artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
発行所:ギャラリー・ニエプス(発売:ソリレス書店)
発行日:2015年1月1日
中藤毅彦は1970年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部中退後、1994年に東京ビジュアルアーツ写真学科を卒業し、ストリート・スナップを中心に精力的に作品を発表してきた。今回刊行された200ページ近いハードカバー写真集『STREET RAMBLER』には、2002年からここ10年ほどの期間に撮影された、ニューヨーク、ハバナ、モスクワ(サンクト・ペテルスブルクを含む)、上海、ベルリン、パリ、東京の7都市の写真がおさめられている。
よく指摘されるように、中藤のストリート・スナップの感触は、東京ビジュアルアーツで師事した森山大道の写真を思わせる。むしろ開き直って、森山の撮影やプリントの手法を、そのまま取り込んでいるといえるだろう。だが、写真集のページを繰っていくと、そこに自ずと違いがあらわれてくるようにも感じる。じっとりと湿り気が滲み出てくるような森山の写真と比較すると、たとえ東京を撮影していたとしても、中藤の写真はドライで切り口が鋭利であるように見える。そこに写っている人物たちも、森山のように不気味で翳りを帯びているわけではなく、よりポジティブな印象を与える。見方によっては、森山よりも白黒のコントラストを強調したグラフィック的な処理の仕方が徹底しているようでもある。
とはいえ、中藤もそろそろ次のステップに踏み出す時期に来ているのではないかと思う。7つの都市の写真が、ほとんど同じに見えてしまうのが気になる。より細やかに、被写体となる場所の地域性に即して、アプローチの仕方を変えていってもいいのではないだろうか。なお、写真集の刊行に合わせて2015年1月10日~18日に、ギャラリーLE DÉCOの6Fで同名の展覧会が開催された。
2015/01/08(木)(飯沢耕太郎)
タカザワケンジ「CARDBOARD CITY」
会期:2015/01/06~2015/01/17
The White[東京都]
タカザワケンジは2014年の晩夏に、とある街を訪れた。そこは「決められた場所を歩くことしか」できないので、いきおい撮影した写真は「バスの窓越しに見たもの」がほとんどになってしまった。それらを見直しているうちに、ある「発見」があったのだという。そのことを元にして「写真展として構成」したのが、今回の東京・神保町のギャラリーThe Whiteでの展示である。
タカザワが撮影したのは、街の様子から見て明らかに北朝鮮(おそらく平壌)である。北朝鮮を撮影した写真のほとんどは、かの国の特異な政治体制や社会状況にスポットを当てているのだが、ここではまったく異なるアプローチがとられている。タカザワが注目したのは「窓越し」に撮られた写真に特有の「書き割り効果 cardboard effect」である。「書き割り効果」というのは、「写真になったときに立体感が失われた状態」のことで、たしかに会場に展示された写真群には、それがくっきりとあらわれていた。つまり、画面の手前から奥まで全部ピントを合わせたパンフォーカスと、窓枠があることによる切り取りの効果によって、画面全体が平板な、舞台の「書き割り」のように見えてくるのだ。さらにいえば、そのことは北朝鮮の街並自体が、どこか人工的で薄っぺらな「書き割りの街」であることも浮かび上がらせているといえるだろう。
タカザワは普段は写真関係の記事を執筆するライターとして活動している。写真を撮るだけではなく、それについて分析し、思考する態度が身についているということで、今回の展示にもその彼の独特のポジションがよくあらわれていた。さらなる探求と実践を期待したいものだ。
2015/01/08(木)(飯沢耕太郎)
森山大道写真展「遠野2014」
会期:2014/12/18~2015/02/09
キヤノンギャラリーS[東京都]
2015年のギャラリー回りは、東京・品川のキヤノンギャラリーSの「100回記念写真展」として開催された、森山大道の「遠野2014」からスタートすることにした。
森山は1974年に岩手県遠野とその周辺を撮影し、写真集『遠野物語』(朝日ソノラマ、1976年)を刊行している。隣り合う2カットを並置してプリントするという特異な手法によって制作された写真群は、現実と幻想世界とが入れ子状に混在する、異様にテンションの高い磁場を形成していた。だが、その40年後に遠野を再訪して撮影した写真によって構成された今回の展示には、当時の切迫した感情の震えを見ることはできない。カラー写真6点(使用カメラはキヤノンEOS 6D)、モノクローム47点(同PowerShot G7 X)の展示作品を見て感じるのは、森山が遠野の風景やそこで出会った人物たちを、しっかりと受けとめ、投げ返す手つきの揺るぎのなさだった。牛や馬、神社や祭礼、河童の人形など、『遠野物語』を彷彿とさせるイメージもある。だが、どちらかといえば「遠野2014」は、地に足をつけた日常性に傾いているといえそうだ。遠野郷はちょうど稲の刈り入れが始まったばかりで、「町場に人影は薄かったが、野も山も河もたおやかで、しかししたたかな時間と風景の広がりの中に在った」と森山はコメントしている。たしかにくっきりと奥行きのある「したたかな時間と風景の広がり」が、やや横長に引き伸ばされたモノクロームプリントに封じ込められており、会場の外壁部分に展示されたカラープリントも含めて、森山が既にデジタルカメラとプリンターの表現力を、自在に使いこなすことができる段階に達していることがよくわかった。
遠野の「現在(いま)」と40年前の過去とが交錯するような展示も充分考えられるし、森山がさらに遠野を撮り継いでいけば、さらに厚みのあるイメージの集積ができ上がってくるだろう。そんな可能性を夢見させてくれる、充実した内容の写真展だった。なお、展覧会にあわせてAkio Nagasawa Publishingから同名の写真集が刊行されている。
2015/01/07(水)(飯沢耕太郎)
川島小鳥『明星』
発行所:ナナロク社
発行日:2014年12月24日
『未来ちゃん』(ナナロク社、2011)で大ヒットを飛ばした川島小鳥の3年ぶりの本格的な写真集は、まずそのデザインワークの新鮮さで目を引きつける(デザインは佐々木暁)。川島本人のアイディアだったようだが、ページを開くと横長のパートと縦長のパートが交互にあらわれる造りになっているのだ。縦位置の写真と横位置の写真をどう組み合わせてレイアウトするかというのは、実は常に写真家やデザイナーの頭を悩ませるとてもむずかしい問題だ。つまり縦が長い用紙の本だと横位置の写真が小さくなり、横が長いと今度は縦位置の写真が小さくなってしまうのだ。その難問を、今回は端を斜めに切った厚紙の表紙に縦長、横長のレイアウトのページを挟み込むことで見事に解決した。おそらく世界初の試みではないだろうか。
この縦横自在のレイアウトは実に効果的で、ページを開くたびに、それぞれ違う眺めを楽しむことができる。しかも、単にトリッキーな視覚的効果だけではなく、それが写真集の内容にもぴったり合っている。台湾で撮影されたという、みずみずしい生命力を発散する少年や少女たち、奇蹟のように降り注ぐ光、雨、カラフルな極彩色に彩られた世界の輝きが、ページを開くたびに、弾むように目に飛び込んでくるのだ。『未来ちゃん』の力強い、ストレートな眼差しをそのまま受け継ぎつつ、より幅広い被写体を、柔らかに捕獲していく能力を、1980年生まれの川島はしっかりと身につけつつある。さらにエネルギーを全開にして走り続けていってほしいものだ。
2015/01/07(水)(飯沢耕太郎)
題府基之「Still Life」
会期:2014/11/30~2015/01/11
MISAKO & ROSEN[東京都]
題府基之は1985年、東京生まれ。現在は神奈川県を拠点に制作活動をしている。既に写真集『Lovesody』(Little Big man, 2012)、『Project Family』(Dashwood Books, 2013)を刊行し、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館でのグループ展に参加するなど、むしろ海外での注目度が高まりつつある写真家である。その彼の「Still Life」と題する新作展が、東京・大塚のギャラリーMISAKO & ROSENで開催された。
大きめにプリントされた11点の作品は、すべてテーブル上に散乱する食べ物類を、真上から見下ろすように撮影している。コンビニから買ってきたばかりという感じの弁当類、レトルト食品、極彩色のパッケージのお菓子類などは、ストロボ一発で白々と平面的に描写されており、いかにもそっけなく、身も蓋もない印象を与える。とはいえ、題府がその光景をネガティブに、文明批評的な突き放した距離感で撮影しているのかといえば、そうではないだろう。「片づけられない」状態のまま、ゴミの山と化していく部屋を、家族たちの姿とともに捉えた『Project Family』もそうだったのだが、題府の撮影の仕方は肯定的かつ受容的であり、写真化の手続きは過度な露悪趣味に走ることなく、とてもバランスがとれている。それは今回の「Still Life」でも同じで、画面構成をしっかり考えて、注意深く撮影している様子が伝わってくる。このまま順調に伸びていけば、同時代の空気感を世代感覚として体現した、いい写真家に成長していくのではないだろうか。
2014/12/24(水)(飯沢耕太郎)