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artscapeレビュー

下瀬信雄『結界』

2014年12月15日号

発行所:平凡社

発行日:2014年10月30日

1996年から銀座、新宿、大阪のニコンサロンで7回にわたって展示され、2005年には伊奈信男賞を受賞した下瀬信雄の「結界」のシリーズが、写真集として刊行された。あらためて、日本の自然写真の系譜に新たな領域を切り拓いた、重要な作品であることがはっきり見えてきたのではないかと思う。
下瀬は4×5判のカメラで、しかもモノクロームフィルムで草木や昆虫、小動物などを撮影する。撮影場所はすべて彼が暮らす山口県萩市の周辺であり、少し足を伸ばせば誰でも目にすることができる被写体だ。だが、「画面手前から奥の広がりまでをシャープに写すことができる」大判カメラによって捉えられた眺めは、不思議な驚きを与えてくれるものとなった。そこに人間界と自然との、此岸と彼岸との、さらにいえば日常と神の領域との境界──「結界」がありありと浮かび上がってくるからだ。下瀬は、そのことを写真集のあとがきにあたるテキストで次のように述べている。
「自然と対峙することで、少しずつわかってきたことがあった。よくみれば、地面の落ち葉の雑然とした降り積もり方にも、その間を縫って伸び上がろうとする新芽のすがたにも何かの必然性があり、私が手を加えてはいけない神聖なものの気配がしてきたのだ」(「結界を結ぶ」)
このような認識は、下瀬の仕事が単純に写真を通じて自然を描写するのではなく、その背後に潜む原理を探り出そうとする思想的、哲学的な営みに達しつつあることをよく示している。しかもそれは、かつて「科学者になろう」と考えていたという彼が、長い時間をかけて育て上げてきた博物学的な知識に裏付けられている。巻末の「『結界』被写体と撮影地」という作品リストを見ると、「ヤマハゼ」、「ヒメオドリコソウ」、「ハナニラ」、「ハキリバチ」、「ヤママユガ」、「シロオニタケ」といった植物、昆虫、菌類などの種名が正確に記されていることに気がつく。まさに「科学者」の目と詩人の魂の融合であり、日本の自然写真の源流というべき田淵行男の仕事を継承、発展させたものといえるのではないだろうか。

2014/11/30(日)(飯沢耕太郎)

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