artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ブルース・デビッドソン

会期:2013/11/19~2013/12/21

YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]

ブルース・デビッドソンと言えば、われわれの世代には、1966年にアメリカニューヨーク州ロチェスターのジョージ・イーストマンハウス国際写真美術館で開催された「コンテンポラリー・フォトグラファーズ──社会的風景に向かって(Contemporary Photographers─Toward a Social Landscape)
」展の出品作家のひとりという印象が強い。だが、いわゆる「コンポラ写真」の起点となったこの展覧会において、デビッドソンはリー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、ダニー・ライアン、ドウェイン・マイケルズといった他の写真家たちとは異なるポジションに立っていた。彼は『ライフ』のスタッフカメラマンを経て、1959年にはマグナム・フォトスの正会員に選出されており、正統的なフォト・ジャーナリズムを背景として活動していたからだ。
だが、今回YUKA TSURUNO GALLERYで開催された、おそらく日本では初めてと思われるデビッドソンの作品の回顧的な展示を見ると、彼がたとえばロバート・キャパ、W・ユージン・スミスのようなフォト・ジャーナリズムの本流の写真家たちとは完全に一線を画していたことがわかる。1950年代の「ブルックリン・ギャング」も、60年代の「東100番街(East 100th Street)」も個人的な動機によって、集団の「内側から」撮影されたシリーズであり、むしろロバート・フランクやラリー・クラークの写真に近い肌触りなのだ。とはいえ彼の写真には、それらのテーマをアメリカ社会の歴史を常に参照しながら撮り進めていく客観性もたしかに備わっていた。公共性と私性との絶妙なバランスが、デビッドソンの仕事にどっしりとした安定感を与えていることが、今回の個展でよくわかった。ただ残念なことに、16点の展示では彼の作品世界を概観するには無理がある。ジョゼフ・クーデルカ展と同規模の回顧展を、ぜひ実現してほしい写真家のひとりだ。

2013/11/21(木)(飯沢耕太郎)

増山たづ子「すべて写真になる日まで」

会期:2013/10/06~2014/03/02

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

こういう展覧会を見ると、写真による“表現”とは何かということが、あらためて問い直されているように思えてくる。
1917年生まれの増山たづ子は、第二次世界大戦中に行方不明になった夫を待ちながら、農業と民宿を営んで、福井県との県境に近い岐阜県徳山村で暮らしていた。ところが、この山間の町に巨大ダム建設の計画が持ち上がり、村の大部分が水面下に没するという話が現実味を帯びてきた。増山は1977年頃から、簡単に撮影できる「ピッカリコニカ」で村の様子を「とりつかれたように」撮影し始める。その作業は徳山村が廃村になり、本人も岐阜市内に移住した後になっても続けられ、2006年に88歳で亡くなるまでに約10万カットのネガ、600冊のアルバムに達したという。
やや色褪せたサービスサイズのカラープリントを中心にした展示を見ていると、増山の視線が、徳山村を照らし出す太陽の光のように、森羅万象にあまねく注がれているのがわかる。むろん、隣人である住人たちの動静を細やかに写した写真が多いのだが、増山の住む戸入集落の川べりに生えていた、彼女が「友だちの木」と呼ぶ楢の老木もたびたび登場する。廃村になった村の雪の中から顔を出したヒマワリに対しては「世の中には不思議なことがたくさんある」と、その奇跡的な出現を讃えている。「このホリャー(時は)二度とないでなー」という思いに支えられた、素朴な記録写真には違いないのだが、あらゆる写真撮影の行為の原点がここにあるのではないかという、強い思いにとらわれてしまうのだ。
背にぎっしりと手書きのメモが記された600冊のアルバムが、ずらりと並んでいる展示が壮観だった。10万カット分のエネルギーがそこから放射されてくるようで、思わずたじろいでしまった。これらの写真群は、野部博子さんを代表とする「増山たづ子の遺志を継ぐ館」が保存・管理している。それもまた特筆すべき偉業だと思う。

2013/11/16(土)(飯沢耕太郎)

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田代一倫「はまゆりの頃に 2013年春」

会期:2013/11/06~2013/11/24

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

2011年4月から続けられていた田代一倫の「はまゆりの頃に」の東北行脚は、今回の展示で一区切りということになりそうだ。この欄でも何度か言及したように、被災地を含む東北各地でたまたま出会った人たちに声をかけ、正面向きのポートレートを撮影するという、ある意味「愚直な」やり方を貫くことで、あまり類を見ない独特の肌合いを持つ作品が成立してきた。撮影人数はのべ1200人にのぼるそうだが、そのことだけでも気の遠くなるようなエネルギーが費やされている。にもかかわらず、写真から発する気分はとても穏やかで柔らかいものだ。これはやはり、撮り手の田代の人柄が反映しているということだろう。本作が2013年度のさがみはら写真新人奨励賞を受賞したのも当然と言える。
なお、今回の展示にあわせて写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島2011~2013年』(里山社)が刊行された。全488ページ、掲載写真453点。社員ひとりだけという小さな出版社が「ずっと残したい本だけを出版する」ことを目指して設立され、本書がその最初の出版物になる。ずっと田代の展示を見続けてきた観客のひとりとして、このようなクオリティの高い写真集に仕上がったことを心から祝福したい。
あらためてページを繰ってみて、このシリーズが、写真だけでなくその下に添えられた言葉(キャプション)によっても支えられていたことがよくわかった。
「『自宅の2階に、津波で流された方の遺体が挟まっていました』
被災した方と会話し、撮影したのは、この方が初めてでした。瓦礫を前にして私はどこかテレビ映像のように感じていましたが、彼女のこの言葉で、目の前の風景が突然、現実となって押し寄せて来ました。」
写真集の最初の写真に付されたキャプションである。ここにも写真と同様に、身の丈にあった言葉を手探りで、誠実に掴みとり、記していこうという「愚直な」姿勢がしっかりと貫かれている。

2013/11/15(金)(飯沢耕太郎)

森村泰昌「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」

会期:2013/09/28~2013/12/25

資生堂ギャラリー[東京都]

森村泰昌の表現力は、今やピークに達しつつあるのではないだろうか。いかなるテーマでも作品世界のなかに取り込み、自ら登場人物になりきって、演じつつ再構築していく、その魔術的とさえ言える能力はさらに凄みを増しつつある。
今回のテーマは、言うまでもなくスペイン絵画の巨匠、ベラスケスの最大傑作「ラス・メニーナス」(1656)である。プラド美術館所蔵のこの名画を、森村は全8幕の「一人芝居」(活人画)として演じきった。森村はすでに1990年にベラスケスが描くマルガリータ王女に扮した作品を発表しているから、原美術館で展示された「レンブラントの部屋、再び」と同様に、旧作の再演と言えなくもない。だが、今回の展示は23年前とは比較にならないほど手が込んでおり、絵の中に描かれた11人の人物の一人ひとりを、意匠を凝らして演じ分け、森村本人らしき人物も登場させるというマニエリスティックな仕掛けは、ただごとではない高度なレベルに達している。以前のように絵画の中の世界に閉じこもるのではなく、現実とイリュージョン、見る主体と見られる客体、過去と未来とを軽々と行き来する千両役者のパフォーマンスが、目覚ましいパワーで観客を巻き込んでいくのだ。
そこで展開される「画家とモデルと鑑賞者の視線の蔓の縺れ」は捩じれに捩じれていくのだが、その最後に待ち受けているのは「そしてだれもいなくなった」と題するプラド美術館の展示室の虚ろな空間だ。見事な大団円。次の「一人芝居」の幕が開くのが待ち遠しくなってきた。

2013/11/07(木)(飯沢耕太郎)

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ジョセフ・クーデルカ展 Retrospective

会期:2013/11/06~2014/01/13

東京国立近代美術館[東京都]

1938年、チェコスロヴァキア出身のジョセフ・クーデルカの日本では最初の本格的な回顧展である。初期作品から「ジプシーズ」(1962~70)、「エグザイルズ」(1970~94)、「カオス」(1986~2012)などの代表作、さらに新作の「Lime(石灰岩)」(2012)まで、300点以上の作品が並ぶ展示は圧巻だった。現代の写真家のなかで、実力、ヴィジョンともに抜きん出た存在であることを見せつける展示だったと思う。
特に興味深かったのは、初期の実験的な作品(1958~64)と、プラハの劇場のために撮影した舞台写真(1962~70)のパートだった。クーデルカは本格的に写真を撮影するようになってからすぐに、ハイコントラスト画像、グラフィック的な効果を活かした単純化や抽象化、いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」などの、反写真的な手法を積極的に使った作品を制作していた。これらは後年のドキュメンタリー的な写真とはかなり肌合いが違っている。クーデルカがスタイルを変えたというよりも、「エグザイルズ」や「カオス」の緊密でダイナミックな画面構成の能力が、これらの実験の積み重ねから形をとっていったことがよくわかった。
もうひとつ、これはちょうど上階のコレクション展に森山大道や土田ヒロミの1960~70年代の写真が並んでいたことで気づいたのだが、クーデルカと日本の写真家たちの作品世界には共通性があるように思える。自らの身体性を介した被写体へのアプローチ、常に揺れ動く視点の取り方、祭りや民間儀礼など劇場的な空間に対する強い関心など、かなり似通っているのではないだろうか。クーデルカがジプシーたちを撮影していたのと同じ頃に内藤正敏、須田一政、土田ヒロミ、北井一夫、山田脩二らも、日本各地を移動しながら土俗的な「ムラ」の習俗にカメラを向けていた。まだ明確にその差異と共通性を論じるまでには至っていないが、今後の課題になりそうだ。

2013/11/06(水)(飯沢耕太郎)

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