artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

岸幸太「ガラクタと写真」

会期:2014/01/20~2014/02/02

photographers' gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

岸幸太の作品には、このところずっと注目している。新聞紙に写真を印刷した「The books with smells」(2011)から始まって、解体工事現場で拾った廃材やプラスチックボードに写真を貼り付けた「Barracks」(2012)、東日本大再震災の被災地で出会ったモノたちを撮影した「Things in there」(2013)と、実物と写真画像とを強引に接続するような作品をコンスタントに発表してきている。今回は会場にプリンターを持ち込み、新作を含む「Barracks」の作品を複写して藁半紙にプリントし、それを綴じあわせて写真集の形にするという作業の現場を公開した。でき上がった写真集はその場で販売している。
普通、写真作品は、きれいにプリントされた状態で、最終的にフレームなどに入れて展示される場合が多い。岸はどうやら、写真を撮影し、プリントするという写真家の現場を、より直接的に観客に開示したいと考えているようだ。その結果として、彼の作品には過剰なノイズがまつわりつき、暴力的とも言える触感、物質感を感じさせるものとなった。そこには、こぎれいに整えられ、フレームアップして商品化された作品とは一線を画する、観客を挑発する荒々しいパワーが召還されている。それはまた、東日本大震災の傷口を糊塗し、ふたたび何ごともなかったように経済効率のみを追い求める体制に復帰しようとしている社会状況に対する、モノの側からの強烈な異議申し立てでもある。見かけの奇妙さに目を奪われるだけではなく、彼の作品の批評的なスタンスを評価していくべきだろう。

2014/01/20(月)(飯沢耕太郎)

フジフィルム・オンリー・ワン・フォトコレクション展

会期:2014/01/17~2014/02/05

フジフィルム スクエア[東京都]

富士フィルム株式会社の創立80周年を記念して、日本を代表する写真家たち101人の作品を収集するというのが「フジフィルム・オンリー・ワン・フォトコレクション」。そのプロジェクトが完了したのを記念して、収集作品展が東京・六本木のフジフィルム スクエアで開催された。
幕末に来日して横浜を拠点に日本各地を撮影したフェリーチェ・ベアトの「長崎、中島川」(1865年頃)から、鬼海弘雄の「浅草ポートレート」のシリーズより選ばれた「歳の祝いの日」(2001)まで、101点の作品が並ぶとなかなか見応えがある。この種のコレクションは、誰がどのようにやっても偏りが出てくるものだ。今回も明治~昭和初期の写真家たちと、1990年代以降に登場してきた写真家たちの層が、どうしても薄くなっているように感じた。逆に言えば、「日本写真」がしっかりと確立した1960~70年代の作品はとても充実している。現存の写真家たちは、ほとんどが自分自身で作品を選んだそうだが、彼らがそれぞれのスタイルを確立した時期の作品を残しているのが興味深い。写真作家の自意識が、選出作品に滲み出ているということだろう。いずれにしても短期間に収集作業を行なった山崎信氏(フォトクラシック)をはじめとするスタッフの方たちには、ご苦労様と申し上げたい。
むしろ、このコレクションをこれからどう活かしていくのかが問題になるのではないだろうか。教育的な価値の高いこれらの写真を、なるべくいろいろな場所で展示していってほしいものだ。

2014/01/19(日)(飯沢耕太郎)

沼田学「界面をなぞる2」

会期:2014/01/10~2014/01/22

新宿眼科画廊スペースM[東京都]

沼田学は、2012年12月に同じ新宿眼科画廊で「界面をなぞる」と題する、白目を剥いた男女のポートレート作品による写真展を開催した。今回の展示はその続編というべきものだが、前回が20点ほどだったのとくらべて107点に数が増えている。このテーマが彼のなかでさらに醗酵し、深められてきているということだろう。
白目を剥くという状態は、普通は日常から非日常への移行の過程で起る現象である。ということは、沼田の言う「界面」とはその境界線と言える。彼はまさに、こちら側とあちら側の間に宙吊りになった状態を、モデルたちに演じさせているのだ。だがそれだけでなく、このシリーズではモデルたちを取り巻く環境──とりわけ彼らの部屋のあり方が大きな要素となっているように感じる。部屋をその住人の存在を表象する空間として捉えるアプローチは、都築響一の『TOKYO STYLE』(1993)、瀬戸正人の『部屋』(1996)など、多くの写真家たちによって試みられてきた。それらはいま見直すと、それぞれの時代の状況を鏡のように映し出しているように見える。沼田のこのシリーズもまた、2010年代の東京を中心とした都市の住人たちの居住空間のあり方を、的確にさし示しているのではないだろうか。
それはひと言で言えば、過剰なほどの情報空間ということだ。モデルにアーティスト、ミュージシャン、アクターなどの表現者が多いことも影響しているのかもしれないが、われわれの日常空間にさまざまな記号が溢れ、ひしめき合っている様が、写真に生々しく写り込んでいる。

2014/01/18(土)(飯沢耕太郎)

山元彩香「Nous n’irons plus au bois」

会期:2014/01/11~2014/02/08

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

1983年、神戸市生まれの山元彩香は、2009年からフィンランド、エストニア、ラトビア、フランスなどでポートレートの撮影を続けてきた。モデルは10歳~20歳代の女性。6×6判のカラーフィルムで撮影されるそれらの写真に写し出されているのは、少女から大人の女性へと流動的に変容しつつある、不思議な手触りの「いきもの」たちの姿だ。ことさらに、特異な撮り方をしているわけではないのだが、今回タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで展示された「Nous n’irons plus au bois」の写真群を見ていると、彼女たちのなかに潜んでいた、時には禍々しくもある魔術的な心性が明るみに出されているように感じる。
その「翻訳不可能なイメージ」を引き出すために、山元は撮影に際して、あまり目立たないけれども細やかな操作を施している。顔に布を被せたり、唇から赤い糸を垂らしたり、髪の毛に花を編み込んだり──それらの遊びとも祈りともつかない行為は、山元とモデルたちの共同作業というべきものだ。どうやら彼女たちは言葉でコミュニケーションを取り合っているのではなく、あたかも動物が互いに皮膚を擦り付けあうように意思を伝達しているのではないかと想像できる。そのもどかしいけれども、強く感情を共振する身振りの積み重ねが、このシリーズに説得力を与えているのではないだろうか。今回は9点の作品が発表されたが(同時刊行のカタログには15点掲載)、まだこれから先どう動いていくのか本人にもよくわかっていないようだ。このまま、さらにコントロール不可能な領域に踏み込んでいってほしいと思う。

2014/01/14(火)(飯沢耕太郎)

モイラ嬢のための9つの変奏曲

会期:2014/01/08~2014/01/25

神保町画廊[東京都]

「口枷屋モイラ」という名前で、コスプレやオブジェ制作など、多方面で活動している謎の女性、モイラ嬢をモデルに10人(9組)のアーティストが共演したコラボレーション展である。ギャラリーの企画力が充分に発揮され、なかなか面白い展示になっていた。中島圭一郎、伴田良輔、フクダタカヤス、村田兼一、村田タマ、渡邊安治は写真作品を、武井裕之とオオタアリサは写真とイラストの合作を、三嶋哲也は本格的な油画の肖像画を、上野航はストッキングを使ったオブジェ作品を出品していた。
このような実在のモデルを共通のテーマとするような展覧会の企画は、ありそうでなかなかないのではないだろうか。展示が成功したのは、ひとえにモイラ嬢の千変万化するキャラクターによるところが大きい。純真無垢な女生徒から妖艶な魔性の女までを、コスプレとメーキャップを駆使して演じ分ける変身能力の高さに、それぞれのアーティストが全身全霊で反応することで、彼らのいつもの作品とはひと味違ったテンションの高さが実現した。同じモデルとは思えないほどの表現力の幅の広さを、たっぷりと愉しむことができる。こうなると、この企画を一度で終わらせるのはもったいない気がしてくる。アーティストの顔ぶれを固定するとマンネリ化してくるので、違うジャンルの人たちにも声をかけて、さらに多人数のコラボレーション展を実現してほしい。平面作品のヴィジュアル・アーティストだけでなく、映像作家や言葉の表現者にも参加してもらうと、面白い広がりが期待できそうだ。

2014/01/08(水)(飯沢耕太郎)