artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

アナト・パルナス「夜気:Stillness of Night」

会期:2013/11/05~2013/11/18

新宿ニコンサロン[東京都]

アナト・パルナス(Anat Parnass)は、1974年、イスラエル・テルアビブ出身の写真家。1995年、20歳の時に初めて東京を訪れ、驚きと懐かしさとを同時に感じたことが忘れられず、大学で日本学を学び、2006年に再来日する。文部科学省の国費留学生制度で日本大学芸術学部写真学科に入学し、2013年に同大学大学院博士課程を修了した。博士論文のテーマは「日本における現代女性写真の研究」である。
今回展示されたのは、彼女が2006年以来撮り続けている、東京とその周辺の夜の景色を撮影した写真群(34点)である。闇の中で息づいている植物たち、灯りに照らし出されて浮かび上がる建築物、どこからともなく湧き出してくる輪郭が定かではない人物たち、夜空に大きく広がる花火──被写体はとりたてて特異なものではないが、それらのすべてが「夜気」に包み込まれることで、どこかアニミスティックな化け物じみた存在に変容し始めているように感じる。このようなミステリアスな影絵芝居を思わせる眺めは、むろん東京に短期滞在している旅行者には撮影不可能だが、逆に日本に生まれ育った者にとってもエキゾチックな光景として見えてくるのが面白い。東京在住の「外人」という、宙吊り状態の彼女の立場をうまく活用して撮り続けていくと、このシリーズのさらなる展開が期待できそうな気がする。
なお展覧会にあわせて、作品20点をおさめた同名の小冊子も刊行された。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

JITTER「#01 CCAA」

会期:2013/11/02~2013/11/11

CCAA アートプラザ ランプ坂ギャラリー(ギャラリーランプ1)[東京都]

JITTERは佐藤志保、畠山雄豪、人見将、山元顕史の4人によって結成された写真家グループ。2011年の東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催されたリコーポートフォリオオーディション(2012年から赤レンガ公開ポートフォリオオーディションと改称)で最優秀賞を受賞したのが北海道札幌市在住の山本で、僅差で優秀象に選ばれたのが佐藤、畠山、人見だった。彼らはその縁で、グループ展を定期的に開催するようになり、2012年には『JITTER』という名前でZineを刊行した。それが今回東京・四谷のCCAAで開催された展示に結びついていったのである。
回を重ねるごとに、彼らの仕事の質は高まりつつある。今回は山本が札幌の「雪捨て場」を真夏に撮影した作品(4点)を、佐藤が「思い出の場所に花を咲かせる」というコンセプトで「オアシス」と題する新作(2点)を、人見がレース布を題材としたフォトグラム作品(5点)を出品した。最も力が入っていたのが畠山の「浸透─プロローグ」で、交差点に立ち「目線の高さより各方向の街の表層が入るように撮影」した写真を、1枚ずつめくれるポートフォリオの形で展示していた。2004年から続けている作業で、すでに5万3千カット以上に達しているという。
僕自身が審査員のひとりだったこともあり、こういう地道な活動がきちんと根づきつつあるのはとても嬉しい。畠山が作品のコメントに書いているように、「足下にある大地には絶え間なく変化する小宇宙が広がっている」のではないだろうか。その宇宙の胎動を、彼ら一人ひとりがしっかりと感じとっていることが伝わってきた。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

インベカヲリ★「やっぱ月帰るわ、私。」

会期:2013/10/29~2013/11/04

新宿ニコンサロン[東京都]

インベカヲリ★が、前回新宿ニコンサロンで個展を開催したのは2007年だった。その展示はよく覚えている。弾の飛び交う現代社会の戦場の最前線で、体を張って撮影を続ける女性写真家がまた登場してきたという印象を強く抱かせる、鮮烈なデビューだった。
それから6年あまり、インベは撮影を続け、今回の個展と赤々舎からの同名の写真集の出版にこぎつけた。モデルはすべて女性たち、彼女たちのうちに潜む衝動を全身全霊で受けとめ、共同作業のようなやり方でそのパフォーマンスを記録していくやり方に変わりはない。ただ作品化のプロセスが、より批評的でロジカルに突き詰められてきている。彼女たちの「怒り」の表出が、単純な感情表現に留まることなく、確実に政治的なメッセージとして提示されているのだ。「暮らしに安心」「社会を明るくしよう月間」「支え合う日本」といった空々しい標語、「グラドル自殺」といった新聞記事、セーラー服や下着といった男性によって消費されていく性的な表象──それらが捨て身のエロス的なパフォーマンスと合体して次々に開陳されていく様は、圧巻としか言いようがない。インベは写真集の後記にあたる文章で、なぜ女性を撮影するのかという問いかけに自ら答えてこう書いている。
「男性の場合は、被写体となることに明確な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている」
これは本当だと思う。いまや、女性の方が自己を冷静に客観視してカメラの前に立つ勇気を持ちあわせているわけで、インベのような表現のあり方は、これから先にもさらに勢いを増してくるのではないだろうか。
なお同展は2014年3月13日~19日に大阪ニコンサロンに巡回する。また、2013年11月20日~12月1日には、同名の展覧会(展示作品は別ヴァージョン)が東京・都立大学のTHERME GALLERYで開催された。

2013/11/02(土)(飯沢耕太郎)

水谷太郎「new journal」

会期:2013/11/01~2013/11/23

Gallery916 small[東京都]

操上和美の「PORTRAIT」展を開催中のGallery916に付設する小スペースで、水谷太郎の作品を見ることができた。水谷は1975年、東京都出身。東京工芸大学卒業後、主にファッションや広告の分野で活動している。今回が初個展だそうだが、写真家としての能力の高さを感じとることができたのが収穫だった。
展示されているのは、どれも最近撮り下ろしたという3つのシリーズである。「White Out」は、アメリカ・カリフォルニア州を中心に撮影された路上の看板の写真(18点)。タイトルが示すように、それらの看板は白く(あるいはグレーに)塗りつぶされている。何かメッセージが描かれる前の「空白」は、被写体として心そそられるだけでなく、「意味」を消失した現代の社会状況を暗喩的に指し示しているようにも見えなくはない。「New Wilderness」は2枚ずつ対になった風景写真のシリーズ(10点)。撮影されているのは沼、森、火山地帯の岩などだが、水面への映り込みと水中の水草とを多重露光のように捉えたり、写真を逆さに展示したりといった微妙な操作を加えている。ここでも、現代社会における自然観の変容のあり方が、彼の心を捉えているということだろう。それに加えて1点だけ、本業のファッション写真として撮影された、UNDERCOVERのTシャツ(TIME OF RAGEというメッセージが発光LEDで描かれている)を身につけた若者の写真が展示してあった。
関心の幅の広さと、映像化のセンスのよさは、この世代の写真家たちのなかではかなり高度なレベルまで達している。次はテーマの絞り込みと深化が大きな課題になってくるはずだ。

2013/11/01(金)(飯沢耕太郎)

写真家 中村立行の軌跡──モノクロの昭和/ヌードの先駆

会期:2013/10/19~2013/11/06

O美術館[東京都]

中村立行(りっこう、1912-95)の名前を知る人は、もうあまりいないだろう。だが、私が写真評論の仕事をし始めた1980年代には、彼はいまだ健在で、『アサヒカメラ』のようなカメラ雑誌にユニークな作品を発表していた。今回の展示は、その中村の初期から80年代に至る代表作約200点を集成したものである。丁寧に編集されたカタログも含めて、日本の写真表現の歴史にユニークな足跡を残したこの写真家に、こうしてスポットが当たるのは素晴らしいことだと思う。
中村立行と言えば、真っ先に思い浮かぶのは1940~50年代に制作・発表されたヌード写真である。1936年、東京美術学校油画科卒業という経歴を活かした、フォルマリスティックなアプローチは、日本のヌード写真の歴史に新たな時代を画するものだった。だが、今回の展示でむしろ大きくクローズアップされたのは、第二次世界大戦中から戦後にかけて精力的に撮影された「モノクロの昭和」の写真群である。学童疎開、焼け跡・闇市の時代をしっかりと見つめ、的確な技術で記録した写真群は、林忠彦の「カストリ時代」に匹敵する貴重な歴史的資料と言える。
もうひとつの重要な仕事は、1973年にキヤノンフォトサロンで展示された「路傍」である。広角レンズで、道端のさまざまな情景を切り取っていくこのシリーズを、中村本人は「モク拾い写真術」と称している。特定の主題にこだわることなく、路上をさまよいながら、琴線に触れる情景を拾い集めていくスタイルは、同時代の「コンポラ写真」にも通じるものがある。60歳代という年齢を感じさせないういういしい、だが強靭な視線が印象的だ。本展では、実際にキヤノンフォトサロンに展示されたパネル貼りのプリント30点が、そのままの形で並んでいて、フレームにおさまったほかの作品にはない、ざらついた手触り感が異彩を放っていた。

2013/10/29(火)(飯沢耕太郎)