artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
須田一政「凪の片(なぎのひら)」
会期:2013/09/28~2013/12/01
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
須田一政のような写真家の作品を見ていると、どうしてこのような光景を確実に捉えることができるのかと不思議に、というよりは不気味に思えてくる。見慣れた眺めの中に見慣れぬ異界を嗅ぎ当てる能力なのだが、その確率があまりにも高いことに驚きを抑えきれなくなってくるのだ。やはり、何かこの世ならざるものを「呼び込む」力が異様に高いとしか言いようがないだろう。
今回の東京都写真美術館の展示は、須田の代表作を集成した本格的な回顧展である。よく知られている「風姿花伝」をはじめとして、「物草拾遺」「東京景」など、1970年代に6×6判のフォーマットで撮影したモノクロームプリントがひしめき合うように並ぶ。嬉しいのは、まだ写真家として本格的に活動し始める前の1960年代に撮影された「恐山へ」と「紅い花」のシリーズが展示されていることだ。35ミリ判から6×6判への移行期に撮影されたこれらの写真群にも、すでに背筋をゾクゾクとさせるような気配を発する異物を、的確につかみ取っていく能力が充分に発揮されていたことがよくわかる。
なんといっても圧巻なのは、会場の最後のパートに展示されていた新作の「凪の片」のシリーズ。以前は被写体を剃刀のように鋭く切り裂いていた視線の強度がやや弛み、そのことによって、逆に形を持たない何やら魑魅魍魎のようなものたちの気配が、画面の至る所からわらわらと湧き出してきているように感じる。いや、もはや須田一政その人が、なかば魑魅魍魎と化しているのではないだろうか。怖い。だが、知らず知らずのうちに引き込まれていく。
2013/10/06(日)(飯沢耕太郎)
渡辺眸「Tenjiku」
会期:2013/09/06~2013/10/12
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
渡辺眸は鈴木清(1943年生まれ)とほぼ同世代の1942年生まれ。本展でも、彼女が1970年代に撮影した「ヴィンテージ・プリント」がまとめて展示されていた。写真家が被写体を撮影してから、あまり間を置かずにプリントされた印画を、希少性を鑑みて「ヴィンテージ・プリント」と称するのだが、最近はその価値が広く認められ、販売価格も上がりつつある。あまり偏重しすぎるのも考えものだが、確かに「ヴィンテージ・プリント」は魅力的ではある。今回の渡辺の展示でも、やや色褪せ、黄ばんだ風合の印画紙が、過ぎ去って降り積もっていく時の象徴のように、燻し銀の輝きを放っていた。
タイトルの「Tenjiku(天竺)」は言うまでもなくインドの古名だが、どこか魔法めいた響きがある。渡辺は1970年代によくインドを訪れ、前半(1972~73年)は主にモノクロームで、後半(1976年~)はカラーでスナップショットを撮影していた。渡辺の写真のなかにも、魔法がかかっているような場面がたくさん写っている。牛、山羊、鴉やニワトリ、象などの動物と人間たちの世界は渾然一体になっており、そこでは人間は動物のように、動物は人間のように見えてくるのだ。
そのような神秘的、アミニズム的な雰囲気は、どちらかと言えばモノクロームの写真の方に色濃い。カラーになると、生活感、現実感が増してくるように思える。だが、より体温に近い状態で撮影されたカラー写真のインドの光景にも、また違った面白さがある。光と闇の両方の側から湧き出てくるような色彩が、みずみずしい生命力で渦巻き、流れ出てくるからだ。
2013/10/04(金)(飯沢耕太郎)
鈴木清「流れの歌 夢の走り」
会期:2013/09/27~2013/10/26
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
2000年に亡くなった鈴木清の写真の仕事は、2008~09年にオランダ、ドイツを巡回した「Kiyoshi Suzuki: Soul and Soul 1969-1999」展や、2010年に東京国立近代美術館で開催された「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」展によって、彼の生前の活動を知らない世代にも受け入れられつつある。今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムの個展では、最初の写真集である『流れの歌』(1972)、およびグラフィック・デザイナー、鈴木一誌と組んで写真集づくりに新たな局面を見出していった『夢の走り』(1988)収録の写真が展示されていた。
今回特に重要なのは、写真集には収録されなかった作品が、「ヴィンテージ・プリント」として展示してあったことだ。たとえば、『流れの歌』の表紙にも使われている、洗面器の底に貼り付いたつけ睫毛の写真のヴァリエーションと思われる作品がある。上下2枚の写真が組み合わされていて、上には虫眼鏡で拡大したメンソレータムの容器が、下には洗面器と髪を洗う女の姿(当時同居していた妹さんだろう)が写っている。いかにも鈴木らしく、身の周りの状況を独特の角度から切り取ったいい作品だが、僕の知る限り、この写真は雑誌等にも未発表のはずだ。おそらく鈴木が写真集を編集する段階で候補作としてプリントし、最終的には使用しなかったものだろう。
このような写真が出てくるのは嬉しい驚きだが、反面やや心配なのは、鈴木の仕事の全体像がまだ確定していないこの時期に、プリントとして販売されてしまうと、今後のフォローが難しくなるのではないかということ。とはいえ、展示を積み重ねていくことで見えてくることもたくさんあるはずで、より若い世代のなかから、彼の写真をしっかりと検証していく動きがあらわれてくるといいと思う。
2013/10/04(金)(飯沢耕太郎)
郷司理恵「SENSO」
会期:2013/09/30~2013/10/08
ポスターハリスギャラリー[東京都]
耽美的なエロティック・アートを得意としているポスターハリスギャラリーにふさわしい展示と言えそうだ。日本での初個展を開催した郷司理恵の写真の主なテーマは花々や果実だが、多種多様なアクセサリーに彩られ、時には羽根や生肉等で象嵌されたその作品世界は一筋縄ではいかない。深紅の花弁は、内蔵やある種の器官のように艶かしくうごめき、果肉ならぬ「花肉」と言えそうな趣を呈している。郷司が本格的に写真作家として活動し始めたのは2003年頃だというから、まだキャリアは長いとは言えない。だが、すでに独特の芳香を放つ領域に踏み込みつつあるのではないかと思う。
今回の展示に並んでいる作品の大部分は小品だが、近作だという大判サイズの作品に、これまでとは違った可能性を感じた。花そのものの官能美に収束していくような、やや求心的な作品群とは異なる、より広がりのある空間へと向かう志向があるように思えたからだ。ゴージャスな色彩と奇妙なフォルムを備えた花々を組み合わせて、オペラの舞台のような雰囲気を醸し出す舞台装置をつくり上げることができるのではないか。
今後さらに試みていってほしいのは、物語(できれば自作の)の要素をより積極的に取り入れた連作である。だが、すでにベルリンでは「卒塔婆小町」に題材をとった作品を発表しているとのことで、心配しなくてもそちらの方向に進んでいくのではないだろうか。
2013/10/02(水)(飯沢耕太郎)
甲斐啓二郎「Shrove Tuesday」
会期:2013/09/24~2013/09/29
甲斐啓二郎は1974年、福岡県生まれ。日本大学理工学部卒業後、東京綜合写真専門学校で写真を学び、2002年に卒業している。
今回、TOTEM POLE PHOTO GALLERYで展示されたのは、イングランド中北部、アッシュボーンで行なわれている、「世界最古のサッカー」といわれる「シュローヴタイド・フットボール」の試合を撮影した写真群だ(新宿ニコンサロンでも9月3日~16日に同シリーズを展示)。謝肉祭の最後の日(Shrove Tuesday)に開催されるこの行事では、村を流れる川の両岸の住人たちが、午後2時から10時まで一個のボールをめぐってぶつかり合い、どこにあるのかもよくわからないゴールを目指す。特別なグラウンドなどはないから、村の道や広場でも、森や川でも、時には住人たちの家の庭までもが、ボールを奪い合い、蹴り合うフィールドになる。教会の敷地以外は、どこに入り込んでもいいというルールなのだそうだ。
甲斐はその試合の状況を記録するにあたって、村人たちの顔つきや身振りを中心に撮影することに徹することにした。肝腎のボールがまったく写っていない写真が並んでいるのはそのためだ。一見トリッキーなこのアプローチが逆に成功して、群衆の湧き立つようなエネルギーの噴出ぶりが、見る者にいきいきと伝わってくる。現代の場面にもかかわらず、どこか神話的な戦いの描写のように見えてくるのが興味深かった。ただ、会場のテキストでは、状況の説明が一切省かれていた。このことについてはやや疑問が残った。350年以上続く「世界最古のサッカー」であることが知識として与えられていたとしても、このシリーズの面白さが減じるわけではないと思う。
2013/09/29(日)(飯沢耕太郎)