artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

永瀬沙世「FOLLOW UP 追跡」

会期:2014/11/01~2014/11/12

AL[東京都]

永瀬沙世は1978年、兵庫県生まれの写真家。主にファッション雑誌を活動の場にしているが、時折、何とも不思議なテイストの写真展を開催して楽しませてくれる。
今回の「FOLLOW UP 追跡」展には「J002E3」という副題がついているが、これはアメリカを拠点とするカナダ人のアマチュア天文家が発見した、月と地球の間で奇妙な動きをする天体のことだ。後にその表面が白い酸化チタンで塗られていることから、1969年に打ち上げられた、アポロ12号のロケットの機体の一部ではないかといわれている。永瀬はその記事のことを友人から教えられたのだが、メールを読んですぐに忘れてしまっていた。その数ヶ月後、「お風呂からあがって、髪がぬれたままティファールのケトルでお湯を沸かしていたとき、ばらばらの短いシーンが卵形の弧を描きながら頭を駆け巡った」のだという。
実際に展示されているのは、どこか夢の中のようなぼんやりしたトーンで撮影された、いくつかの断片的な画像で、直接的に「J002E3」と関係があるようには見えない。UFOやロケットめいた物体が写っている写真もあるが、特にストーリーを追ったものではないだろう。だが、全体的に何かを「追跡」しているような、妙にワクワクした謎めいた雰囲気があって、日常が非日常にワープしていく感覚が、なかなかうまく定着されている。さらっとでき上がった小品には違いないが、むしろふとした思いつきを形にしていく軽やかな手つきに、この写真家の持ち味があるのではないだろうか。同時に刊行された、タブロイド判の新聞のような造本の写真集(500部限定)も気がきいている。

2014/11/07(金)(飯沢耕太郎)

深川雅文、湊雅博、山崎弘義編『Akira Yoshimura Works/吉村朗写真集』

発行所:大隅書店

発行日:2014年9月30日

不意打ちのような衝撃を与える写真集が出現した。
吉村朗(本名は晃、朗は写真家としての名前)は1959年に福岡県門司市(現北九州市門司区)に生まれ、日本大学芸術学部写真学科を経て、1984年に東京綜合写真専門学校研究科を卒業した。その頃から、カラー写真による都市のスナップショットを発表して注目を集めるが、1995年の写真展「分水嶺」の頃から、日本近代の歴史を個人的な記憶と重ねあわせながら抉り出す作品を制作し始める。2012年に享年52歳で逝去。本書は、吉村の仕事をずっとフォローしてきた川崎市市民ミュージアム学芸員の深川雅文と、友人の写真家、湊雅博と山崎弘義によって、「分水嶺」以降の「闇の呼ぶ声」(1996年)、「新物語」(2000年)、「ジェノグラム」(2001年)の各シリーズと、吉村自身が生前に「1994-2001」、「Recent Works」と題してまとめていた作品群を再編集したものである。
これらの写真をあらためて見直しているうちに、しきりに「取り返しがつかない」という思いが涌き上がってきた。吉村の1990年代以降の作品は、彼自身を含む家族のルーツ(吉村家は朝鮮半島の植民地支配に深くかかわっていた)を、韓国・ソウルの西大門刑務所、中国撫順郊外の平頂山の民間人虐殺の跡、長崎県佐世保の旧日本海軍が建造した針生無線塔、さらに茨城県東海村の原発臨界事故現場の写真などを通じてあぶり出し、あくまでも個の視点から近代史を再構築しようとする、大きな構えを持つプロジェクトだった。残念なことに、僕自身を含めて、彼のメッセージをきちんと受け止めて評価する動きは乏しかったのではないだろうか。過去の出来事をやり直すことができないということとともに、吉村の仕事をフォローすることができなかったことが、「取り返しがつかない」という思いに繋がる。
本書は深川による詳細な作品論も含めて、吉村の孤独な作業を丁寧に跡づけている。だが、彼の仕事を世界の写真史の中にどのように位置づけ、受け継いでいくのかという新たな課題も出てきた。深川が指摘するドイツのミヒャエル・シュミットと吉村の作品との共通性はとても興味深い。また、写真を通じて歴史─政治─社会を問い直していく貴重な試みとして、より若い世代が吉村の作品に関心を持ってくれるといいと思う。

2014/11/05(水)(飯沢耕太郎)

エレナ・トゥタッチコワ「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」

会期:2014/10/27~2014/11/08

Art Gallery M84[東京都]

エレナ・トゥタッチコワは1984年、モスクワに生まれ、現在は東京藝術大学大学院先端芸術表現科に在学中の新進写真家である。今年の夏、東川町国際写真フェスティバルの一環として開催された「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション2014」でグランプリを受賞した。その受賞記念展として開催されたのが本展である。
被写体となっているのは、ダーチャと呼ばれるロシア人の伝統的な「夏の家」。夏の暑さと都会の喧噪を逃れて、郊外の家で過ごす習慣は、貴族たちの間で17~18世紀頃に始まったが、ソ連時代になると一般労働者も小さなダーチャを持つことができるようになった。森や川や湖などの自然環境に恵まれた場所で、ゆったりと時を過ごしながら、お喋りを楽しんだり、文学や音楽などにも親しんだりすることができるダーチャは、ロシア人の精神生活に大きな影響を与えてきた。ペレストロイカ以降の窮乏期には、ダーチャで育てた野菜や果物が生き延びる糧になったということもあったようだ。つまり、ダーチャほどロシア人の生に密着した場所は他にあまりないということだ。
エレナは、2007年頃から大学時代の先生のダーチャを中心に撮影しはじめた。それは、彼女自身のダーチャで過ごした子供時代の記憶、いままさに成長期にある女の子たちの日常、「永遠の夏」といいたくなるようなロシア特有の光と影のコントラスト、周囲の自然環境などが絡み合った、精妙な図柄のタペストリーとして形をとりつつある。「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」というタイトルは、「毎年、夏が終わろうとしている時、林檎が生まれる。子供たちが成長して大きくなる。そしてまた新しい人間が誕生する」という、自然と人間との深い結びつきを示している。まだこれから先、さらに成長して、よりスケールの大きな作品となっていく可能性を秘めたシリーズといえるだろう。

2014/10/31(金)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「往生写集──東ノ空・PARADISE」

会期:2014/10/22~2014/12/25

資生堂ギャラリー[東京都]

豊田市美術館、新潟市美術館と続いた荒木経惟の連続展の掉尾を飾るのが、この「往生写集──東ノ空・PARADISE(正式表記は「P」が反転)」。全力疾走してきた今年の荒木の活動を締めくくるのにふさわしい力作(すべて2014年に撮影)が、東京・銀座の資生堂ギャラリーの会場に並んでいた。
「東ノ空」(13点)は自宅のマンションから毎朝、夜明けの空を撮り続けている連作である。荒木の住む東京都世田谷区から見て東の方向には、いうまでもなく福島と東日本大震災の被災地がある。「空」は荒木にとっての根源的なテーマの一つであり、そのきっかけになったのは、1990年の愛妻、陽子の死だった。そのことからもわかるように、「空」の彼方には他界のイメージが投影されていることが多い。この作品の沈鬱なトーンにも、死者たちへの鎮魂の意味合いが込められているのだろう。
「PARADISE」(55点)は、これまで何度も撮影されてきた「楽園」シリーズのヴァリエーションである。例によって、枯れかけた花に人形(フィギュア)をちりばめ、ビザールでエロティックな箱庭のような空間を丁寧に構築している。人形に施された血のようなペインティングを見ると、ここでも死の影が画面全体を色濃く覆いはじめているようだ。
もう一つの新作が「銀座」(13点)であり、歩行者天国に群れ集う人々を撮影している。そういえば、荒木は電通に在職していた1960年代に、よく銀座に出かけて通行人をスナップしていた。だが今回の連作は、獲物に飛びかかるようにシャッターを切っていたその頃の写真と比較すると、肩の力を抜き、すっと受けとめるように群衆にカメラを向けている。後ろ姿とややブレ気味の人物が多い写真群に、どこか諦念にも似た雰囲気を感じてしまうのだ。
荒木の体調はあまりよくないと聞く。当人にその気はないかもしれないが、しばし休息してもいいのではないかと思う。

2014/10/26(日)(飯沢耕太郎)

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野村恵子「赤い水」

会期:2014/10/22~2014/11/04

銀座ニコンサロン[東京都]

野村恵子の『Soul Blue ─此岸の日々』(shilverbooks、2012年)はいい写真集だった。折に触れてヌードを撮影してきた女性たちとのかかわりを縦糸に、父の死を含む日常の情景を横糸にして織り上げられた、叙事詩を思わせるイメージの連なりは、野村がデビュー作の『Deep South』(リトルモア、1999年)以来積み上げてきた写真の表現が、ほぼ完成の域に達したことを示していた。今回の展示は、その『Soul Blue』の達成を踏まえて、次のステージに向かうという意志表示を込めたものといえるだろう。
1998年に沖縄で撮影した「Kozue」という女性モデルは、いまは福井に住み、刺青師として活動している。彼女だけではなく、同性のモデルたちの生に寄り添いつつ、撮影をくり返していくことで、イメージの厚みがさらに増しつつある。今回の「赤い水」では、それに加えて、沖縄・今帰仁出身の野村の母親の、6歳と16歳の時のポートレートの複写が重要な意味を持っているように思える。つまり、野村自身を含めた女性たちの「身体という器に湛えられた赤い水」、つまり血の巡り、血の流れに象徴される結びつきが、より強く意識されはじめているのだ。
だが「ここ1年で撮影した写真が7割」という説明を聞いても、すぐには納得できないのはなぜだろうか。どうしても旧作が多いように見えてしまうのだ。おそらく、『Soul Blue 』とそれ以後の写真の選択と構成のあり方、つまりその「文体」があまり変わっていないからだろう。彼女が次の一歩を踏み出すためには、写真作品を構築していく「文体」そのものを大きく変えて行かなければならないのではないかと強く感じた。どうやら、野村も写真作家としてさらに飛躍していくための正念場を迎えつつあるように思う。
なお本展は12月11日~17日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2014/10/26(日)(飯沢耕太郎)