artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

下瀬信雄『結界』

発行所:平凡社

発行日:2014年10月30日

1996年から銀座、新宿、大阪のニコンサロンで7回にわたって展示され、2005年には伊奈信男賞を受賞した下瀬信雄の「結界」のシリーズが、写真集として刊行された。あらためて、日本の自然写真の系譜に新たな領域を切り拓いた、重要な作品であることがはっきり見えてきたのではないかと思う。
下瀬は4×5判のカメラで、しかもモノクロームフィルムで草木や昆虫、小動物などを撮影する。撮影場所はすべて彼が暮らす山口県萩市の周辺であり、少し足を伸ばせば誰でも目にすることができる被写体だ。だが、「画面手前から奥の広がりまでをシャープに写すことができる」大判カメラによって捉えられた眺めは、不思議な驚きを与えてくれるものとなった。そこに人間界と自然との、此岸と彼岸との、さらにいえば日常と神の領域との境界──「結界」がありありと浮かび上がってくるからだ。下瀬は、そのことを写真集のあとがきにあたるテキストで次のように述べている。
「自然と対峙することで、少しずつわかってきたことがあった。よくみれば、地面の落ち葉の雑然とした降り積もり方にも、その間を縫って伸び上がろうとする新芽のすがたにも何かの必然性があり、私が手を加えてはいけない神聖なものの気配がしてきたのだ」(「結界を結ぶ」)
このような認識は、下瀬の仕事が単純に写真を通じて自然を描写するのではなく、その背後に潜む原理を探り出そうとする思想的、哲学的な営みに達しつつあることをよく示している。しかもそれは、かつて「科学者になろう」と考えていたという彼が、長い時間をかけて育て上げてきた博物学的な知識に裏付けられている。巻末の「『結界』被写体と撮影地」という作品リストを見ると、「ヤマハゼ」、「ヒメオドリコソウ」、「ハナニラ」、「ハキリバチ」、「ヤママユガ」、「シロオニタケ」といった植物、昆虫、菌類などの種名が正確に記されていることに気がつく。まさに「科学者」の目と詩人の魂の融合であり、日本の自然写真の源流というべき田淵行男の仕事を継承、発展させたものといえるのではないだろうか。

2014/11/30(日)(飯沢耕太郎)

荒木経惟『道』

発行所:河出書房新社

発行日:2014年10月30日

2014年4月~6月に豊田市美術館で開催された荒木経惟「往生写集──顔・空景・道」で発表された新作「道路」は、心動かされる作品だった。2011年末に転居したマンションのバルコニーから、真下の道路を毎朝撮り続ける。それだけの写真が淡々と並んでいるのだが、背筋が凍るような凄みを感じる。生と死を含む人間界の出来事のすべてが、その縦長の画面にすべて写り込んでいるように感じてしまうのだ。森羅万象を自在に呼び込んでいく、荒木の写真家としての能力がそこに遺憾なく発揮されているといえるだろう。
その「道路」の連作が、写真集として刊行された。『道』には108枚の写真がおさめられている。いうまでもなく「除夜の鐘」の数であり、このところ荒木の作品に色濃くあらわれてきている仏教的な無常観からくるものだろう。ちなみに、彼の実質的なデビュー作である写真集『センチメンタルな旅』(1971年)も108枚の写真で構成されていた。特筆すべきは町口覚によるブックデザインで、最初と最後の2枚以外はほぼ同じ構図の写真がずっと続く縛りの多いシリーズを、「40頁の観音開き」を巧みに使うことで、見事に写真集としてまとめている。「観音開き」で写真の大きさを変えながら、108枚の写真を最後まで見せきっていくのだ。
それにしても、途中に挟み込まれている何枚かのブレた写真が何とも怖い。その瞬間に、霊的な存在がふっと通り過ぎたような気配が漂っている。

2014/11/23(日)(飯沢耕太郎)

小島一郎「北へ、北から」

会期:2014/08/03~2014/12/25

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

青森市に生まれ、「津軽」を題材として写真を撮り続けた小島一郎(1924~64)は、いわゆる「地方作家」であるように見える。その土地に特有の地域性(ローカリティ)にこだわり、独自の作風を確立した写真家ということだ。だが、今回のIZU PHOTO MUSEUMの展覧会で、あらためて小島の作品をまとめて見ていくと、彼の活動作家が「地方作家」の枠組みにおさまるものではなかったことがよくわかる。
小島は名取洋之助に見出されて1958年に初個展「津軽」(東京、小西六ギャラリー)を開催し、それを一つのきっかけとして61年に家族とともに上京してくる。周囲の反対を押し切り、プロ写真家として自立することをめざしたのだ。翌年、2回目の個展「凍(し)ばれる」(同、富士フォトサロン)を開催、「東京の夕日」(『カメラ毎日』1963年3月号)などをカメラ雑誌に発表するが、慣れない都会暮らしで体調を崩し、青森に帰郷して64年に亡くなった。むろん北の厳しい風土を粘り強く撮影し続けた、詩情と造形意識をあわせ備えた写真群は、小島の代表作というべきだが、彼はそこに留まることなくよりスケールの大きな「写真作家」であろうとしたのではないだろうか。個展「凍ばれる」では、コントラストの強いミニコピーフィルムで作品を複写して再プリントするという手法を用いており、よりグラフィックな画面処理でドキュメンタリーの枠組みを乗り超えていこうとしていた。また、晩年にはカラー写真にも意欲的に取り組んでいた。
今回の展覧会では、小島がネガを名刺サイズに引伸した「トランプ」と称されるプリントが大量に展示され、「津軽」と「凍ばれる」の個展会場の一部が再現されるなど、従来の「津軽」の写真家という小島一郎のイメージを再構築しようという試みが見られた。この視点は、他の「地方作家」たち、たとえば千葉禎介(秋田)や熊谷元一(長野)や平敷兼七(沖縄)などの作品にも適用できるのではないだろうか。

2014/11/18(火)(飯沢耕太郎)

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佐藤信太郎「The spirit of the place」/「夜光 Night Light」

会期:2014/10/31~2014/12/20

キヤノンギャラリーS/フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

佐藤信太郎のデビュー写真集『夜光 Nights Lights』(1998年)が青幻舎から新装版で再刊されたのにあわせて、東京都内の二つの会場でほぼ同時期に彼の個展が開催された。キヤノンギャラリーSの「The Spirit of the place」展では、盛り場のネオンサインを撮影した「夜光」だけでなく、彼の他のシリーズ「非常階段東京 ─ TOKYO TWILIGHT ZONE」と「東京|天空樹 Risen in the East」も同時に展示され、フォト・ギャラリー・インターナショナルでは「夜光」に絞った展示を見ることができた。
デジタルプリントによって、より鮮やかに、くっきりと甦った彼の作品をあらためて見直すと、佐藤が3つのシリーズを通じて、東京の新たな見方(「夜光」シリーズには大阪で撮影された写真も含まれているが)を提示しようとしてきたことがわかる。それは、都市を光と形と色という要素に還元して、そのテクスチャー、構造を定着しようとする意欲的な試みであり、近作になるにつれて、より包括的で、柔軟な把握の仕方があらわれてきているように思う。ちょうど区切りのいい時期に、旧作をまとめて展示で来たのはとてもよかった。
だが、問題は佐藤が次にどんなアプローチを見せてくれるかだろう。現在形で変貌しつつある巨大都市を俯瞰できる視点を確保するのは、そう簡単なことではない。インターネットのような不可視のネットワークが、都市の中枢部分を占めるようになってくると、写真でそれを視覚化するのは、ますますむずかしくなってくるからだ。佐藤がその難問にどう立ち向かっていくのか、次作に期待したいものだ。
キヤノンギャラリーS 2014年10月31日~12月15日

フォト・ギャラリー・インターナショナル 11月7日~12月20日

2014/11/13(木)(飯沢耕太郎)

藤岡亜弥「Life Studies」

会期:2014/11/10~2014/11/16

Place M[東京都]

2012年までの4年間のニューヨーク滞在時の写真をまとめた藤岡亜弥の「Life Studies」の発表は、2009年のAKAAKAでの中間発表的な展示を含めると、今回で3回目になる。前回(2014年春)の銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンでの展示はカラープリントだったが、今回はそれに加えて279×356cmの大きさに引伸されたモノクロームプリント(12点)も出品されていた。
ニューヨーク時代の藤岡は、カラーとモノクロームのフィルムを併用していたのだが、使っていたハーフサイズのカメラに光が入って、画面に縞模様のような筋ができたこともあり、ろくにプリントもせずに放っておいたのだという。だが、次第にその「失敗」がむしろ面白い効果をもたらすのではないかと考えはじめ、それが今回のモノクローム作品中心の展示に結びついた。
実際に今回の「Life Studies」は、カラー作品とはかなり異なる肌合いではあるが、ニューヨークでの生活の断面の別な部分を垣間見させてくれる、興味深い作品に仕上がっていた。ハーフサイズの縦位置の画面が二つ並ぶことで、微妙な時空のズレが生じてくるだけではなく、それ以外の通常の35ミリカメラで撮影された作品にも、奇妙に歪んだデモーニッシュな気分がより色濃くあらわれてきているのだ。はっきりいってかなり怖い写真群であり、スナップ的な要素の強かったカラー作品と比較すると、闇の奥をじっと覗き込んでいるような不気味さを感じる。藤岡がモノクローム作品を発表するのはおそらく初めてではないだろうか。いい表現の鉱脈になっていきそうな予感がする。

2014/11/12(水)(飯沢耕太郎)