きつつある。まだ着地点がどうなるかは見えていないが、従来のドキュメンタリーの枠にはおさまりきれない作品として成長しつつあるように思える。
一方、1977年、北海道北広島市出身(札幌在住)の藤倉の作品は、札幌、東京、大阪、神戸などの「昭和の匂いがする」ネオンサインを、正面から写しとり、背景をカットして浮かび上がらせたシリーズである。ネオン職人の工芸品を思わせる技巧の冴えとともに、ネオンサインそのものの光のオブジェとしての魅力に、強く魅せられているのだという。今回はあえて和紙にプリントすることで、記号として見過ごされがちなネオンサインの繊細な美しさを強調している。撮影したものの中に、既に撤去されてしまったものも数多くあるということなので、他の都市にも足を運び「日本のネオンサイン」の様式美を、ぜひ集大成して完成させてほしいものだ。

2014/12/05(金)(飯沢耕太郎)

闇の光 吉村朗の軌跡

会期:2014/12/02~2015/12/07

Gallery LE D CO 3F[東京都]

2012年に亡くなった吉村朗の遺作集『Akira Yoshimura Works─吉村朗写真集』(大隅書店)の刊行にあわせて、東京・渋谷のGallery LE D COで作品展が開催された。吉村の部屋に残されたダンボール箱には500~600枚のプリントが残されていたという、それらは「分水嶺」、「闇の呼ぶ声」といったシリーズごとに袋に入れて分類され、他に「Akira YOSHIMURA」と記されたCDがあり、そのプリントは川崎市市民ミュージアムの深川雅文が保管していた。今回の写真展はその中から写真家の湊雅博、山崎弘義、大隅書店の大隅直人らによる「吉村朗写真展実行委員会」が78点を選んで構成したものである。
吉村のプリントは、特に後期になるに従って、白黒のコントラストや独特の手触り感を強調したものになっていく。カラープリントはスキャニングしてプリンターで出力しているが、そこにもかなり手を加えている。彼にとって、自分自身の感情や記憶でバイアスをかけたフィルターを通過させることで、現実世界を変容していくことは、作品作りの上で不可欠のプロセスだったのだろう。そこに解釈や意味付けにおさまりきれない、微妙なノイズが生じてくるわけで、それを味わうのはやはり展示されたプリントに直接向き合うしかない。吉村の写真家としての軌跡を丁寧にフォローする写真集とあわせて、今回の展覧会で、彼の作品をあらためて検証していくための道筋が定められたのではないだろうか。個の記憶と日本の近代史を交錯させようとする吉村の果敢な「実験」が、さらに大きな波紋を呼び起こしていくことを期待したい。

2014/12/04(木)(飯沢耕太郎)